■哲学者ガブリエルが指摘する日本社会の生きづらさ
斎藤 『未来への大分岐』(集英社新書)で対談をした哲学者マルクス・ガブリエルがよく言うのは、日本はすごく高度な「ファイアウォール」が張り巡らされている、つまり、明文化されていないけれども、色んなルールがあって、それを少しでも破ると、すぐに人から注意されたり、もっといくと社会から排除されてしまう。日本人はそれを恐れていて、できるだけファイアウォールの中で生きていこうとしている。ガブリエルのように日本に数回しか来たことがない人でも気づくくらい、日本は縛られているんです。
大学で学生たちと話をしていても、彼らは社会や政治に関心があっても、何か発言をしたときに「それはもっと複雑な問題だから」とか批判されてしまうことへの不安や恐怖がある。「私が発言したらいけないのかな」と思っちゃうんですね。
後藤 誰かが声を上げると、それに対して「わかっている風」の人たちが絡んでくることって多くないですか。ただマウントしたいだけで、実際にはそれほど詳しいわけではないんだと思いますけど、そういう人たちのせいで意見を言いづらくなっているというのはすごく感じます。
斎藤 待機児童が問題になったときに「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログが批判されたけど、じゃあ保育制度がどうなっているかを細かく知らなかったら声を上げちゃいけないのかというと、全然そんなことはない。原発批判をすると、「原発が止まったら電力はどうするんだ」みたいに絡んでくるやつがいるけど、安全な電力を国民全員に供給するのは、僕たちの義務じゃなくて国の義務なわけです。
後藤 「批判するなら対案を出せ」みたいな人は必ずいますね。
斎藤 そうです。そういう話はすごい不毛で。最終的には反対しているだけではダメだと思いますが、まずはもっと気軽にNOと言ったり、それは違うんじゃないかと言える空間を作っていく必要があります。
もちろん、その上で、対案を出すような、シンクタンクや専門家と連携する社会運動が、NOと言っている人たちの声の積極的な受け皿にならないといけない。
後藤 音楽の話にからめて言うと、先ほどドイツのライブの例を出しましたけど、僕がドイツ人たちはライブで自由な楽しみ方をしているんだという話をすると、日本の音楽ファンから批判されるんですね。「後藤は日本人の楽しみ方は物足りないみたいな言い方をしている」と。もちろん日本のライブも盛り上がるんだけど、日本の場合はお客さんたちが一糸乱れぬ手の振りというか、ビートに合わせてぶわーっと動くんです。
斎藤 北朝鮮のマスゲームみたいな。
後藤 それに近いです。ステージから見るとちょっと怖くなるような景色で。「それ楽しい?自由にしていいよ」みたいなことを言ったり書いたりするんですけれど、やっぱり怒られる。「私たちは楽しくて腕を振っているのに、私たちの楽しみ方を否定しないでください」と言われるんですね。
斎藤 みんなでファイアウォールを維持するのが快感になっているわけですね。ただ、それは支配層の思うままです。デヴィッド・グレーバーという人が言っていますが、人間の創造力というのは、本来社会のルールを変えていく力にみられるわけですが、現代日本社会とは、まさにそのような創造力をはく奪して支配するシステムなのです。
後藤 中学生や高校生と一緒に、「カットアップ」と言って、詩を全部ジョキジョキに切って並べ直して、面白いものを作ってみましょうというワークショップをやったんです。僕は最高にクールで破天荒な詩が山ほど読めると思ってわくわくしていたんですけど、みんなせっかくバラバラにした詩をきちん組み立てるというか、どこかで読んだり聞いたりしたことのあるような「整った」「良い」詩を作るんですよ。ハウツー本でも読んで書いたかのように。それでびっくりしちゃって。もう中学生とか高校生の段階でなんらかの調教が済んでいると思った。いわゆる「良い」もの、「意味のある」ものを作らなきゃという意識が刷り込まれていて、自由になれないんです。
僕らの世代に限った話ではないかもですが、詩を読むやつや詩的な言葉遣いをするやつをからかうような風潮があって、僕自身、あまり詩を読むということをやらずにきたんです。でも数年前、佐野元春さんのドキュメント番組を見ていたら、ニューヨークの若い人たちがカフェに集まって、お互いの詩を読み合うようなイベントを普通にやってたんですね。「格好いいなあ」と思いました。僕もっと詩を読まないといけないなと思って、一番新しいアジカンの曲に詩の朗読パートを作ったんです。そしたらやっぱり、「いきなりゴッチがポエムを読み始めた」とか、「www(ワラワラワラ)」みたいなリアクションもあって。
でも、詩を書いたり読んだりすることって、全然恥ずかしいことじゃない。思っていることを言葉にしたり、新しいイメージを文章にすることはめちゃくちゃクールなことなんです。それを伝えなきゃいけない。大人たちが胸を張って、「これは格好いいんだ」という詩を書いて読まなきゃいけないと思うんです。
プロフィール
1987年生まれ。経済思想家。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想。Karl Marx’s Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy (邦訳『大洪水の前に』)によって、ドイッチャー記念賞を日本人初、歴代最年少で受賞。
マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソンとの対談をまとめた『未来への大分岐』(集英社新書)は、5万部をこえるベストセラーに。
後藤 正文(ごとう・まさふみ)
1976年静岡県生まれ。ロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。ソロでは「Gotch」名義で活動。また、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。レーベル「only in dreams」主宰。著書に『何度でもオールライトと歌え』『凍った脳みそ』(ミシマ社)、『YOROZU 妄想の民俗史』(ロッキング・オン)、『ゴッチ語録 決定版』(ちくま文庫)など。