財閥ファミリーの結婚
一般富裕層の皆さんからは、財閥家の名前とその婚姻関係がすらすら出てきたそうだ。韓国の財閥ファミリーは結婚も財閥同士ですることが多い。以前は明らかな「政略結婚」も多かったが、最近はたとえ財閥同士でも恋愛して結婚するのが普通になってきた。ドラマ『Mine』の長男夫婦は旧型の政略結婚のようだが、その他の登場人物の婚姻関係には、それぞれ実際のモデルがある。芸能人との結婚もあるし、また使用人との「身分違いの愛」などもあった。残念ながら離婚してしまったが、サムスンの現会長の妹であるイ・ブジン(1970年~)新羅ホテル社長は「一般の従業員男性」と恋愛結婚して、世間をあっと驚かした。
私自身も今から15年ほど前、ひょんなことで招かれた家が、実は財閥だったという経験がある。そこはドラマ『Mine』に出てくるように、広大の敷地の中にそれぞれの家が別棟で存在し、家の中では何人ものお手伝いさんが働いていた。ソウル市内にも関わらず、屋敷内には農園や果樹園まであり、また味噌や醤油などを漬ける人々もいると他の人から聞いた。
ドラマ『Mine』を見ていると、この家のことを思い出すのだが、中でも驚いたのは、私を招待してくれた人の夫が、ドラマに登場する「長男」にそっくりだったことだ。ただ、彼は長男ではなく何番目かの弟らしく、アメリカ育ちの妻は「親族間のことがいろいろ大変で……」と、ちらっとこぼしていた。
不気味だったのは、豪華な家なのに一切の装飾品がなかったことだ。最低限の家具以外には絵画も彫刻もない。唯一、子ども部屋の前だけに、学校で描いたと思われる画用紙の絵が何枚も貼られていた。この家の人たちは「暮らし」に愛情がない? ふと、そんなことを思った。
では財閥は貴族なのか?
現在、韓国で財閥ファミリーといえば、サムスン、現代、LG、SKなどをはじめ、10~20ぐらいの企業体の名前があがる。一般富裕層は中小企業の社長や土地成金、あるいは大病院の院長など富裕になった理由は雑多だが、財閥の由来には共通するものがある。
ドラマ『Mine』の中では「本物の貴族」という言葉が何度も出てくるが、では財閥=貴族かといえばそれも違う。韓国の身分制は李王朝時代の両班制度が知られているが、それは近代化の過程(大韓帝国と日本の植民地時代)で解体されており、李王家も解放後に復活することはなかった。その意味では今も王族や貴族などの身分制が残る国々とは全く違っている。
したがって「本物の貴族」という言葉は、韓国内でのみ使われる比喩である。ちなみに韓国にも財閥ファミリーとは別に、密かに「本物の貴族」を名乗る人々がいないわけではない。それは李朝時代に高位職にあった家柄の人たちなどで、日本や他国で使われる「貴族や士族の家柄」と同じ意味合いだ。ただ韓国の場合はその多くが、日本の植民地時代に日本の権力体系の組み込まれたことで、解放後は日本支配への協力者、いわゆる「親日派」として断罪されることになった。特に現在は北朝鮮となったエリアでは厳しい追及が行われたため、米国等に亡命した人々などもいる。
いずれにしろ今の韓国の財閥ファミリーは、過去の身分制とはつながっておらず、その創業者の多くが自らの力で成功した起業家である。その代表選手として真っ先に名前が上がるのは現代グループの創業者チョン・ジュヨン(鄭周永、1915~2001年)であり、彼とサムスングループの創業者イ・ビョンチョル(李秉喆、1910~1987年)をモデルに制作されたドラマ『英雄時代』(2004年、MBC)は全70話という大作だった。登場人物の名前こそ変えてあったとはいえ、ほぼ実話に基づいた二大財閥のファミリー・ヒストリーは、韓国の人々にとって財閥神話の土台となる共通認識をもたらした。
財閥神話を作った、現代(ヒュンダイ)と三星(サムスン)
江原道の貧農の息子であった鄭周永は、ソウルに出て米屋などで働いたあと、解放直後の1946年に自動車修理工場を創業し、さらに翌年には土建業にも手を伸ばす。それが後の現代自動車や現代建設となる。聡明で勤勉な人間が直感的に商売を広げ、その異業種の集合体が財閥として成長しながら、韓国の経済発展を牽引してきた。
現代自動車、現代建設、現代重工業、現代アパート、現代百貨店、ホテル現代など、「現代」の名前は韓国のいたるところで目にする。さらに韓国随一の先端医療を誇るソウル峨山病院などもまた鄭周永が創立した病院であり、新型コロナによるパンデミック下の今年3月には、次男である現代自動車名誉会長チョン・モング氏(鄭夢九1938年~)による50億ウォン(約5億円)もの巨額寄付が話題にもなった。
ところで鄭周永には公認されている息子だけでも1934年生まれの長男から1959年生まれの8男までいて、その壮絶な跡目争いは「王子の乱」として注目を浴びた(それ以外に還暦後に生まれた子どもたちもいる)。日本でも有名なのは6男のチョン・モンジュン(鄭夢準、1951年~)元FIFA会長だろう。父親がソウル五輪の誘致に全力を傾けたように、彼もサッカーW杯の韓国開催に猛進して2002年の日韓共同開催を実現した。
一方、サムスンの創業者である李秉喆は韓国南部の大地主の子として生まれた。裕福な家柄であり、日本の早稲田大学にも通っていた。鄭周永より5歳年上の彼はすでに1938年に大邸で三星商会を設立しており、それがのちの三星物産となる。また食品や繊維業などにも進出し、こちらは後のCJグループである。そして1969年にはサムスン電子を設立、今日の世界的企業への布石となった。サムソンもまた現代と同じく後継者問題はこじれ、結局は三男イ・ゴニ(李健熙、1942~2020年)がグループを率いることになる。
後継者争いに破れた長男イ・メンヒ(李猛熙1931~2015年)は食品部門などを率いてCJグループとして独立したが、その娘がイ・ミギョンCJグループ副会長(1958年~)である。英語名はミッキー・リー。映画『パラサイト』の責任プロデューサーであり、ポン・ジュノ監督の一貫した後援者として知られる韓国映画界の代母は、つまりサムスン三代目となったイ・ジェヨン会長の従姉にあたるのだ。
ちなみに、この『Mine』や前作『ヴィンチェンツォ』、あるいは『愛の不時着』や『サイコだけど大丈夫』などの大ヒットドラマを制作している「スタジオドラゴン」もまたCJグループの傘下、CJエンターテイメントのドラマ部門が独立してできた会社である。
その他、韓国の主要財閥については、以下のようになる。
SKグループ
1939年に日本人が創業した 「鮮京織物株式会社」を母体として発展。1953年、鮮京織物の製造部長だった崔鍾建(1926~73年)が払い下げを受け、その後に大発展。現在は石油精製業や通信事業がメインで韓国第三位の規模を持つ財閥となった。
LGグループ
創設者は具仁會(1907~69年)と許萬正(1897~1952年)が1947年に創立したラッキー化学工業が母体。GSグループもここから枝分かれした。
ロッテグループ
日本のロッテを創業した重光武雄(1922年~ 韓国名 : 辛格浩)が韓国に進出して設立。重光氏は在日韓国人一世。
韓進(ハンジン)グループ
米軍の物資輸送業務請負をきっかけに成功。韓国の運輸事業の中心的企業。創設者は趙重勲(1920 ~ 2002年)、ナッツ・リターンで有名になったチョ・ヒョナ元大韓航空副社長は孫にあたる。
ハンファグループ
創業者は金鍾喜(1922~81年、明治大学中退)。韓国火薬として発足し、軍需産業に強み。大型レジャーランドなども手掛ける。
斗山(トサン)グループ
韓国の財閥企業の中で、最も歴史が古い。創設者は朴承稷(1864∼1950年)。重工業を中心とした企業グループ。ビール、野球チーム、建設など、韓国では頻繁に目にする企業。
「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。
プロフィール
ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。