ただ、都築の言葉は「感動」だけでは済まない。続けて、こうも言う。
「自身をきちんとコントロールして滑っておりましたが、私からしたらちょっと物足りない感じがしました。
それはやっぱり、ひとりでやっていた弊害だと思います。指導者の目がないと、本人は目いっぱいやっているつもりでも、気づかない部分があるんです。
例をあげれば、ジャンプを跳ぶ前のスピードがいつもより遅い。降りてからの流れがわずかに詰まる。
演技自体は、ああいう形にまとめましたから、終わりよければすべて良しではあります。でも、羽生は、もっともっとできる選手なんです。
ショートで、スピンがカウントされませんでしたが、あれはレベル云々ではなく、ルールに則っていなかった。
自分ではやっているつもりだったと思いますよ。私も夢中で見ていて、最初はわかりませんでした。点数を見て、『あれっ?』と思ったぐらいで。
羽生もそうだったのではないでしょうか。たぶん、自分でもびっくりしたと思います。
本来なら、まったく考えられないですからね。彼にとって、レベル4は当たり前。ましてやスピンなんて、もう本当に。
練習に指導者がついていたら、あんなことは起きなかったと思います」
全日本選手権で、羽生はショートプログラムを「Let Me Entertain You」、フリースケーティングを「天と地と」で踊った。
その演技に、私は魅せられた。圧巻だったと思う。
蛇足だが、海音寺潮五郎の『天と地と』(文春文庫)は、「羽生選手のおかげで増刷になった」そうである。魅せられた人の多さを物語るエピソードだ。
「物足りない」と語る、あるいは語れるのは、都築章一郎くらいではないか。
羽生結弦は、都築の強いプライドだ。大きな喜びだ。師は徹底的に、愛弟子を信じている。すなわち、羽生は、「もっともっとできる選手」なのだ。
都築が誇らしげに言う。言葉に迷いはなかった。
「羽生くらいになりますと、スピードが多少足りなくても、テクニックでジャンプが跳べます。
冒頭のループは加速が足りず、若干後ろにウェイトが残っていますけれど、綺麗な動きをしています。
跳ぶタイミングが完璧で、これはなかなかほかの選手には真似が出来ない。このくらいの加速だと、普通の選手では跳べないと思います。
スピンは、だんだん下手になってきているんですよ。小さいときは、ものすごく上手だったんですが。
高校生の頃は、切りつけられるような回転の速さでした。シニアになると、あまり練習をしなくなるのですが、スピンは、練習すればするほど回転が速くなります。
今も、うまくまとめているはいるけれど、もっとレベルの高いものを見せてほしいと思います。なんと言っても、彼は羽生結弦なんですから」
おそらく、それはストックホルムの世界選手権で披露されるのではないか。
羽生結弦は「戦うことが好き」と言っている。ストックホルムには、好敵手ネイサン・チェンもいる。戦うのにこれ以上の舞台はない。
ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。