スポーツウォッシング 第7回

電通? スポンサーへの忖度? テレビがスポーツウォッシングを絶対に報道しない理由

西村章

「スポーツウォッシング」という文字を活字メディアで目にする機会が、オンラインや紙媒体を問わずこの半年ほどで増加した。

 たとえば最近では、〈不都合を覆い隠すな 「スポーツウオッシング」に警鐘 サッカーW杯〉(毎日新聞・2022年11月28日付)、〈浪速風/スポーツウォッシング〉(産経新聞・2022年12月23日付)、〈ゴルフやサッカー投資への「ウォッシング」批判 サウジ閣僚が反論〉(朝日新聞・2023年1月20日付)等々、新聞紙面の見出しに大きな文字が踊り、記事やコラムでこの問題が詳説されることも珍しい光景ではなくなった。

 つまり、2021年の東京オリンピックと2022年サッカーW杯カタール大会の二大スポーツイベントの落とした影が、日本社会にもそれだけ大きなインパクトを与えた、ということなのだろう。

 しかし、放送メディアについてはどうだろう。

 東京オリンピック、サッカーW杯の実況中継や関連スポーツニュースで、スポーツウォッシングについて言及した番組はおそらく皆無に近かったのではないか。地上波・BS・CS、あるいはネット番組などの放送をすべてしらみつぶしにチェックしたわけではないので拙速な断言はできないけれども、少なくとも自分が目にした範囲では、「スポーツウォッシング」という言葉をこれらの大会中継で耳にしたことは一度もなかった。

 とくに、サッカーW杯カタール大会の開催直前は、同国の性的マイノリティに対する抑圧的なあり方や、出稼ぎ労働者の苛酷な処遇に対する批判と絡めて、「スポーツウォッシング」という言葉が日本の活字メディアでも取り上げられるようになった時期だった。放送メディアでも、時事的なトピックを扱う番組では、稀に「スポーツウォッシング」という言葉を出して解説することがあったので、中継やスポーツニュースでも言及があるかと思いきや、しかしというか、やはりというか、こういうところでは「スポーツウォッシング」という言葉はまったく出てこなかったし、以後の試合でも、日本語の実況ではいっさい「スポーツウォッシング」という言葉は耳にしなかった。

 サッカーW杯を利用したスポーツウォッシングの問題が世界じゅうで大きく注目され(カタール国営局のアルジャジーラでもこの問題を取り上げたことは当連載第6回で報告した)、様々な国と地域で報道されてきたが、日本語の放送を観ているだけだと、まるでそんなものは最初からこの世に存在していないかのように錯覚してしまうほどだ。

 テレビのスポーツ番組は、スポーツウォッシングという問題の大きな当事者のひとりであるはずなのに、徹底して見て見ぬ振りを続けている。なぜ、このようにいびつな状況が生まれるのか。

テレビはスポンサーの機嫌を損ねることは絶対にしない!

「テレビにとって、スポーツイベントは最後の聖域だからですよ。文句なしに視聴率が獲れるし、良いカードであればあるほど安定したスポンサーがつく。だから、テレビ業界的に言えばスポーツウォッシングという問題は『ありえないこと』なのだと思います」

 そう指摘するのは、元博報堂社員という経歴を持つ著述家の本間龍氏だ。広告が社会に与える影響やメディアとの癒着等について多くの著書がある本間氏によると、スポーツウォッシングという言葉がテレビの中継やスポーツニュースでいっさい取り上げられないのは、番組を支えるスポンサーの影響力がやはり大きいからだという。

「新聞の社会面や活字メディアなどのように、報道では軽く触れることがあるかもしれません。とはいえ、テレビの場合は報道番組といえどもスポンサーがついているわけです。それらのなかでも、たとえばゴールデンタイムといわれる時間帯にスポンサーをしている企業は、スポーツ大会や選手たちのスポンサーになっている場合も多い。そうすると、番組や実況中継で『じつはスポーツウォッシングというものがあって、目隠しされている問題が山のようにある。スポーツがそれに利用されている』という話は、テレビとしてはタブーになりますよね。まずはスポンサーありき、で考えるテレビにとって、スポンサーの機嫌を損ねるようなことは絶対にやりたくないわけですから。

 そのスポンサーとテレビ局の間に介在しているのが、電通や博報堂という広告代理店です。広告代理店ならスポンサーの顔色を伺って、テレビ局に『そういうものを番組で取り扱うのはやめてくれ』と当然いいますよね。スポーツウォッシングの話題に触れることがスポンサーを直接批判する行為ではないにしても、間接的とはいえスポンサーが行っている活動の否定につながりかねない。そんな地雷を踏むと、スポンサーが機嫌を損ねて離れてしまうかもしれない。視聴率が高いスポーツ中継のスポンサーは、億単位のスポンサー料を支払える大企業が多い。そういう企業の機嫌を損ねて、もしスポンサーを降りられたら、その企業がスポンサーになっている他の番組の提供にも悪影響が出るかもしれない。そういう恐怖感が彼らにはとても強い。『それならば、そんな危なっかしいことには最初から手を出さないでおきましょう』というわけです。

 たとえば、サッカー等の競技に出資をしていて、テレビ番組にも広告を出している企業はたくさんあります。テレビで、ある番組がスポーツウォッシングを取り上げたとすると、視聴者の中にはそれをスポンサー企業に対する批判だと解釈する人が出てくるかもしれない。広告代理店やテレビ局の立場からすれば、そんなことは絶対にあってはならないわけです。日本的な事なかれ主義であり忖度文化とは、そういうことです。海外の場合だと、こういうことにはならないと思うんですが」

 目の前にある問題に対して〈事なかれ主義〉でまるで存在しないように振る舞う日本企業と、問題を直視してあくまで正面から向き合おうとする外国企業の姿勢の差が典型的に現れたのが、大坂なおみ選手を巡る日清食品とNIKEの対応だ。

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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