宇都宮直子 スケートを語る 第27回

ソーラン節

宇都宮直子

 高橋大輔について訊ねられたら、私はいつも、

「すごくいい人ですよ」

 と答える。

 特に詳しいわけではないけれど、彼が十代の頃から見てきたので「優しいいい人」なのは知っている。

 高橋は不思議な魅力を持っている。

 繊細でシャイな部分と(リンクで表現されるような)大胆で弾けた部分がある。

 愉快な人でもある。誰に対しても、態度が変わらない。丁寧な受け答えをする。礼儀正しい。

 こんなことがあった。

 ちょっと曖昧だが、たぶん、高橋がシングルを引退した頃だったと思う。

 ある会場のミックスゾーンが、たいへん狭かった(リンクへ向かう通路は簡易な仕切りで作られていて、もっと狭くなっていた)。

 優勝者、関係者、取材者が集まって、現場は混み合っていた。私は、そのいちばん後ろでメモを取っていた。

 そこへ誰かが全力でぶつかってきた。通路に飛び込むような勢いで、だ。実際、通路を目指すにはそのくらいの勢いが必要だったと思う。

「痛いっ」

 よろけながら振り向くと、高橋大輔がいた。

「すみません、すみません。大丈夫ですか?」

 真実「申し訳ない」という顔をして、何度も謝ってから、彼は人を縫うように通路を進んでいった。

 高橋は、絶対に覚えていないと思う。とても些細なことだし、ずいぶん前の一瞬に過ぎない。

 でも、私は彼が示してくれた「心配」と柔和な態度が嬉しかった。なんだか和んだ。

 だから、よく覚えている。高橋はほんとうに優しくて、いい人なのだ。

 

 高橋大輔はシングルを引退した後、シングルの競技者として復帰、その後、村元哉中をパートナーとし、アイスダンスに転向した。2020年のことだ。

 村元・高橋組は、愛称を「かなだい」と言った。

「かなだい」は、スター性に溢れていた。きらきらしていて、ずっと見ていたいと思わせた。

 だけど、彼らは3シーズンを終えて、2023年5月に引退を発表した。

 映像で見た記者会見で、高橋はこんなふうに言っていた。

「引退をする大きな要因は、右膝の限界を感じたというところです。

 パフォーマンスする上ではぜんぜん限界を感じていないんですが、レベルをとる技術的な部分で、僕自身の努力ではどうしようもないところにきてしまった。

 それ以上を求めてやっていきたいんですけど、そこに身体がついていかないというのを、今シーズン感じてしまった」

 村元はこう言っている。

「(自分自身は)限界はまだ感じていないが、これ以上に最高のパートナーはいない。

 まだまだ大ちゃんといろいろな作品を作りたいと思えたので、新しいパートナーを探すという選択肢はまったく出てこなかった。

 ずっとそばにいて、隣で見ていたんですけど時には歩けなかったり。膝を貸してあげたいくらいの気持ちでいました」

 つまり、彼女も高橋と一緒に、競技から退くことになった。

 関係者の多くは、「村元はまだ続けられる」と思っていただろう。実際、そうだったかも知れない。

 ただ、私は心底、同意する。村元哉中の「(高橋以上の)パートナーはいない」を熱く支持する。

 ふたり同時に退くことで、彼らは「かなだい」としてリンクに残る。これからも続いていく。それが嬉しい。

 競技者としての3年。短くはあったけれど、最高のシーズンだったと思う。彼らの歩みは、驚異的だった。挑戦する姿勢が、素晴らしかった。

 日本のアイスダンスに、彼らはしっかりと足跡を刻んだ。アイスダンサーとして、果たした役割は大きい。賞賛に値する。

 村元哉中・高橋大輔組のプログラムは独創的で、物語が感じられた。

 中でも、「ソーラン節」は印象深い。好きな作品だ。波音から始まる「どっこいしょ、どっこいしょ」のソーラン節を、ふたりは極めて現代的に踊った。

 振り付けはマリナ・ズエワらの担当だが、後半はヒップホップになっていて、とんでもなく粋な仕上がりだった。

 高橋も言っていたが、それは「すごく、かっこいい」。海のみたまが跳ねているような感じがした。少なくとも、私には、そんなふうに見えた。

 フィギュアスケートでの「和」は、時として歪みを生じる。スピードを要求される競技で、「和」に徹底的に添うのは難しい。

 だが、「かなだい」は違っていた。曲も衣装も日本を強く意識しながら、上手にそこから外れている。

 外れることで違和感がなくなり、ますます日本を感じられる演技、プログラムになっている。

 このプログラムを、こんなにクールに踊れるのは村元哉中・高橋大輔組以外にない。彼らにしか出せない世界だ。

「ソーラン節」の「かなだい」には、色香を感じる。日本の男女の美しさと言ってもいいだろう。

 私は彼らの表現する物語が好きだった。

 だから、これからも楽しみにする。わくわくする。

 彼らが「かなだい」であり続けるかぎり、新しい感動が届けられる。たくさんの人たちへ、村元哉中・高橋大輔の思いが届くのだと思う。

  

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宇都宮直子 スケートを語る

ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。

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プロフィール

宇都宮直子
ノンフィクション作家、エッセイスト。医療、人物、教育、スポーツ、ペットと人間の関わりなど、幅広いジャンルで活動。フィギュアスケートの取材・執筆は20年以上におよび、スポーツ誌、文芸誌などでルポルタージュ、エッセイを発表している。著書に『人間らしい死を迎えるために』『ペットと日本人』『別れの何が悲しいのですかと、三國連太郎は言った』『羽生結弦が生まれるまで 日本男子フィギュアスケート挑戦の歴史』『スケートは人生だ!』『三國連太郎、彷徨う魂へ』ほか多数。2020年1月に『羽生結弦を生んだ男 都築章一郎の道程』を、また2022年12月には『アイスダンスを踊る』(ともに集英社新書)を刊行。
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