徳光和夫の昭和プロレス夜話 第5夜

リングの中と外のアントニオ猪木と力道山の死の真相

徳光和夫
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 では、話を燃える闘魂に戻したいのですが、日本プロレス時代の猪木さんのことで他に思い出すエピソードはありますか。

 

「やっぱり、私の中では力道山かな」

 

 ん? 力道山。

 

「ええ。繁華街で猪木さんと飲み歩いて頃の話なんですが」

 

 夜の帳のTI砲!

 

「そうそう(笑)。あるとき、スナックだったかな……カウンターの席に猪木さんと私しかいなくて」

 

 ええ、はい。

 

「猪木さんがボソっと言ったんです。“もしかしたら、力道山先生は助かったんじゃないか”と」

 

 それはどういう?

 

「力道山は暴漢にお腹を刺され、山王病院に担ぎ込まれましたよね?」

 

 そうです。

 

「で、手術は成功したらしいんです、猪木さんの話によれば。それで徐々に傷口が塞がり始め、力道山も少しずつですが元気を取り戻した。そうなると、これはねえ、どうなんだろうな、力道山の本来の性格、傲慢な部分が出ちゃったのか、それとも病室に付き添っていた弟子の猪木さん、ミツヒライ(平井光明)さんに対し、あえて自分は不死身だって強がりを見せたかったのか、2人に向かって“おい、今すぐジョニ黒を持ってこい!”って命令したそうですよ」

猪木が若手の付き人時代、力道山は気に入らないことがあると 理不尽に靴ベラで猪木の顔面を叩いていた。その恐怖のトラ ウマが結局、ジョニ黒を渡してしまった伏線となる。 写真/宮本厚二

 

 傷口は完全には塞がっていない状態だったんですよね。いや、そもそも刃物で刺され担ぎ込まれた病院の病室で飲酒は……。

 

「アウトですよ。猪木さんも平井さんも当然、そう判断したから恐る恐る師匠に向かって、“先生、ジョニ黒はマズいんじゃないですか”って進言すると、“俺の言うことが聞けねえのか!”と一喝されて」

 

 あちゃちゃちゃ。

 

「そう怒鳴られ、猪木さんも平井さんも互いの顔を見合ったそうですよ。どうしたらいいんだろうって。でも、ここで言うことを聞かないと、退院した後に力道山からどんな仕打ちを受けるかわからない、それが怖くて、ついジョニ黒を……と猪木さんは無念の表情を浮かべていましたね。それぐらい2人にとって力道山の存在は絶対的で恐怖のシンボルだったんでしょう。

 結局、ジョニ黒を飲んだことが原因だったかどうかは定かではありませんが、直後に傷口が化膿して力道山は死に至る、と。大袈裟ではなく本当に飲んですぐに危篤状態になったみたいですから」

 

 そうだったのですか。

 

「やはり平井さんと2人で殴られようが蹴られようが干されようが、あのとき先生にジョニ黒を渡すべきではなかった、とも猪木さんは言っていました。だから、うしろめたさとでも言えばいいのか……ええ……今も後悔の念に苛まれることがあるんじゃないですかねえ」

 

 それはそうと、日本プロレス時代、徳光さんが馬場さん、猪木さん以外に注目していた日本人レスラーは?

 

「そりゃもう、高千穂さんですよ!」

 

(第6夜へつづく)

 

 

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プロフィール

徳光和夫

1941年、東京都生まれ。立教大学卒業後、1963年に日本テレビ入社。熱狂的な長嶋茂雄ファンのためプロ野球中継を希望するも叶わず、プロレス担当に。この時に、当時、日本プロレスのエースだった馬場・猪木と親交を持つ。

 

 
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