ディープ・ニッポン 第1回

国東(1) 杵築、鍋山・三ノ宮の景

アレックス・カー

 2020年に刊行した『ニッポン巡礼』の取材で、すぐれた文化や自然があるものの、あまり人に知られていない十か所の「かくれ里」を私は訪ねました。

 その旅の途中、日本には二つの異なった文化が共存している、と思うようになりました。一つは近代の開発や観光によって一変した日常生活と自然風景です。それがいまの日本の90%といえるかもしれません。しかし、あとの10%には、従来の自然環境、ロマンが漂う古い町並み、神社と寺が残っています。

 そのような場所を英語で表すと「ディープ」となります。文字通り「深い」「奥」という意味のほかに、「オリジナル」「ほんもの」「純正」「真の姿」と解釈することもできます。

 今回は『ニッポン巡礼』に続けて、さらにディープな日本を探求するべく、六つの土地を回りました。

 日本人は自国を「狭い国」と考えがちですが、無数の山、谷、島で構成される東西南北数千キロに及ぶ日本列島は、総面積で測るとイギリスの一・五倍もの広さになります。国水域も広大で、排他的経済水域を基準にしてみると、日本の海域はインドやブラジルをしのいで世界第六位。鎌倉時代から江戸時代まで、長く続いた封建時代に国土は数百の藩に区切られ、文化圏も細かく分けられることになりました。その結果、「広い国ニッポン」に、近代の変化が行き届いていない場所が、ところどころに残されました。山と谷、離島、かくれ里を探せば、ディープな文化と自然との出会いがあります。それらに出会うためには、それに伴う心――そうしたものを愛する心情と智恵も大事だと思います。

 一方、SNSの浸透以降、辺境というものは世界にますます存在しにくい時代になりました。「マチュピチュなう」のように、どんなにアクセスが難しい秘境でも、「インスタ映え」の情報がひとたび拡散されてしまえば、世界中から旅行者がやってきて、意味の薄い言葉とともに、その地が消費されていくようになりました。秘境に限らず、フィレンツェのウフィツィ美術館や京都の三十三間堂など、文化的、歴史的な場所も同じです。

 ウフィツィ美術館も三十三間堂も、世の中がアフターコロナになるやいなや、観光客を乗せた大型バスが次々とやってきて、ラッシュアワーの山手線かと思うほどの混雑ぶりに戻りました。しかし、人はウフィツィ美術館や三十三間堂に出かけても、すぐそばにあるバルジェロ美術館、あるいは三十三間堂と同じ東山区にある六波羅蜜寺までは足をのばしません。いずれも文化的価値でいえば世界トップクラスの場所であるにもかかわらず、です。しかし、観光公害の観点からいえば、そのように流行の波の盲点となることで、私たちにとって大切な場所は、かえって消費の波から逃れ、少しでも長い寿命を保つようになるとも思われます。

 日本の各地には、そのようにして歴史的に生き延びた場所がたくさんあります。そして、その中でもさらに知られていない奥深い場所が、いまもなお、ひっそりと物語を紡いでいます。

 今回も『ニッポン巡礼』と同じく、編集・構成を担当するジャーナリストの清野由美さん、フォトグラファーの大島淳之さんと私の三人でチームを組んで、各地に赴きました。

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第2回  
ディープ・ニッポン

オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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