私は混乱したままでいた。客席が明るくなってきたので、映画が終わったことに気づいた。
両の頬をつたって、何かが膝に落ちる。そのあたりのズボンが濡れていた。
こんなとき、人は立ち上がって、大きく拍手をするものなのか。
力一杯の拍手をこの映画に送りたいのだが、悪目立ちを嫌う日本人だからか、私はそれができないでいた。
しかし、もし私が立ち上がって、両手を何度も合わせれば、それができずにいる観客たちも、我が意を得たりと、私のそれに付き合ってくれるかもしれない。
いや、そんなことはどうでもよい。これは私の個人的問題なのだ。
すでに客席の照明は明るくなっている。最後のテロップも画面に流れた。
三人、四人と席を立った。
機を逸していたのはわかっていたが、私は、やにわに大きく、強く、何度も手をたたいた。
土曜日、夜六時十五分の回は、七割ほどの観客で埋まっていた。
そのうちの三人ほどが、いや、確かに三人だけが、私の拍手に大きく応えた。
私は幸せの壺の中に落ちた。
死ぬほどくだらなくて、せつなく、馬鹿らしい美しい映画のタイトルは「オン・ザ・ミルキー・ロード」。
エミール・クストリッツァ監督の九年ぶりの新作である。
舞台となっているのは内戦が何年も続いている架空の村だ。人々は戦いの中での生活が、もう日常になってしまっているのかもしれない。
主人公の初老に近い男・コスタは、自分と同じくらいの大きさのロバに乗って、戦線の兵士たちへミルクを運ぶ仕事をしている。
政府軍からであろう発砲があっても、コスタは恐れる様子はなく、逃げもしない。自分を狙って撃たれそうなときは塀に隠れるのだが、横にいるロバにもアゴで合図をして、コスタの後ろに隠れさせるのだ。
この映画には、たくさんの動物が出てくる。
コスタのたたくツィンバロムに合わせて左右の羽をかくかくと動かして踊るハヤブサは常にコスタの肩にとまっている。
岩場で遭遇する熊は、コスタの食べているオレンジをねだる。初めは手から食べているのだが、コスタがオレンジを口にくわえると、それを口移しのように食べるのである。
それに何十羽のガチョウ。ガチョウは、エミール・クストリッツァの前作「アンダーグラウンド」(一九九五年)にも「黒猫・白猫」(一九九九年)にも登場している。
「黒猫・白猫」では、泥水(もしくは肥溜め)に頭から突っ込んだ主人公が、水をかぶったあと、その体を白いガチョウで拭くシーンがある。
なんともクレイジーな映画で、大きな木のあちこちに楽団が縛られたまま演奏する場面もあった。
「アンダーグラウンド」も馬鹿らしくて、悲しい戦争を笑い飛ばした作品である。完全版は五時間十四分もあるそうだが、私は劇場版(二時間五十一分)しか観ていない。
連載では、シティボーイズのお話しはもちろん、現在も交流のある風間杜夫さんとの若き日々のエピソードなども。
プロフィール
おおたけ・まこと 1949年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。1979年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まことゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。