やく どうですか? 戦いを振り返ってみて。
ホシノ ダダ……弱すぎます……。そうだ! 思い出した。数年前にパチンコで『CRぱちんこ ウルトラマンタロウ 戦え!!ウルトラ6兄弟』の機種が出たんですね。大当たりして確変に入ると、いろんな怪獣や星人とタロウが戦うのですが、ダダが登場すると確実にタロウが勝ち、確変の大当たりが続く。つまり、パチンコ業界的にもダダは弱いってことが浸透していたということです。
古谷・やく (笑)。
やく 大事なことはですね。
ホシノ はい。
やく ダダが弱いことをフォーカスすることよりも、まずはこの企画の原点は何だったのかを改めて確認することだと思うんです。この企画の主旨は何ですか?
ホシノ 簡潔に言えば、これまであまり解明されてこなかった、ウルトラマン対怪獣・星人の戦いで繰り広げられた格闘のあれこれを、さまざまな角度から検証することです。
やく そうですよね。それがたまたま深遠なテーマが内包されているジャミラ戦、シーボーズ戦、ゴモラ戦が続いてしまったため、本来の語るべきテーマの格闘のあれやこれやに十分に触れることができなかった。だからこそ、ここでもう一度、いや、最後だからこそ、企画の原点に立ち返る必要があるのではないか――。
そうなると、このダダ戦はケロニア戦以上にウルトラマンの技のひとつひとつが非常に説得力を秘めており、しかも美しくもあり、なおかつ超キレッキレで冴えまくってもいる、と。以上により、ダダは弱かったけども、その格闘シーンを振り返ったときに、実は一番充実した戦いが繰り広げられているのではないか。実は弱いながらも「ウルトラマン」に登場した怪獣、怪人の中でもっとも長い時間、抵抗しているのはダダではないでしょうか。姿をくらましている時間も含めると約23分の本編のうち優に3分抵抗している!――という視点から、私は栄光の1位にダダ戦を選出させていただいたわけでございます。
ホシノ パチパチパチ。とても深く納得できました。古谷さんはどうですか、納得されましたか?
古谷 ダダ戦の1位は予想していませんでしたが、はい、納得です。
ホシノ ケロニア戦以上の技の切れに関しては、どうですか。
古谷 体調もよかったんでしょうね。それと相手がザンボラーやシーボーズの鈴木(邦夫)さんだったのでね、動きやすかったのは間違いないです。
ホシノ 造形もケロニア以上に人型ですし。
古谷 そう、そこですね、大事なポイントは。マスク以外はまるっきりヒトですから(笑)。技もかけやすいし、ダダもウルトラマンの技を受けやすかったと思います。その相乗効果もあってシャープな技を次から次に繰り出せたんじゃないかな。
ホシノ なるほど。
古谷 確かケロニア戦でしたか、プロレスラーの……。
ホシノ 超獣・ブルーザー・ブロディですね。
古谷 そのブロディの理論と言いますか、相手が受け身の天才だと自分の格闘能力が向上するといった話に発展しましたよね。
ホシノ はい。
古谷 僕も相手が受け身の上手い扇幸二さん(ケロニアのスーツアクター)だったから、より以上の力を発揮できたと証言しましたけども、ダダ戦ではその先の境地……いや、なんだろうな……もうひとつの戦いの感触を得ることができたと思っているんです。
やく もうひとつの感触とは?
古谷 やくさんのお墨付きのように、このダダ戦、うん、我ながらいい動きをしています。そこで思い出したのですが、ダダと戦っている最中、チーフカメラマンの声なき声援とでも言えばいいんですかね、それを感じたんです。
ホシノ 声なき声援?
古谷 ええ。やくさんの言葉を借りれば、ウルトラマンの仕掛ける技の動きがキレッキレのため、たぶん自然とチーフカメラマンも気持ちが乗ってきたんでしょう。「よし、ウルトラマン、いい動きだ。凄いぞ、その技。パンチにも力が入っている。その動きひとつひとつ、絶対に俺は撮り漏らさないからな。すべてフレームの中に収めてやる。全国の子供たちに届けてやる」といった声なき声援が伝わってきたんですよ。
やく ほう、胸が熱くなる話です。
古谷 その声なき声援はスタジオ中に広がっていき、監督はもちろんのこと、助監督、カメラスタッフ、美術スタッフ、タイムキーパー、そこに立ち会ったすべてのスタッフも同時に「いいぞ、ウルトラマン、がんばれ、ウルトラマン」と声なき声援を送ってくれているようにも感じてね。
そう感じた瞬間、体に力が漲り、いつもより高くジャンプできたし、いつもより力のこもったパンチを放てたし、いつもよりも高くキックを蹴り上げることができた。結局、ブロディの理論は自分と相手との1対1で展開される技の広がりだったり、凄みだったりすると思うんです。その力の恩恵は自分にだけ向けられたもの。でも、僕がダダ戦で得たのはスタッフの声なき声援によって自分がより高いレベルで動ける尊い領域だったんじゃないでしょうか。
ホシノ ええ。
古谷 そう考えたとき、ああ、ウルトラマンって僕ひとりの力で動いているのではない、戦っているわけじゃないんだなと思い知らされました。この気づきは今でも僕の宝物です。
やく さらに言ってしまうと、スタジオのスタッフの熱き声なき声援の向こう側に、茶の間で見ている子供たちがいた――。
古谷 その通りです。子供たちは必死にウルトラマンに声援を送り、一緒に戦ってくれたと思います。実際、子供たちの声なき声援もスーツを通して僕の心の中に伝わっていました。その声援ひとつひとつも、僕にとってはかけがえのない宝物でしたし、ウルトラマンを動かしていた大きな原動力だったと思います。
ホシノ 子供たちもウルトラマンと一緒に戦っていた……だからでしょうね。
古谷 ん?
ホシノ こんな逸話が残っています。1967年4月9日午後7時20分頃、そうです、ウルトラマンがゼットンに敗れ、ゾフィーから新たな命を授かり、M78星雲に帰るため、赤い球体が飛び立ったとき、科特隊のフジ隊員が「さようなら、ウルトラマン、さようなら」と叫んだ瞬間、日本中の家々の窓が一斉に開き、子供たちも夜空に向かって「さようなら」と叫び、手を振っていたという……。「ありがとう」と声なき声援を添えて――。これは当時の子供たちが本当に一緒に戦った感触がなければ、こんな現象にはなりませんもん。
古谷、もう……感謝しかないですね。
やく さて……。
ホシノ そろそろ私たちも「さようなら」の時間が。
古谷 愉しい時間でした。僕的にも新しい発見がありましたし。
やく また違った企画で、ぜひお会いしましょう。
古谷 ええ、また素敵な時間を、いつか、どこかで。
(完)
司会・構成/ホシノ中年こと佐々木徹
撮影/五十嵐和博
©円谷プロ
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プロフィール
古谷敏(ふるや さとし)
1943年、東京生まれ。俳優。1966年に『ウルトラQ』のケムール人に抜擢され、そのスタイルが評判を呼びウルトラマンのスーツアクターに。1967年には「顔の見れる役」として『ウルトラセブン』でウルトラ警備隊のアマギ隊員を好演。その後、株式会社ビンプロモーションを設立し、イベント運営に携わる。著書に『ウルトラマンになった男』(小学館)がある。
やくみつる(やくみつる)
1959年、東京生まれ。漫画家、好角家、日本昆虫協会副会長、珍品コレクターであり漢字博士。テレビのクイズ番組の回答者、ワイドショーのコメンテーターやエッセイストとしても活躍中。4コマ漫画の大家とも呼ばれ、その作品数の膨大さは本人も確認できず。「ユーキャン新語・流行語大賞」選考委員。小学生の頃にテレビで見て以来の筋金入りのウルトラマンファン。