ニッポン継ぎ人巡礼 第1回

日本一のうるしの産地。いま浄法寺で起きていること

甲斐かおり

自分は長い年月の一部にすぎないという、時の縦軸

 

小田島さんに声をかけられて、会津から浄法寺に移り住んだのが、前述の掻き子の鈴木健司さんだ。掻き子でありながら「自分で採ったうるしを塗る」塗師の顔ももつ。

夏の間走り回って汗をかくせいか、54歳になるが、歳よりずっと若く見える。新陳代謝がよくなるせいだと健司さんは黒い顔で笑っていた。夏の間はひたすらうるしを掻き、冬になると塗師になる。

「夏は山ん中で。冬はしーんとしてる家ん中でひたすら塗るわけです。孤独ですよ。だから塗ってる間は、ああ早くうるし掻きたいなぁと思うし、掻いてる間は早く塗りたいなぁって思う」

 

健司さんのつくるお椀はどっしりした印象ながらもラインが艶かしく美しい。ストイックに、漆器の定番の形にこだわっているようにも見える。

「いやとくになんも考えてないですよ。ただ国産うるしで漆器をつくるスタイルでやっていこうと思ったら、国産うるしが高かったんで自分で採ろうと。そうすると年に半分しか塗りの仕事ができないもんだから、定番のもんだけしっかりやろうと。俺の目指す美しさはエロが基本。このライン、エロくていいなぁとか。つまりきれいやなぁってことでね」

自身で掻いたうるしを用いて、漆器をつくる。鈴木健司さん。

健司さんの手がけた漆器。

 

健司さんは、会津の漆器メーカーの子息だった。漆器業界がウレタンや合成樹脂をつかった量産体制に移行するなか、家業のメーカーもその波にのった。しかし、健司さんは「ほんものの漆器をつくりたい」との思いを捨てきれずに家を出て、いまのスタイルにいきつく。

いま健司さんの作品は東京のギャラリーなどで展示、販売されている。一方で掻くうるしは、各地の漆器づくりの職人や作家が頼みにしているものでもある。

もう20年以上、自身も浄法寺漆生産組合に所属し、うるし産業の内側を見てきた。組合に長期的な視野が欠けていることに健司さんは憤りを感じているようだった。

「植林しようってもう何年も前からずーっと言ってきたんです。今でこそ国に言われて植樹を始めてるけど、みんな10年先、20年先のことを考えて森づくりをしようとか、体制を整えようって視点がない。道具のことだってそうです。目先のことばっかりで。だから僕は組合をやめたんです」

健司さんは天の邪鬼で、毒舌家でもある。会うたびに産地の状況に毒を吐いている。だがそれも、歯がゆさの裏返しなのだと思う。60年以上、うるし掻きを専業でやってきたベテラン勢は亡くなってしまった。今携わっている中には、別の仕事をしてきて定年退職後に始めた人も多い。

天の邪鬼で口を開けば何も考えていないと言うけれど、自分が受け継いだ技術を次につなぐ使命、縦の意識をもっている人だ。健司さんに会津でうるし掻きの技術を教えてくれた師匠は、全国をまわってうるしを掻いた最後の職人だったらしい。やはり自分で採ったうるしで塗りもやる人だった。

「この師匠がよく言ってたんです。若いときに掻いた分を植えて死にたいなぁって。自分もいま師匠以上の質のものを採りたいと思ってやってます。生前、師匠に一人若いもんを紹介されて。今富山にいるんですけど、やっぱり同じように自分で掻いて自分で塗りたいと。だからちゃんと教えましたよ。今度は彼が僕みたいに掻けるようになりたいって言ってくれてっから。もうちゃんと後につないだからいいかなって」と笑って言う。

こうした人たちと話していると、彼らが見ている時の感覚、縦のつながりにはっとする。

自分は長い年月の一部にすぎない。中継ぎだという感覚。

 

生活の中の豊かさの先に

 

ヤストさんもいま、中畑さんから受け継いだ技術を次の世代に伝えていきたいと考えている。浄法寺にも小さな家を借り、家の前に簡単な鍛冶場をつくった。いつでも、掻き子さんたちがカンナの調整に来られるように。半ば手弁当で、年に数回はいわきから来て、浄法寺に滞在する。同伴する智子さんの尽力もはかりしれない。

「国産うるしだからとか、ニッポン文化を守ろうとかじゃなくて、まずは自分たちの生活にこういう道具があるといいよね、豊かだよねってのが先にあって。その延長上に僕らのものづくりがあるんです。いま漆器を選ぶ人たちって、けして裕福でなくても暮らしぶりがシンプルで、精神的に豊かなものを求める人たちなんだと思う」

浄法寺の家の鍛冶場で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豊かな時間や生活を大切にする。そうした暮らしの上に文化ができていく。

「だからニッポンを守るというより、あきらめようって方がリアルかもしれないよね。今までめざしてきた経済的な発展を一度あきらめちゃったほうが、精神面に目が向くのかもしれない。日本人らしい暮らしを、今は日本人より、日本を好んで訪れる外国人のほうが知っているのではと思うこともあります」

戦前まで身近にあった、シンプルで工夫に満ちた暮らし。そうした質素な生活が変化した中にはいいこともたくさんある。衛生面も経済面も飛躍的によくなった。いま、80〜90代のお年寄りに話を聞けば、必ず「大変な時代だった」という。でも「豊かさ=経済的な豊かさ」の一義になってしまったことも否めない。

「だからものづくりを通して若い人たちに提案していきたいんです。これからの豊かな暮らしって何だと思うって。それで、こういう手のかかったものや道具を生活に取り入れて暮らすことを豊かだと思う人たちと関わっていきたい。漆器やこうした道具の将来は、そこにしかないと思う」

二戸市では後継者の育成に本腰を入れるため、鍛冶工房の整備を検討している。実現すれば、ヤストさんはそこで鍛冶を教えることになる。

「うるし道具だけじゃなくて、鍛冶屋を育てたいと思っています。鍛冶屋になりたい人が減っているのは、どんな鍛冶屋になれるのか、いい方向性が見えないからだと思う。汚い作業着で下地を叩いているイメージしかない。そうじゃなくて、おしゃれで、センスを問われるようなものづくりができるよと。下働きと、主体的につくりたいものをつくるのは全然違う。日々仕事をしながらワクワクできるような鍛冶屋であれば、やりたいと思う若い人もいるんじゃないかと思うんです」

包丁なら包丁の道一本を極める正統派鍛冶職人とは少し違った独自のスタイルをもつヤストさんだからできることかもしれない。

それぞれがそれぞれの立場で、一度は細くなり途切れそうになる糸を次の世代につなごうとしている。

ヤストさんと中畑さん。2021年7月

 

時をかける価値

 

自分の仕事が廃れつつあることを誰よりも感じてきたのは、中畑さんのようなものづくりに携わる当事者かもしれない。儲からない、時代に合わないと言われても、続けてきたのは、選択肢がなかったのでも不幸だったわけでもなく、誤解をおそれずに言えば面白くてやめられなかったのではないか。自分の腕一本で困難な道具づくりに挑み、お客さんの要望に応える。そこに生き甲斐や深いよろこびを見出してきたのでは、とも思える。

ひとところにいて、同じ仕事をくりかえしているように見えるなかに、本人にしかわからない格闘がある。時をかけないものづくりでは、この格闘とよろこびが削ぎ落とされる。

これから価値をもつのは、その国、地域で受け継がれてきた、時をかけた固有の文化ではないか。日本には日本の、その地にはその地の、多彩なものづくりが共存する世界。時をかけてつくられたものの価値を見出し、生活に取り入れることでしか、足元の揺らぎは変わらないように思う。

 

取材・文/甲斐かおり

写真/飯坂大

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プロフィール

甲斐かおり

フリーライター。長崎県生まれ。会社員を経て、2010年に独立。日本各地を取材し、食やものづくり、地域コミュニティ、農業などの分野で昔の日本の暮らしや大量生産大量消費から離れた価値観で生きる人びとの活動、ライフスタイル、人物ルポを雑誌やウェブに寄稿している。Yahoo!ニュース個人「小さな単位から始める、新しいローカル」。ダイヤモンド・オンライン「地方で生きる、ニューノーマルな暮らし方」。主な著書に『ほどよい量をつくる』(インプレス・2019年)『暮らしをつくる~ものづくり作家に学ぶ、これからの生き方』(技術評論社・2017年)

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