高橋大輔について訊ねられたら、私はいつも、
「すごくいい人ですよ」
と答える。
特に詳しいわけではないけれど、彼が十代の頃から見てきたので「優しいいい人」なのは知っている。
高橋は不思議な魅力を持っている。
繊細でシャイな部分と(リンクで表現されるような)大胆で弾けた部分がある。
愉快な人でもある。誰に対しても、態度が変わらない。丁寧な受け答えをする。礼儀正しい。
こんなことがあった。
ちょっと曖昧だが、たぶん、高橋がシングルを引退した頃だったと思う。
ある会場のミックスゾーンが、たいへん狭かった(リンクへ向かう通路は簡易な仕切りで作られていて、もっと狭くなっていた)。
優勝者、関係者、取材者が集まって、現場は混み合っていた。私は、そのいちばん後ろでメモを取っていた。
そこへ誰かが全力でぶつかってきた。通路に飛び込むような勢いで、だ。実際、通路を目指すにはそのくらいの勢いが必要だったと思う。
「痛いっ」
よろけながら振り向くと、高橋大輔がいた。
「すみません、すみません。大丈夫ですか?」
真実「申し訳ない」という顔をして、何度も謝ってから、彼は人を縫うように通路を進んでいった。
高橋は、絶対に覚えていないと思う。とても些細なことだし、ずいぶん前の一瞬に過ぎない。
でも、私は彼が示してくれた「心配」と柔和な態度が嬉しかった。なんだか和んだ。
だから、よく覚えている。高橋はほんとうに優しくて、いい人なのだ。
高橋大輔はシングルを引退した後、シングルの競技者として復帰、その後、村元哉中をパートナーとし、アイスダンスに転向した。2020年のことだ。
村元・高橋組は、愛称を「かなだい」と言った。
「かなだい」は、スター性に溢れていた。きらきらしていて、ずっと見ていたいと思わせた。
だけど、彼らは3シーズンを終えて、2023年5月に引退を発表した。
映像で見た記者会見で、高橋はこんなふうに言っていた。
「引退をする大きな要因は、右膝の限界を感じたというところです。
パフォーマンスする上ではぜんぜん限界を感じていないんですが、レベルをとる技術的な部分で、僕自身の努力ではどうしようもないところにきてしまった。
それ以上を求めてやっていきたいんですけど、そこに身体がついていかないというのを、今シーズン感じてしまった」
村元はこう言っている。
「(自分自身は)限界はまだ感じていないが、これ以上に最高のパートナーはいない。
まだまだ大ちゃんといろいろな作品を作りたいと思えたので、新しいパートナーを探すという選択肢はまったく出てこなかった。
ずっとそばにいて、隣で見ていたんですけど時には歩けなかったり。膝を貸してあげたいくらいの気持ちでいました」
つまり、彼女も高橋と一緒に、競技から退くことになった。
関係者の多くは、「村元はまだ続けられる」と思っていただろう。実際、そうだったかも知れない。
ただ、私は心底、同意する。村元哉中の「(高橋以上の)パートナーはいない」を熱く支持する。
ふたり同時に退くことで、彼らは「かなだい」としてリンクに残る。これからも続いていく。それが嬉しい。
競技者としての3年。短くはあったけれど、最高のシーズンだったと思う。彼らの歩みは、驚異的だった。挑戦する姿勢が、素晴らしかった。
日本のアイスダンスに、彼らはしっかりと足跡を刻んだ。アイスダンサーとして、果たした役割は大きい。賞賛に値する。
村元哉中・高橋大輔組のプログラムは独創的で、物語が感じられた。
中でも、「ソーラン節」は印象深い。好きな作品だ。波音から始まる「どっこいしょ、どっこいしょ」のソーラン節を、ふたりは極めて現代的に踊った。
振り付けはマリナ・ズエワらの担当だが、後半はヒップホップになっていて、とんでもなく粋な仕上がりだった。
高橋も言っていたが、それは「すごく、かっこいい」。海のみたまが跳ねているような感じがした。少なくとも、私には、そんなふうに見えた。
フィギュアスケートでの「和」は、時として歪みを生じる。スピードを要求される競技で、「和」に徹底的に添うのは難しい。
だが、「かなだい」は違っていた。曲も衣装も日本を強く意識しながら、上手にそこから外れている。
外れることで違和感がなくなり、ますます日本を感じられる演技、プログラムになっている。
このプログラムを、こんなにクールに踊れるのは村元哉中・高橋大輔組以外にない。彼らにしか出せない世界だ。
「ソーラン節」の「かなだい」には、色香を感じる。日本の男女の美しさと言ってもいいだろう。
私は彼らの表現する物語が好きだった。
だから、これからも楽しみにする。わくわくする。
彼らが「かなだい」であり続けるかぎり、新しい感動が届けられる。たくさんの人たちへ、村元哉中・高橋大輔の思いが届くのだと思う。
ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。