ディープ・ニッポン 第1回

国東(1) 杵築、鍋山・三ノ宮の景

アレックス・カー

雨風に晒された阿弥陀三尊のような奇景

 杵築市をあとにして半島の内陸部に入っていきます。

 大分県道の豊後高田安岐線を桂川沿いに車で進むと、太い列柱状のゴツゴツした岩峰が目に飛び込んできました。「三の宮の景」と名付けられたこの奇景は、両子山の火山活動によってできたものです。

 ここから三十五キロメートルほど西に行った中津市には、ダイナミックな線形の崖の眺めから「日本の三大奇勝」に数えられる「耶馬溪やばけい」があります。耶馬溪という名は、江戸時代の文人、頼山陽らいさんようが中国風に命名したもので、それ以降、国東で奇景をなす峰々は「◯◯耶馬」と呼ばれるようになりました。

 六郷の一つ、田染エリアに位置するこの三の宮の景にも「田染耶馬たしぶやば」という別名が付いています。中津の耶馬渓は、山や川が広大で、近くに大きな道路や駐車場がありますが、鍋山・三の宮の景は、浅瀬に敷かれている数点のブロックを踏むだけで対岸まで渡れるぐらいです。川幅はそれほど広くなく、山の高さも控えめで、どちらかといえば彫刻のようにも見えます。三の宮の景の近くには、有名な「鍋山なべやま磨崖仏まがいぶつ」があります。この一帯の地質である火山砕屑岩は、磨崖仏の彫刻には最適なものなのでしょう。

鍋山・三の宮の景

 実は、最初にこの眺めを見た時、私の頭は国東半島の代名詞ともいえる磨崖仏で占められていました。だからなのか、この山を磨崖仏だとすっかり錯覚してしまいました。丸みのついたてっぺんの部分が仏像の首、緩やかに広がった裾部分は結跏趺坐けっかぶざの足組みに見えて、長年雨風に晒された阿弥陀三尊のようだったのです。

 そもそも「三の宮」という命名が、私には仏像の様式を喚起させます。神道では高天原の神話や神社の祭壇に「三柱の神」の発想があり、仏教では「阿弥陀三尊」「釈迦三尊」など、真ん中の主尊、左右に両侍という三尊スタイルがあります。当時は神仏習合でしたので、神道も仏教も基本的には同じような存在であり、私が勘違いしたように昔の人々にも、この山が三柱の神、もしくは三尊の仏に見えていたのかもしれません。

 三の宮の景では、麓まで歩いて近付くことができますが、これはまさに日本の土木工事の賜物といえるでしょう。工事はだいぶ前に行われたもののようで、経年劣化で地肌が黒ずんだコンクリートは、ある程度周囲の自然にも馴染んでいました。道路側のコンクリート護岸には、「ふれあいの河川整備事業」という、公共工事につきもののスローガンがありました。なぜか日本の役所は「ふれあい」という言葉が大好きです。

「ふれあいの河川整備事業」看板(撮影:アレックス・カー)

「天の手」によって彫られた鍋山・三の宮の景の、自然による阿弥陀三尊は、私にとっては六郷満山の玄関口と思われました。三の宮近辺にある国東の代表的な磨崖仏、「鍋山磨崖仏」「熊野磨崖仏」などを見ることが、今回の旅の大きな目的の一つですが、実は国東半島はもう一つ、偉大な歴史遺産を抱えています。磨崖仏をいったん後まわしにして、先にそちらへ行くことにしました。

構成・清野由美 撮影・大島淳之

(つづく)

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オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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