130年目の映画革命 第2回

『マンク』—フィンチャーによるハリウッドへの決別宣言

宇野維正

 『マンク』の脚本の第1稿は、90年代にジャック・フィンチャーがジャーナリストとしての仕事を引退して、自宅で執筆に専念するようになってから仕上げられた。父親から脚本を渡されたフィンチャーは監督として映画化のために動き、マンキウィッツ役にケヴィン・スペイシー、ハーストの愛人マリオン・デイヴィス役にジョディ・フォスターというキャスティングで、『ゲーム』の次の監督作として制作に入る予定だったが、「『市民ケーン』と同じように白黒フィルムで撮影したい」というフィンチャーの要求をスタジオは受け入れなかった。しかし、フィンチャーがその時に『マンク』の企画に固執せずに次の『ファイト・クラブ』(1999年)へと向かっていったのは、当時、映画界全体からの大きな期待を背負っていた気鋭の若手監督にとっては自然な流れだったと言えるだろう。

 

 2003年、ジャック・フィンチャーが72歳で亡くなった後、フィンチャーにとって『マンク』は常に次に撮る作品の第一候補だったという。そこから17年、脚本の第一稿を最初に手にしてから数えると30年近くの年月を経て、こうして『マンク』は実現したことになる。「脚本家になりたい」という父の果たせなかった夢をようやく叶えた息子、というのは美しいストーリーではあるが、この17年、あるいは父の脚本を最初に読んでから約30年の年月こそが、フィンチャーを内因的にも外因的にも『マンク』を撮る必然へと向かわせたとも言えるのではないだろうか。フィンチャーは最新のインタビューで次のように語っている。

 

「40年も映画の仕事をしてきたのに、たったの10作しか撮れていないことを奇妙に感じずにはいられない。実際には11本だが、自分の作品と言えるのは10本だからね(以前からフィンチャーは最終編集権をスタジオに奪われた『エイリアン3』を自作として認めていない)。客観的に言うなら、それはかなり恐ろしい事実と言えるだろう」

https://theplaylist.net/david-fincher-netflix-exclusive-deal-20201111/

 

 2010年代以降、フィンチャーが発表した長編映画は『ソーシャル・ネットワーク』、『ドラゴン・タトゥーの女』、『ゴーン・ガール』(2014年)の3作。『ドラゴン・タトゥーの女』と『ゴーン・ガール』は世界的ベストセラーの映画化であり、その両作に挟まれた2013年からは、Netflixのテレビシリーズ、『ハウス・オブ・カード』(2013〜2018年)と『マインドハンター』(2017〜2019年)でフィンチャーはシリーズのショーランナーと一部主要エピソードの演出を手がけてきた。つまり、今回の『マンク』はオリジナル企画の映画としては『ソーシャル・ネットワーク』以来10年ぶりの作品であり、これまで「映画は既存のハリウッドメジャーと、テレビシリーズはNetflixと」と作品の形式によってプラットフォームを分けてきたフィンチャーが、その境界を超えて初めてNetflixで撮った映画ということになる。

 

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 1950年代以降のウェルズがそうであったように、いや、もしかしたらそれ以上に、フィンチャーは同業者の映画監督、役者をはじめとする現場の関係者、そして批評家から尊敬を集めている名匠だ。しかし、尊敬が集まるのと、作品に資金が集まるのは別の話。フィンチャーが作る作品は、ブロックバスター作品ほどの予算は必要としないが、一般的なヒューマンドラマやコメディ作品よりは高くつく。そして、その中間にある作品こそが、この10年間のハリウッドで根こそぎ失われてしまったものだ。

 

 現在のフィンチャーは、「私はこれまで何一つ成し遂げてこなかった」というマンキウィッツの嘆きに、いくらかの個人的な実感を込めることができたのではないだろうか。ハリウッドで夢を叶えられなかったのはジャック・フィンチャーだけじゃない。50年代以降のウェルズも、2010年代以降のフィンチャーも、ハリウッドが扱いきれなくなった映画作家という意味では、その境遇は変わらない。『マンク』の脚本を読んだフィンチャーが、父親にアドバイスをしたのは次の一点だったという。

 

「父はハリウッドが内在しているシニシズム、つまり、ハリウッド特有の社会病質者的な磁力を理解していなかった」

https://www.nytimes.com/2020/11/19/magazine/david-fincher-mank-interview.html

 2003年にジャック・フィンチャーが亡くなった時、残された『マンク』の脚本は第8稿まで重ねられていたという。『マンク』はそのルック、視覚的なテクニック、サウンドデザインだけでなく、全体の構成においても『市民ケーン』を信じられないほど巧みになぞった作品だが、一つ大きく違うのは、その脚本に最初のきっかけと決定的なアドバイスを与えた男の名前が、脚本のクレジットに連名で記されていないことだ。

 

(次回へ続く)

 

 

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 第1回
130年目の映画革命

トーマス・エジソンが「個人のための映像視聴装置」であるキネトスコープを発明してから2021年で130年。NetflixやAmazonがもたらした構造変化、テレビシリーズを質と量ともにリードし続けるHBO、ハリウッドの覇権を握るディズニーのディズニープラスへの軸足の移行。長引く新型コロナウイルスの影響によって「劇場での鑑賞」から「自宅での個人視聴」の動きがさらに加速する中、誕生以来最大の転換期に入った「映画」というアートフォーム。その最前線を、映画ジャーナリスト宇野維正が「新作映画の批評」を通してリアルタイムで詳らかにしていく。

プロフィール

宇野維正

1970年、東京都生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌の編集部を経て、2008年に独立。著書に『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)、『くるりのこと』(共著:くるり、新潮社)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)、『日本代表とMr.Children』(共著:レジ―、ソルメディア)、『2010’s』(共著:田中宗一郎、新潮社)。

 
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『マンク』—フィンチャーによるハリウッドへの決別宣言

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