日本庭園は苔、石、松、紅葉、竹垣、池、砂、灯籠などを絶妙なバランスに配置した自然の芸術作品です。世界的に有名な香川・高松の栗林公園から、京都の禅寺の枯山水まで、日本の庭はいまも昔も観光客を惹きつけてやみません。
さて、私は子供の時から、これらとは別の種類の日本の庭を愛していました。その庭に上述した要素は何一つ見当たりません。私の愛する庭園は田んぼです。
イタリアの葡萄畑やフランスのマスタード畑のように、農業が美しい風景を作り出す例は世界中にあります。日本では稲作のほかに、瀬戸内海周辺のみかん畑や北海道美瑛町の花畑など、種類は多岐にわたります。私が五十年前に築三百年以上の古民家を取得した、徳島県祖谷の山の斜面はススキに覆われています。ススキは刈ると屋根を葺くカヤになるので、私にとってススキは野生の植物ではなく、農業景観の一つです。
そのように、さまざまな田園風景がある中で、もっとも美しいと思うのは、やはり水田です。
稲は水生植物ですので、治水管理のために水田の周りには水路とあぜ道が作られ、その効果で田んぼは額縁に収められた絵画のようになります。
日本では田植えの時に苗を一定間隔で真っすぐに植え付けていくので、田んぼの中に細い幾何学的な線が現れます。春は水を張った表面が鏡のように青空と雲を映し込み、やがて繊細な稲穂が育つと、刈り込まれた芝生の庭のような眺めになります。夏に稲穂は強烈な緑へと色を濃くし、秋になるとパステルグリーンと黄色を経て、金色に変化していきます。水を張るため、傾斜地では棚田が作られ、あぜ道は等高線のような曲線を描きます。このように田んぼの「パズルピース」が組み合わさって、心に訴える「アースアート(大地の芸術)」が生まれていきます。枯山水に劣らず、手の込んだ技術と管理が必要とされる水田は、れっきとした「庭園」といえるでしょう。
棚田が庭園だという発想は、実は私が思い付いたものではありません。江戸時代初頭、後水尾天皇が京都に修学院離宮を築いた時、山を三つのレベルに分けて庭園を設計し、第二と第三の庭園の間を田畑にしました。離宮は侘びた別荘として作られたもので、ここでは田んぼが天皇の庭になったということができます。棚田は現在も残っていて、宮内庁と契約した農家が耕作しています。
そんな日本の水田風景をさかのぼっていくと、奈良時代の律令制に辿り着きます。開拓すれば個人でも水田を私有化できるという「墾田永年私財法」が743年に発布され、これをきっかけに全国で開墾が進んで、貴族や寺院が抱える大規模な荘園へと発展していきました。
都から離れた地方、特に平坦な土地の少ない場所では、地形の形状にあわせて田んぼが作られました。こうした水田は中世から日本各地の荘園にありましたが、近年の公共工事、工場、宅地開発、そして国の積極的な圃場整備によって、現在では徐々に姿を消しています。しかし国東半島の「田染の郷」には、荘園の水田がほぼ完全な形で残っていました。
新潟県十日町の越後松代棚田群、能登半島の白米千枚田、三重県の丸山千枚田など、田んぼハンターの私は、これまで原型の姿を留める棚田を探して、全国各地を巡ってきました。十日町の棚田群はいまもきれいな状態で残っていますが、白米千枚田は隣に鉄筋とコンクリートの「道の駅」が建てられ、棚田の規模が見事な丸山千枚田は、そのど真ん中にスイスシャレーに似せた“交流促進センター”が作られました。
田染の田園風景はどうなっているのか、期待と不安を抱きながら車で向かいましたが、果たして到着してみたら、周囲に不調和な建造物や看板は一つもありませんでした。これはいまの日本では、もう幻といってもいい眺めです。集落を囲む山々にはいくつか展望スポットがあり、その一つから私たちは溜め息混じりに眼下の景色を眺めました。
平安時代から田染地方の水田はずっと宇佐神宮の荘園でした。宇佐神宮の古文書や古い地図を航空写真と照らし合わせると、当時からほとんど変わっていないことも分かります。千年前の水田の姿がいまも残っていることは、奇跡的です。
もちろん、ただ何となく残ったわけではありません。第1回で触れた杵築の城下町と同様に、田染の水田も「運命の岐路」を乗り越えた歴史があります。
1990年代の終わりごろ、国による圃場整備が田染に迫った時、住民の一人である河野精一郎さんがそれに抵抗して、景観の保存運動を始めました。当初、農家の多くは関心が薄かったようですが、河野さんは一軒一軒をまわって説明を繰り返し、ついに人々の意見をまとめるに至りました。このような千年の歴史景観が「運命の岐路」に直面した時、意外とたった一人の存在、その人の努力が危機を救うことがあります。
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