宇都宮直子 スケートを語る 第29回

リーザ

宇都宮直子

 私にはロシア語の堪能な友がいる。

 日本語と同じようにロシア語を話せるし、ロシアにも住まいがあり、両国を行き来しながら仕事をしている。

 アレクセイ・ミーシン氏やタチアナ・タラソワ氏の取材に同行してくれた。エリザベータ・トゥクタミシェワ選手のときもそうだ。ここに綴る内容は、その友の翻訳による。

 

 2019年の春、サンクトペテルブルクのカフェでエリザベータ・トゥクタミシェワと会った。

 彼女はバカンスで外国に行っていて、少し陽に焼けていた。日本が大好きで、いつも「また行きたい」と思っているのだと言った。

「自分のスケートの魅力は、『コケティッシュ』なところだと思います。

 コケティッシュな部分は、実際に私の中に存在しています。

 それは十代半ばの選手には出せない雰囲気だと思いますし、皆さまにも評価いただいているんじゃないかと思っています」

 当時、モスクワにある国営スポーツ教育センター「サンボ70」が飛び抜けて強かった。十代半ばの選手たちが次々に現れては、多くの試合に勝っていた。

 トゥクタミシェワが世界選手権で優勝したのも15歳だったが、年齢を重ねて彼女はさらに美しくなっていた。

 フィギュアスケートは、競技寿命の短い競技である。ロシアのような環境において、トゥクタミシェワの存在はきわめて異色と言えるだろう。

 1996年生まれの彼女は、このとき23歳になっていた。でも、スケートから離れようとはまったく考えていなかった。

「日本のファンの方々からは、いつも温かい応援をしていただきます。

 私は、日本で演技をするのが大好きなんです。日本の皆さまが持っているプラスエネルギーには凄まじいものがあります。

 氷上に出た瞬間、下手なスケーティングはできない。がっかりさせたくないと思います。

 それぐらい、観客の皆さまには助けられているのです。心を込めて見つめてくださることにとても感謝しています」

 話をしている間、トゥクタミシェワは静かに微笑んでいた。意志と自信が表情から伺えた。

 大げさに言えば、彼女はこのスポーツにおける「希望」だ。このときもそう思ったし、今もそう思っている。

 トゥクタミシェワが現役の選手でいてくれて嬉しい。そういう話をこれからする。

  

 ロシアを取り巻く環境は、著しく変わっている。

 悲惨な戦争が起きた。以降、選手の国際大会への参加は許されていない。

 また「サンボ70」にも変化があった。「鉄の女」と称される名将、エテリ・トゥトベリーゼコーチはもういない。

 2022年9月1日に「モスクワ・フィギュアスケート・アカデミー(モスクワ市スポーツ局追加教育国家予算機関オリンピック予備選手スポーツ学校)」に移動したからである。

 これは、2022年3月にスポーツ業界の再編成が行われ、競技が種目ごとにまとめられることになったためのものだ。

 なお、この「モスクワ・フィギュアスケートアカデミー」の前身は、1998年に設立された「第2オリンピック予備選手スポーツ学校」で、正式に名称変更になったのは2023年1月である。

 トゥクタミシェワが師事しているのは、ロシアの重鎮アレクセイ・ミーシンコーチで、練習拠点はサンクトペテルブルクだ。

 もちろん、彼女も主だった試合には出場できない。現在は、国内の試合とアイスショーに出場している。

 2023年6月には、メキシコで2週間にわたって指導を行った。

 そのときのインタビュー(YouTube「Cafecito con Masha」)から引用をする。26歳になったトゥクタミシェワの言葉だ。

「(キャリアの中で、最高に良かった瞬間を問われ)良かった瞬間というのはたくさんあったので難しい質問ですが、遠い過去を振りかえらなければ、2021年の世界選手権で2位になったことです。

 それは私にとって重要なメダルでした。

 このメダルを獲得するまでの道のりは長く険しかった。キャリアの中で、これが美しく、忘れられない瞬間だったと思います。

 2015年に世界選手権とヨーロッパ選手権を勝ったあと、その後の二年間は自分自身を少し見失っていました。

 2017年、私には何かを変えなければいけないときが訪れました。つらい日々でした。

 でも、人は結局のところ、どん底まで落ち込むと何らかの結論を導き出し、変えるための決断をしなければいけなくなるものです。

 そして、私は2018年にまるで生まれ変わったようになりました。トリプルアクセルを取り戻し、キャリアの中で新しい道が始まったのです」

 サンクトペテルブルクで会ったとき、彼女はオリンピックに出たいと言っていた。それが大きな目標だと話していた。

 実際、彼女は健闘する。

 だけど、「新しい道」は行きたい場所へは繋がっていなかった。

 2022年の北京オリンピックは、彼女にとって最後の出場チャンスだったろう。このシーズン、トゥクタミシェワは好調だった。しかし、ロシア選手権の7位がすべてを決める。彼女は北京の補欠となった。

 このことについては、こう話している。

「(結果は)ハードではありませんでした。

 私たちのところには、オリンピックに選ばれた3人の美しく強い少女たちがいるのを理解していました。

 オリンピックに選考されるために、私はできることをすべてしました。(その上で)私は理解していました。彼女たちが選ばれたのは正しかったということを。

 なぜなら、彼女たちは私より強かったからです。彼女たちには4回転ジャンプがありました。

 私はすべての状況を理解し、それを受け入れ、我が道を歩き続けたまでです」

 なかなか言えない言葉だと思う。ほんとうに、トゥクタミシェワは素敵だ。

 私はこれまでいろんな競技の取材をしたが、若い世代の台頭に苦しむ選手は多かった。高いレベルにいる選手ほど、そうだった。彼らはある意味、命がけでオリンピックを目指していた。

 トゥクタミシェワの「どん底」からの決断が、彼女を成長させたのは間違いない。そして、「新しい道」にはこんな成果も用意されていた。

 2022-2023シーズン、12月に行われたロシア選手権で、彼女は3位となった。8年ぶりとなる表彰台だった。

 言うまでもなく、ロシアの少女たちは強い。複数の4回転を持つ選手もいる。3位入賞は驚異的だ。素晴らしい。

 フィギュアスケートを長く続けていられる理由については、過去に私も訊ねた。メキシコではこう答えている。

「私の素晴らしいコーチです。そして、私自身がフィギュアスケートが大好きだということ。

 滑走しているときも好き。新しいプログラムを作っていく課程も好き。何かを創造していく過程が大好きなんです。

 人間、本当に何かが大好きだったら、自分がやっていることが大好きだったら、止まらないことや継続していくことは、すごく簡単なことです。

 私が理解している大事なことは『私がさらに多くのことができる』ということ。私にできることは、これで終わりではないと常に感じています。

『私には力がある。だから続けなければいけない』と感じるんです。なぜなら、今が自分の限界ではないと私は知っているから」

 トゥクタミシェワについては、いつか長い読みものを書きたいと思っていた。このエッセイは短いけれど、私なりの賛辞である。

 彼女にも引退の日は、必ずやってくる。

 それでも、その先にも道は続いている。彼女は、また多くのことができるのだ。

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宇都宮直子 スケートを語る

ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。

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プロフィール

宇都宮直子
ノンフィクション作家、エッセイスト。医療、人物、教育、スポーツ、ペットと人間の関わりなど、幅広いジャンルで活動。フィギュアスケートの取材・執筆は20年以上におよび、スポーツ誌、文芸誌などでルポルタージュ、エッセイを発表している。著書に『人間らしい死を迎えるために』『ペットと日本人』『別れの何が悲しいのですかと、三國連太郎は言った』『羽生結弦が生まれるまで 日本男子フィギュアスケート挑戦の歴史』『スケートは人生だ!』『三國連太郎、彷徨う魂へ』ほか多数。2020年1月に『羽生結弦を生んだ男 都築章一郎の道程』を、また2022年12月には『アイスダンスを踊る』(ともに集英社新書)を刊行。
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リーザ