「少年刑事合議部」は架空の部署
このドラマはフィクションであり、主要な登場人物である4名の判事も、部分的なモデルはいるものの実在の人物ではない。また4名のバックグラウンドや関係性は余りにも御都合主義的で、一昔前の韓国ドラマ風だと不満を持つ人もいる。好き嫌いは当然あるだろう。
最大のフィクションは、4名の所属先である「少年刑事合議部」が実際には存在しない、架空の部署である点だ。実際のところは、一般的な「少年保護事件」と、検察なども関わる「少年刑事事件」が、同じ場所で裁かれることはない。この件は韓国でも注目されており、ニュース番組にドラマの法律諮問を担当した弁護士が出演して、解説もしていた。
「通常、未成年者に保護処分を下すのは、家庭裁判所や地方裁判所の少年部の判事が単独で行います。容疑が重大で満14歳以上の少年犯は少年刑事事件に分類され、地方裁判所の刑事部が担当します。この両者を同時に扱う少年刑事合意部は仮想の法廷です」(ヤン・ソヨン弁護士の相談所 2022年3月22日YTNラジオ)
https://www.ytn.co.kr/_ln/0103_202203221148234515
つまり通常は韓国でも少年保護事件については、日本と同じく判事ではなく調査官が主に調査や聞き取りなどを行い、また審判の場でも判事たちも法服などは着ずに、少年たちが心を開きやすいような雰囲気で行われるという。
わざわざ現実にはない部署をつくり、威圧的な法廷で保護事件と刑事事件を一緒に裁くという演出。ストレートにそんな法廷が望ましいという意味でもないだろう。ただ少年犯罪に関しては、保護と処罰を明確に区別すべきではないという思いは伝わってくる。
また、このドラマの4名の判事の少年事件に対する考え方や姿勢は異なっており、その対立がドラマの重要な見どころとなっている。韓国も日本と同じように、未成年者による大きな事件が起こるたびに、「少年法の改定」が話題になる。成人同様の厳罰を望む声や、刑事事件の対象年齢を下げる議論、それらに反してあくまでも保護の原則を貫き、未成年者には更生の機会を与えることを優先すべきだという意見も根強い。専門家の意見も決しては一つではない。
厳罰か保護かという二元論的で語られがちなテーマを、ドラマ『未成年裁判』では4人の判事を対立させることで、より俯瞰して見られるようになっている。
「大人として、申し訳ない」
このドラマで印象に残った台詞がある。それは最終回の法廷におけるナ部長判事の「大人として、申し訳ない」という一言だ。これは判事が過去に自分が下した判決(審判)について反省を述べるシーンなのだが、その謝罪が「判事として」とか「法の番人として」ではなく、「大人として」なのである。
ナ部長判事が5年前に関わった過失致死事件、加害者は当時11歳の少年だった。少年保護事件ということで裁判(審判)はわずか3分で終了。また少年事件は非公開が原則であり、被害者家族は自分の子どもが無くなった経緯をきちんと知ることもできなかった。少年たちはその後にも大小の犯罪を繰り返し、ついに重大事件の被告として法廷に立つことになる。
「(あの時点で自分の下した)処分は間違ってない」と言う部長判事に対して、部下であるシム判事が詰め寄る。
「部長が教えるべきでした。家庭も学校も誰も叱ってやらずに、気づかせてやらなかった。せめて裁判所だけでも彼らを叱り、教えるべきでした。それが我々の役割ですから」「どうして部長には使命感がないのですか?」
日本語字幕では最初の部分は「反省させなかった」となっていたが、元の韓国語の台詞には2回出てくる「叱る」という言葉が、あとで述べるように実に韓国らしいと思った。日本の少年法関連の書籍などもいろいろ読んでみたが、「叱る」という表現は見られず、「少年たちの気持ちに寄り添う」というニュアンスの表現が多いような印象を受けた。
その後、少年たちはさらに大きな罪を犯したことが発覚したことで、部長判事の気持ちに変化が生じる。少年たちの審判は検察への逆送となり、その決定を下した後に部長判事は次のような発言をする。
「私には判事としての信条が1つあります。その信条とは『私の法廷には感情はない』。それは偏見を持たずに処分を下すためにです。しかし遅まきながら、少年事件においては、それではいけないと気づかされました」
ここまでは予想通りだった。韓国ドラマの結末の多くは、主人公と対立する側が反省して、両者が和解することはセオリーだからだ。
ところがそれに続く台詞は意外だった。
「ですから私のせいで傷ついた多くの方々に、この言葉を伝えたいと思います。大人として申し訳ない」
韓国語の原文を直訳すると「ごめんなさい、大人として」であり、さらにストレートな謝罪に聞こえる。謝罪の相手は「傷ついた多くの人々」と本人が述べており、彼女の視線の先には過去の事件の被害者家族や、他の判事や調査官たちがいる。ところがその謝罪の言葉が「判事として」ではなく、「大人として」発せられているというのだ。
プロフィール
ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。