ミネアポリスへ
5月29日、トランプが抗議者に対しての銃撃を匂わせるツイートをし、米Twitter社から違反認定をされた頃、私は名護から那覇~成田~ダラスを経由し、丸2日かけてミネアポリスに到着した。
ミネアポリス。
10日前にジョージ・フロイドさんが警察に殺害された現場です。
レイシズムに対する抗議のメッセージを持ち寄り。様々な人種、そして世代の人々が彼の死を悼んでいました。
音楽、ダンス、そして花束。
日本ではあまり報道されることのない、平和的な光景でした。#blacklivesmatter pic.twitter.com/0FCejMygGN— 猪股東吾/大袈裟太郎 ?????? ???? (@oogesatarou) June 3, 2020
空港からジョージ・フロイド氏が殺害された現場へタクシーで向かう。運転手にいきなり「中国人か?」と聞かれる。「日本人だ」と答えると「日本語と中国語は似ているか?違うか?」と質問され、「かなり違うよ」と答える。ミネアポリスのタクシードライバーからすれば日本と中国なんて大差がないのだ。まあ、そうだよなあと苦笑いしながら、15分ほどで現場付近に着く。
まず驚いたのは現場が閑静な住宅街だったことだ。事件の概要だけで、勝手にゲットーで起こった事件だと誤認していた自分を恥じた。その場所は例えば映画「ホーム・アローン」で主人公のマコーレ・カルキンが住んでいたような住宅街。ゴミなどまったく落ちていない地域だ。
家々の窓や玄関先に「black lives matter」「 I can’t breathe」などの文字やジョージ・フロイド氏の似顔絵が掲げられているのが印象的だった。
現場の交差点に近づくにつれてその文字は増えていく。30℃を越える暑さに長袖を後悔しながら独り歩く。事件現場であるスーパーマーケット「CUP FOODS」の交差点の周囲は半径300mほどにわたって市民がオキュパイ(占拠)していた。交差点へと続く4つの道はトラックを横付けするなどして、通行止めにしている。そしてその脇には自動小銃を持った自警団が露骨に仁王立ちしていた。銃に慣れていない自分にとっては脂汗が出るような光景だ。
話を聞くと、白人至上主義者からの報復を恐れての自衛だそうだ。このような人種差別に対するムーブメントはここ数年何度もあったが、そのたびに白人至上主義者、トランプ支持者が報復行為をおこなう。その繰り返しだという。実際、米国内ではデモ隊に対する車からの発砲ですでに2名以上が亡くなっており、FBIはさらなるテロ行為の危険性を指摘していた。
黒光りする見慣れない物体から眼を離せば、そこはお祭りというかフェスのような解放区・自治区という雰囲気だった。あちらこちらで音楽が流れ、路上には花とアートとメッセージがあふれる。ブレイクダンサーが回転し、フリードリンク、フリーフード、BBQでハンバーガーやホットドックを焼いてくれる。予想に反して和気藹々とした場所だった。
家族づれで訪れる人々も多く、子どもらの笑顔がまぶしかった。黒人だけではなく多様な人種が集っていることにも驚いた。事件現場にはジョージ・フロイド氏の巨大な肖像画が掲げられ、たくさんの花が供えられていた。人々が代わる代わる祈りを捧げる。お互いに写真を撮り合う者もいた。
地面には大きく「Against Racism」の文字があった。笑顔であふれていたが、まだ10日だ、その笑顔には神妙な憂いが秘められていた。「I can’t breathe」息ができない。この言葉はもちろん殺害されたジョージ・フロイド氏の最後の言葉であるが、この文言が今、声高に叫ばれることにはいくつもの理由がある。この12文字には一体いくつの意味合いが潜んでいるのだろう。
マスクに書かれた「I can’t breathe」は幾重にもアイロニカルなメッセージを孕んでいる。
今、この社会自体が窒息しそうなのだ。そしてそれはコロナに始まったことじゃない。コロナにより社会の歪みがより露呈したに過ぎない。
15年前、NYを訪れた時、地元に住むある友人が言った言葉を思い出した。
「虐げられてきた人々は明るい音楽を好む。虐げてきた人々は暗い音楽を好む」
この場所にいる彼らがなぜ今、笑顔を作るのか? 明るい音楽で踊るのか? 踊ること、歌うこと、祈ること、笑顔を作ることだけが、この数百年、かれらを救う唯一のプロテストだったのかもしれない。かれらはずっと、息を殺してきたのだ。
プロフィール