やく いやあ、衝撃的な発言です、それは。私たちからすると、あのウルトラマンを倒した宇宙恐竜ですから、強いという刷り込みがあるせいか、とても弱そうには見えないのですが。
古谷 ゼットンと科特隊本部のビルの前で対峙したときは、強そうだと思わなかったんですよねえ。どうしてでしょうね……。たぶん、レッドキングとかは顔の表情がわかりやすかったじゃないですか。恐ろしい形相をしていましたもんね。だけど、ゼットンはわりとのっぺりした顔というか、何を考えているのかわかりづらかった。後から思えば、何を考えているのかわからないところが、実は怖いというのが理解できるんですけど。当時はゼットンと向き合っても、表情が読みづらいため、こちらも「?」という感じだったのでしょう。だから、さして強そうには感じられなかったのだと思います。
ホシノ 改めて古谷さん、いかがですか、ゼットンとの最後の戦いぶりを見直してみると?
古谷 ゼットンとの戦い、なぜ負けたのか、その流れが納得できます。
ホシノ というのは?
古谷 負けるべくして負けたというか。まずウルトラマンの心理を壊しにかかっていますよ、ゼットンは。最初のキャッチ・リングを引きちぎる。ここで己の強さをウルトラマンに誇示するわけです。それで他の怪獣ならね、どうだいって見栄を切るところなんだけど、ゼットンは冷静に光線攻撃を仕掛けてくる。そうなるとキャッチ・リングが効かなかったウルトラマンとすれば心の立て直しができぬまま、次の攻撃を食らってしまうことになる。
いま、こうして改めて映像を見直すと、ゼットンに隙がないです。あくまでも冷酷に次から次に攻撃を仕掛けてきて、焦るウルトラマンを上から見下し、精神的優位に立っている。ゼットンが終始、精神的に上に立っていた、というのが、この戦いの最大のポイントでしょうね。
やく この最後の戦い、格闘の面から見ると、さして絡んではいないんです。激しい肉弾戦は繰り広げられていない。ゼットンがマウントポジションを取り、それを下からウルトラマンが防御し、巴投げではねのける程度。それよりも激しかったは、お互いの光線攻撃で。お互いに光線を照射し合っているけど、常にゼットンはウルトラマンの上をいく攻撃を仕掛けていた。
ホシノ だからこそ、当時も今も観ている側は負けたことに納得しているのではないですかね。つまり、キャッチ・リングは引きちぎられる、ウルトラ・スラッシュもバリアで防御され、必殺技のスぺシウム光線も通じない。段階を踏んでいるというか、これもやってあれもやって、最後にそれもやって通じなかった。こりゃ負けても仕方ないなと。
やく 私も含めて当時の多くの子供たちは、そういう意味で素直に負けたことを納得できた。どうしてウルトラマンは負けちゃったの? ではなく、ウルトラマンの負けをきちんと受け入れることができたと思いますね。
ホシノ プロレスの話になっちゃうんですけど、第1回IWGPの決勝戦でアントニオ猪木はハルク・ホーガンに負けるんですが、あの一戦でも猪木はコブラツイストを出しても弾き飛ばされ、バックドロップで投げても通じず、最後に必殺の卍固めでホーガンを絞り上げることに成功しても、結局はギブアップを奪えなかった。多くのプロレスファンは、これはダメだ、卍固めが通じない、猪木の負けだ、と諦めたもんです。
古谷 最終回の撮影前に脚本の金城哲夫さんが僕に「敏ちゃんの必殺技を全部出すからね。それでも負けるからね」と言ったんですよね。ただ、あの戦いで子供たちには戦う勇気とでも言えばいいんですかね、子供たちの心に訴えかける戦いを見せることができたと思っています。
やく ええ、ですね。
古谷 ゼットンの波状攻撃にさらされながらも、ウルトラマンは地球を守るために、いま自分ができる精一杯のことをやろうとした。ウルトラ・スラッシュが通じなければ、さあ、スぺシウム光線だと逃げずに必死に戦った。その戦う姿勢は今観ても、ちょっと涙が出てきそうです。
やく 本当にゼットンの波状攻撃はえげつなかった。あの火の玉なんか1兆℃なんですよ。いくらなんでも1兆℃はヒドすぎます(笑)。
古谷 ハッハハハ。
やく それと、古谷さんとご一緒に見直して気づいたのですが、最後にゾフィーとM78星雲に帰るウルトラマンの勇姿に向けて、子供たちの「さようなら」の大合唱が映像に挿入されているんですね。気づかなかったです、今の今まで。私も茶の間で叫んでいたかもしれないな。というのも、さきほどウルトラマンの負けには理由があって、段階を踏んで負けたのだから腑に落ちた……という話になりましたけど、そうなんですよね、ウルトラマンの負けに抗った記憶がないんです、私にも。子供心にヒーローは負けちゃいけない、死んじゃいけないとか、そういう感情はもちろんあったはずですが、妙に合点がいっている小学生の私がいましたよね。
結局、負けたことに抗うよりも、ハヤタはハヤタで命を授けられたし、ウルトラマンもゾフィーとM78星雲に帰れた。その落としどころに安堵したことのほうが大きかったんでしょう。
古谷 当時、あれだけの視聴率がありましたから、円谷プロや脚本の金城さんのところに、全国の子供たちから励ましの手紙が届いたんです。中には当然のことながら「ウトラマンを絶対に死なせないで」といった手紙も多かったようで。金城さんも、そういう手紙に応えなきゃいけないと、最後はハヤタもウルトラマンも死なないアイデアをひねり出したと言っていましたよ。
ホシノ やくさんみたいに、負けたことよりも最後の落としどころに納得と安堵感を抱いた子供もいれば、格闘家の前田明日のようにウルトラマンが負けた現実を突きつけられ、「俺がゼットンを倒すんや!」と放送翌日から空手道場に通い出した子供もいましたし。
古谷・やく (笑)。
プロフィール
古谷敏(ふるや さとし)
1943年、東京生まれ。俳優。1966年に『ウルトラQ』のケムール人に抜擢され、そのスタイルが評判を呼びウルトラマンのスーツアクターに。1967年には「顔の見れる役」として『ウルトラセブン』でウルトラ警備隊のアマギ隊員を好演。その後、株式会社ビンプロモーションを設立し、イベント運営に携わる。著書に『ウルトラマンになった男』(小学館)がある。
やくみつる(やくみつる)
1959年、東京生まれ。漫画家、好角家、日本昆虫協会副会長、珍品コレクターであり漢字博士。テレビのクイズ番組の回答者、ワイドショーのコメンテーターやエッセイストとしても活躍中。4コマ漫画の大家とも呼ばれ、その作品数の膨大さは本人も確認できず。「ユーキャン新語・流行語大賞」選考委員。小学生の頃にテレビで見て以来の筋金入りのウルトラマンファン。