自分の中の「若者」に、もう一度出会ってほしい
下重暁子さんの『若者よ、猛省しなさい』が集英社新書より刊行されました。若者とは感性の人、抵抗の人、変わり者──。現在の若者、そして「元若者」だったすべての人におくる、自分の人生をいつまでも若く生きるためのヒントが満載の一冊です。刊行にあたり下重さんにお話を伺いました。
聞き手・構成=小元佳津江
誰もが〝元若者〞である
──今回のエッセイは若者に向けてということですが、書かれるにあたり最初に考えられたことはどんなことでしたか。
いわゆる若者向けに、とは考えていないんです。通り過ぎてしまうと特別なもののように感じられるかもしれませんが、我々はみんな「元若者」なわけでしょう。だから私はこの本を、私を含め、元若者も入れたすべての人に向けて書きました。ほんとうのことを言うと、私自身は自分がすでに若者を通り過ぎてしまったとは思っていない(笑)。若者とは、年齢だけではありませんから。
それから、タイトルに「猛省しなさい」とあるけれど、お説教をするなんて私にとっては一番嫌なことですから、まったくそんなことは思っていません。でも、最初に企画をいただいたとき、〝おやっ〞と目にとまった。タイトルは内容とはまた別の、ひとつの生き物だと思うんですね。そういう意味でおもしろい言葉だと感じたので、タイトルにしました。
──みんな「元若者」だという考え方は興味深いです。では、下重さんの考える「若者」とはどんな存在でしょうか?
まず、本来、人間の感性というのは年齢を重ねても変わらないんです。私はすでに八十歳の大台に乗ったわけですが、この年になってよくわかります。感性は自分が若かったころと何も変わっていない。若者というより子供のときにはもう、未完成ながらその素地ができているんですね。そして、形としてでき上がるのが若者のとき。だから、若者とは感受性の強い、感性の人間だということですね。常におもしろいものがないかとかぎまわるし、路地裏のスミレにも紅葉する木々にも目がとまり、感動する。そう、感動が感性につながるんです。
お友達でもある黒柳徹子さんなんてまさに感動の権化みたいな人ですよ。学校の授業中でも、近くにちんどん屋さんが来て「おもしろそう!」と思ったら見に行ってしまうような子だった。そんな子供のころの感性を持ったまま大きくなった人。だから今でもあんなにすばらしいし、若々しいのだと思います。誰しも本来は自分だけの感性を持っているのに、大人になるにつれてなくしていく人が多いんです。もったいないですよね。
──どうして多くの人は自分の感性をなくしていってしまうのでしょうか?
今は「人と同じがいい」という価値観が蔓延していますよね。お母さんたちも子供が小さいうちから「いじめられないように、人と同じようにしていらっしゃい」と教えがち。それは、自ら個性をなくしなさいって言っているようなものです。
本の中にも書きましたが、最近、若者たちが飲み会などで、誰かの一言に反応していっせいに笑う場面を見かけます。私はあれが気持ち悪いんです。どこもかしこも人と同じであることがよしとされているけど、その「人」って誰ですか?「その他大勢」ですよ。顔が見えないんです。もちろん自分がおもしろいと思ったら笑えばいいのですが、人が笑っているから自分も笑うという行為を続けていると、自分の感性がすり減っていくと私は思います。
プロフィール
1 9 5 9年早稲田大学卒業後N H K入局。アナウンサーとして活躍後、民放キャスターを経て文筆活動に入る。著書に『鋼の女―最後の瞽女・小林ハル』『老いの戒め』『持たない暮らし』『家族という病』『家族という病2』『母の恋文』等多数。