スポーツウォッシング 第7回

電通? スポンサーへの忖度? テレビがスポーツウォッシングを絶対に報道しない理由

西村章

電通抜きではオリンピック開催は無理。贈収賄・談合はまた起こる

 スポーツウォッシングという今日的な問題は、日本のスポーツ番組を通して見た世界の中ではあくまでも存在しないことになっている。しかし、東京オリンピックについていえば、この巨大イベントが作り出した影の部分は、今も次々と白日のもとにさらされている。

 電通元専務の大会組織委員会元理事が収賄容疑等で逮捕され、KADOKAWA会長は贈賄で逮捕、そしてつい先日も組織委員会元次長が独禁法違反容疑で逮捕された。招致当初にはコンパクトな大会を標榜していたはずが、大会予算はどんどん膨れ上がってゆき、このような形で精算されることになってしまうのは、予想されたこととはいえ、今さらながらお粗末、以外の言葉が見当たらない。

 この組織委員会元次長が逮捕される前日には、車椅子テニスの世界的スーパースター、国枝慎吾氏が引退会見を行い、東京パラリンピックで優勝したことがいちばんの思い出になったと述べていた。プロフェッショナルアスリートの最高のステージが、利権と私欲の温床として、いわば「スポーツマネーロンダリング」の道具に利用されていた事実。そのアスリートの業績が偉大で輝かしいほど、むなしさや無常感はさらに強く漂う。

 本間氏もこのように言う。

「この逮捕劇では、フジテレビの子会社であるフジクリエイティブコーポレーションの専務も逮捕されました。しかし、フジテレビはその事実を隠したいためか、逮捕に関するニュースをほとんど報じていません。つまり、フジテレビしか見ていない視聴者は、談合事件で四人が逮捕された事実さえ知らないことになるわけです。自社の犯罪とすらまともに向き合えないテレビ局が、より大きな問題であるスポーツウォッシングについて報道できるはずがありません」

 この一連の問題はこれからも捜査が続き、逮捕者はおそらく他にも出てくるだろう。ただ、これが属人的な私利私欲の事件として落着してしまい、オリンピックという「スポーツマネーロンダリング」装置の徹底的な検証に踏み込むことがなければ、同じことはきっとまた繰り返される。本間氏が危惧し指摘するのもこの点だ。

「収賄で逮捕されたとか談合で逮捕されたとかは報じるけれども、オリンピック全体の総括をしたのかというと、どこもやらないわけです。誰もまともな総括をせずに税金と集めた金を垂れ流して終わる。みんなが一番心配していた最悪のパターンを堂々とやっている。だから、札幌オリンピックを招致したって同じことが起きますよ。

 札幌市の秋元市長は『特定の広告代理店に依存した体質を見直す』と言っているようですが、電通を使わずに自治体主導であれだけの巨大なオリンピック業務を果たしてできるのか。現実問題としてそんなものは〈絵に描いた餅〉で、かなり難しいでしょう。だから、いちばんいい対策は札幌にオリンピックを最初から招致しないことです」

 北海道新聞が昨年12月に行った調査によると、札幌五輪招致は札幌市民の67%が反対、道全体でも61%が反対と回答している。全国に対象を広げたとしても、おそらくこの傾向に大きな差はないだろう。

 では、札幌五輪招致の是非について、競技に参加する当事者のアスリートたちはいったいどう思っているのだろう。やはり世界一のメガスポーツイベントである以上、その一世一代の晴れ舞台に立つために母国開催を望むのか。あるいは、巨大な集金装置の客寄せパンダとして扱われるのであれば、そんなところでは競技をしたくない、と考えるのか。それともその狭間で思い悩み、現在の歪んだ運営体質が改まるならば参加したい、と積極的に組織の健全化を要求しているのか。

 今に始まったことではないが、汗をかいているとき以外の日本人アスリートたちの「表情」は、なぜかまったく見えてこない。彼ら彼女たちの声や意見を糾合できるのは招致委員会やスポーツ庁、各競技団体なのだろうが、むしろこれらの諸団体はアスリートたちが声を上げないことをよしとしている感もある。

 それはサッカーW杯カタール大会のときも同様だった。日本サッカー協会会長の田嶋幸三氏は「サッカー以外の話題は好ましくない」と、選手たちが意見を表明しないことを推奨する旨の発言をし、それを好意的に受け止めるファンの声もあった。じっさいに、冒頭から述べてきたように日本のテレビ放送は、徹底して無色透明なスポーツ中継に終始した。視聴者の側も、日本代表チームの劇的な試合内容に話題が集中したのは当然のこととはいえ、波風を立てず当たり障りのない中継をよしとするメディアや企業の姿勢を、総じて肯定的に受け止めた。

 この「スポーツに政治を持ち込まない」という大義名分の傘の下で社会に無関心でありつづける態度は、日本のメディアや企業姿勢の問題であると当時に、アスリートたちや我々(ファン/視聴者/読者/ユーザー)自身の問題でもある。

「スポーツに政治を持ち込まない」ことはオリンピック憲章にも記されている。だが、はたしてこれは、アスリートたちが世情に背を向け黙っていることと同義なのか。次回は、アスリート・アクティビズムについて考えたい。

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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