オレに死ねと言ってんのか? ━検証!高額療養費制度改悪━ 第4回

なぜ天野氏たちの訴えは見直し案凍結につながったのか?

──全国がん患者団体連合会理事長・天野慎介氏インタビュー
西村章

高額療養費制度を利用している当事者が送る、この制度〈改悪〉の問題点と、それをゴリ押しする官僚・政治家のおかしさ、そして同じ国民の窮状に対して想像力が働かない日本人について考える連載第4回!

 この冬の政府・厚労省による高額療養費制度〈見直し〉案は、非現実的な引き上げ額が国会で連日議論の対象になり、新聞やテレビのニュースでも大きく報道されて世間の注目を集めた。最終的には3月7日に石破茂首相が今年8月の実施見送りを決定して、ひとまずの落着を見たが、その政府・厚労省の暴走を食い止めることに大きく寄与したのが、全国がん患者団体連合会(全がん連)や日本難病・疾病団体協議会(JPA)といった当事者団体の献身的で地道でしたたかな活動だ。

 彼らが全国の当事者たちに緊急アンケートを行って、制度〈見直し〉の撤回を求めるオンライン署名活動を実施し、国会議員に対しては精力的な要望活動を連日行い、また、参院予算委員会の場では参考人として証言することをつうじて、がんや難病と闘いながら高額療養費制度を利用する人々の切実な声が世の中に届けられた。この制度を15年以上利用してきた当事者として私見を言わせてもらえば、彼らの活動がなければ、今回の政府・厚労省案は、おそらくほぼ原案のまま強引に押し切られて実施に至っていただろう。彼らの真摯な訴えは、見直し案が凍結された後に、140名以上の衆参議員が超党派で参加する「高額療養費制度と社会保障を考える議員連盟」の発足という成果にも結びついた。

 つまり、国会を動かした彼らこそが、今回の一連の出来事での最大の功労者といっていい。「政府がすでに決めている予算案に基づく政策を真っ正面から変えさせよう、やめさせようとしたわけですから、プレッシャーも難易度も、今までに行ってきた要望活動とは段違いで厳しかったです」と語る全がん連の理事長・天野慎介氏に、高額療養費制度〈見直し〉案凍結に至る活動での苦悩や苦労、そして今後の超党派議連の活動に期待することなどについて、じっくりと話を聞いた。

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 天野氏は、自身ががんサバイバーで、その経験ががん患者の相談支援や患者団体活動に発展していった。現在は全がん連理事長としての活動に加え、厚労省先進医療技術審査部会構成員や大学非常勤講師なども務めている。今回の厚労省引き上げ案が新聞やテレビで報道されるようになったのは昨年末だが、それらのニュースを見て天野氏は引き上げ額の大きさに危惧をおぼえたという。だが、その強い危惧とは対照的に、この時期のメディア側の反応は総じて鈍く、その関心の薄さにも大きな不安感を抱いたという。

1973年東京生まれ。27歳で血液がんの悪性リンパ腫を発症。 一般社団法人全国がん患者団体連合会理事長、2021年にがん患者として初めて朝日がん大賞を受賞。高額療養費制度〈見直し〉案を凍結に追い込み、文字どおり国会を動かした功労者。

「読売新聞とNHKが年末に報道してくれて、NHKは2025年予算案のポイントのひとつとして、かなりの時間を割いて報道してくれました。NHKがこれだけ報道したのだから世の中でも大きな問題になるだろうと思ったのですが、まったくそうはなりませんでした」

 この天野氏の指摘は、自分自身の体感とも合致する。高額療養費の支払い上限額引き上げが議論されているらしい、という新聞のベタ記事等を見たのは昨年の暮れ近くで、自分が利用している多数回該当(直近12ヶ月のうち3回以上限度額を超えた場合には、4回以降の限度額をさらに引き下げるというシステム)がどれくらい引き上げられるのかと思って検索しても、具体的な数字が示された記事はどこにも見当たらず、非常に困惑した憶えがある。

 そもそもが複雑な制度なので、何も知らない圧倒的多数の人々に概要を説明するだけでも大変だという事情があったにせよ、文字どおり自分の命に関わる多数回該当の値上げ金額の詳細を知ったのは、厚労省資料を探して直に当たったときだった。その金額を知ったときの自分の率直な感想がこの連載の総タイトルになったのは、連載第1回でも説明したとおりだ。

 では、その〈見直し〉案が政府内で成立してゆく過程を、まずは少し整理しておこう。

 これが政府側で最初に俎上に上がったのは、2024年11月15日の内閣官房・全世代型社会保障構築会議だったようだ。事前の議題には上程されていなかったという話だが、当日の議論のなかで複数の有識者がまるで示し合わせたように高額療養費の引き上げについて詳しく言及していることは、議事録にも記されている。

 この「問題提起」は、その翌週(11月21日)に厚労省・社会保障審議会医療保険部会で議論されることになり、続く3週(11月28日、12月5日、12月12日)の医療保険部会で手短かな確認程度の意見交換が行われた。いずれも予定調和的なやりとりを経て高額療養費上限額の引き上げは必要という結論に至り、その結論を受けて、12月25日に2025年度予算案決定の福岡資麿厚労相・加藤勝信財務相の大臣折衝で合意される。上記の天野氏の言葉にあるNHK報道とは、この大臣間合意のニュースだ。そして、翌々日12月27日の財務省政府案閣議決定令和7年度予算案で、初めて引き上げ額の具体的な数字が盛り込まれた案が示された。この金額案は、そのまま2025年1月23日の厚労省社会保障審議会医療保険部会でも提示されている。

 当然ながら、天野氏もこの具体的な金額を知って驚いたという。

「支払い上限額の値上げ幅がどれくらいになるかが非常に気になっていたので、それが出てくるまではなかなか意見は言えないと思っていたのですが……、具体的な数字が出てきたのは12月下旬ギリギリだったんですよ。そこで初めて金額を知って『えっ、こんなに引き上げるの……』と驚きました。実際に制度を使っている人や、患者さんを治療する医療関係者は金額を見た瞬間にこれは無理だと直感的に感じたでしょうし、SNSでも『こんな金額だともう払えない』『これでは治療を諦める人が出てきてしまう』という当事者の声や医療現場からの指摘がたくさん上がって大騒ぎになりつつあったのですが、 対照的に世間一般ではまだ関心が薄かったようです。

 メディアの人に話をしても、『何それ?』と言われることもありました。制度を利用している人がどれぐらいの負担を感じて高額療養費を払っているのか、どんな治療を受けているのか、そして、年単位でこの制度を利用して治療を受けている人が実はかなりいることさえも、世の中ではほとんど知られていないし、むしろ『2、3ヶ月くらいなら、がんばれば治療費を払えるでしょう?』、くらいの感じだったんですよ」

 そんな関心の薄い世間に、問題の深刻さを理解してもらうにはどうすればいいのか。そこで思い至ったのが、現在でも高い支払い上限額に苦しんでいる当事者たちの具体的な声を広く届けることだったという。

「メディアで報道される時に重要なカギを握るのはやっぱり数ですが、関心が薄い状態で署名を集めても、問題の深刻さを過小評価されてしまうので、こんなに困っている人たちがいるんだ、ということを具体的にわかっていただくしかない。であれば、定性的なアンケートを取って訴えるのがいい。さらに言えば、実際に深刻な声が集まったそのアンケートを与党や野党の国会議員が手に取って『こんなに苦しんでいる人たちがいるんです。総理、どうされますか』と国会で質問してもらうことも想定しました。こんなに関心が薄い状態から多くの人々の注意を惹きつけるには、もうそれしか方法がないと思いました」

 1月17日から19日まで行ったこの緊急アンケートでは、たった3日間で3600通を越す深刻な回答が集まった。自分自身の例を言えば、正直なところ、治療を諦めようと思ったことは一度や二度ではきかない。QOL(生活の質)を維持するためには高額で高度な治療を死ぬまで続けなければならず、将来に対する希望はどんどんすり減ってゆく。具体的なことを述べるとおそらく多くの人がドン引きするだろうし、ここの本論でもないので、ひとまず自分語りは控えるが、それ以上に辛く厳しい現実を赤裸々に告白している事例が、このアンケートではたくさん寄せられている。

 このアンケート結果を携えて、天野氏たち全がん連やJPAは衆参国会議員に対してほぼ総当たりのようなきめの細かさで議員会館に日参し、〈見直し〉案凍結の要望活動を続けた。

「その結果、立憲民主党と共産党から関心を持っていただき、国会冒頭での総理への代表質問で取り上げてくださったんですよ。ところが、総理の答弁は『低所得の方にも長期にわたって治療を受けている方にも十分配慮をしています。今回の案についてご理解いただけるように丁寧に説明してゆきます』という内容で、要するにゼロ回答でした。これはダメだと思ったのですが、一方ではSNSでずっと騒ぎになっていたし、国会でも議員の質問があったことで、メディアも『え、何が起きてるの?』みたいな雰囲気になりつつありました。だから、この段階で署名を取れば結構いけるかもな、もう署名をぶつけるしかないな、と思って踏み切ったんです」

 署名活動の実施は1月下旬から2月上旬の2週間弱という短い期間だったが、13万5000筆を超える署名が集まった。この頃から、新聞やテレビ等でも「高額療養費制度」という言葉が少しずつ飛び交うようになりはじめた。だが、メディアの扱いが大きくなってきたとはいっても、天野氏たちはこの段階で〈見直し〉案を食い止める勝算があったわけではけっしてないという。

「最低限でも多数回該当だけは上限額引き上げをやめてもらわないと、本当に死人が出てしまう。多数回該当で長期に渡って治療を受けている人に対して、いきなり月あたり数万円の値上げをされたら、治療の継続を諦めたり生活が詰んだりする人がいっぱい出てしまうと思ったので、せめてここだけは何とかしなければいけない。何ともならないかもしれないけれども、ここで声を上げなかったら大変なことになる。そんな思いでやっていました。だから、勝算のようなものがあったわけではまったくないですね」

 その後、政府・厚労省側は2月14日の福岡厚生労働大臣と患者団体との面会を経て、多数回該当については現状据え置きとする、と譲歩したが、それ以外の大幅な引き上げ(2025年、26年、27年と3段階で夏に上限額を引き上げるとする案)については見直す気配がなく、国会でも福岡厚労相や石破首相は「理解をいただけるように丁寧に説明をする」と繰り返すばかりだった。

 しかし、多数回該当の譲歩だけでは世論の反発は収まらず、メディアでもこの引き上げ案に否定的な論調はむしろ強まっていった。風当たりが強くなる一方だと理解したのか、2月28日の衆院予算委では石破首相が2026年と27年の引き上げはひとまず凍結して再検討する、としたものの、あたかもそれとバーターにするかのように、25年夏の引き上げは「経済物価動向の変化を踏まえたもの」という理由付けであくまでも実施する、という強硬な姿勢を崩さなかった。

 政府・厚労省は2025年夏の引き上げ姿勢を撤回する様子がなく、その内容で3月4日には予算案が衆院を通過した。

 衆議院を通過した予算案が参議院に回って、「これはもう、ダメかもしれないな……」と感じたときの個人的な印象は、連載第2回にも記したとおりだ。緊急アンケート、署名運動、各議員へのしらみつぶしの要望活動を日々続けてきた天野氏も、このときは諦念に近い思いも抱きかけたという。

「衆議院を通過した予算案が参議院で修正されたことはないので、『もはやかなり厳しいけれども、それでも声を上げるのをやめるわけにはいかないよな……』という心境でした。ただ、議員の中でも諦めていない人たちがいて、『参議院には参議院の戦い方がある』とおっしゃる立憲民主党の議員さんが、当事者を参議院予算委員会で参考人招致するというアイディアを思いつき、轟さん(全がん連理事)が呼ばれたんです」

 轟浩美氏が3月5日の参院予算委の参考人招致で切々と訴えた高額療養費制度利用者の厳しい現状に対し、その場で証言を聞いた石破首相は「これを聞いて心が震えない人間はいない」と言い、「そういう声には可能な限り答えて参ります」としながらも、「同時に私どもは、いかにしてこの制度を持続させるかということも考えていかなければなりません」「この制度を続けていくことを、国家に対する責任、国民に対する責任として考えていきたい」とも述べて、この夏の引き上げ実施を見合わせようとする姿勢は見せなかった。

 そこまで頑なな姿勢を続けた政府・厚労省側だったが、この参考人招致の翌々日になって、天野氏や轟氏たちに「石破首相が面会する」という連絡が入った。

「これは後になって知った話なんですが……」と天野氏はこのときのことを振り返る。

「轟さんの参考人招致を思いついた議員さんが、『政府が一時凍結と言うまで、これから毎日でも患者を参考人招致する』と言ったそうです。それを聞いた官邸の方が、毎日、参議院予算委で患者が訴え続けたら政権が持たないと思った、と言います。それがひとつ。もうひとつは、轟さんの証言を見て、参議院の与党議員が『これでは夏の参院選挙で負ける』と思ったそうです。さらに、自民党や公明党の議員の中にも、これはおかしい、と声をあげはじめた人たちがいた。そこでおそらく流れが大きく変わったんです。首相が面会するという連絡が入ったのは、あのあとすぐでしたから」

 そのときにようやく、「〈見直し〉案が全面的に凍結されるかもしれない」という希望を抱くことができた、という。

「だって、手ぶらで会うはずがないですから。わざわざ総理が会うということは、(方針を)変える、凍結するということだなと、そこではじめて確信しました」

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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