地方局の報道記者ながら、「あの人の番組なら、全国ネットされたらぜひ観てみたい」と広く期待を担っているテレビドキュメンタリストがいます。毎日放送の斉加尚代ディレクターです。同局で制作された『沖縄 さまよう木霊』(2017)、『教育と愛国』(2017)、『バッシング』(2018)はいずれもそのクオリティと志の高さを表しています。
本連載ではその代表作『バッシング』について取材の過程を綴りながら、この社会にフェイクやデマ、ヘイトがはびこる背景、そして記者が活動する中でSNSなどによって攻撃を受ける現状に迫っていきます。
裁量労働のほうが一般労働より労働時間が短い?
法政大学キャリアデザイン学部教授、労働学者の上西充子さんは、2018年5月に国会で流通している話法の欺瞞をツイッター上で鋭く指摘した投稿が話題になりました。その後、あちこちで引用されている「ご飯論法」と名付けられたその内容は、当時の国会で政府答弁の中身のない在りようを突くものでした。
Q 朝ごはんは食べなかったんですか?
A ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)
Q 何も食べなかったんですね?
A 何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので……
Q では、何か食べたんですか?
A お尋ねの趣旨が必ずしもわかりませんが、一般論で申し上げますと、朝食を摂る、というのは健康のために大切であります
以上のように、はぐらかしやすり替え、不誠実なごまかしが国会で繰り返されている、質問に答えず時間だけが空費されている。上西さんはこう指摘してメディアに次々と取り上げられていきます。次第に広がった「ご飯論法」は、この年の流行語大賞にノミネートされるに至ります。その授賞式の場面が番組『バッシング』のエンディングになるという、これも当初は予想していなかった展開でした。
そもそも上西さんは、「ご飯論法」で注目される以前の同年2月、当時国会で審議中だった「働き方改革法案」をめぐり、安倍首相(当時)の答弁が「おかしい」とWeb記事で指摘し、メディアの取材を頻繁に受けるようになったといいます。
のちに撤回せざるをえなくなった安倍首相の答弁(2018年1月29日)は、次の通りです。
その岩盤規制に穴をあけるにはですね、やはり内閣総理大臣が先頭に立たなければ穴はあかないわけでありますから、その考え方を変えるつもりはありません。それとですね。厚生労働省の調査によればですね、裁量労働制で働く方の労働時間の長さは平均的な方で比べればですね、一般労働者よりも短いというデータもあるということはご紹介させていただきたいと思います。
もともとJIL=日本労働研究機構(現在のJILPT=労働政策研究・研修機構)の研究職だった上西さんは、厚労省が所管する研究調査機関で働いた経験値から労働分野のデータについて幅広い知見を持っていました。
労働時間は法律で「一日8時間」の上限が決められています。労働者が人間らしく生きるために勝ち得た権利で、一般労働者は、時間をその対価の基準としています。いっぽう裁量労働制は、実際の勤務時間ではなく、みなし労働時間で給与が支払われるので、時間に縛られないと考えることもできます。極端に言えば一日2時間の実労働で結果を出しさえすれば給与をもらえるのですが、実際はそう単純ではありません。裁量労働と言っても過労死は発生します。勤務上の目標設定は、本人ではなく企業経営者や管理職が行うことが多いのです。
「裁量労働のほうが一般労働より労働時間が短い」という答弁に対して、「えっ? そんなデータどこにあるの?」と上西さんはまず疑問に思ったといいます。2月14日から「裁量労働制データ偽装 野党合同ヒアリング」が開催され、その席に上西さんも参加し、労働時間の平均の比較ができるような調査データではなかったことを突き止めました。
恫喝のように感じた橋本岳議員の言葉
政府が示したデータが間違っていると指摘して以降、「左翼学者」「反日学者」とネット上で誹謗されるようになっていきますが、上西さんに対するバッシングの決定打になったのは、自民党の厚生労働部会長・衆議院議員の橋本岳氏の発信です。上西さんを名指ししてフェイスブック上に2800字を超える長文の感想を綴って非難したのです。
当時、上西さんは、一連のデータ偽装について「政権の意図に合うよう捏造されたものと考えられる」とWeb記事で連載を開始したばかり。橋本氏の投稿は、3回目の記事を5月5日に、4回目の記事を7日未明にネット公開したその日の夕方の出来事でした。「それによって4回目以降が書けなくなり、連載が頓挫した」と話しました。
橋本氏のフェイスブック(2018年5月7日18:25)の文章の一部を掲載します(原文ママ)。
このシリーズで上西教授が改めてとりあげている論点は、『その不適切な表の作成が、誰かの指示により意思を持って捏造されたものなのではないか』にあるのだと認識しています。ひらたく言ってしまえば、総理なり厚労相なりが指示して捏造したのではないか、と疑われているのでしよう。(略)
優秀な厚生労働省官僚が、指示命令もなくそんな不適切なことをするわけがない、という思い込みが上西教授には強すぎるように思われます。(略)
その上、いきなり国会で答弁せず、野党に示した理由は「認識の刷り込み」を狙つたのだなどという説明は、後付けで墳飯ものもいいところの理屈です。そんな高度な深課遠慮にしては肝心の資料がズサン過ぎませんかね。なくとも当時の大臣政務官として、そんなこと見たことも問いたこともありません。単に、先に部門会議でひたすら要求されたから、です。このシリーズは未完ですから、ここまで「意図した捏造」と指摘するからには、「捏造を指示した連絡」などがそのうちきつと証拠として示されるものと期待しています。これがあれば、決定的になりますから。
このあと「上西教授の、今回の裁量労働制関係データ問題を巡る一連の検証には、心から敬意を表します」とちぐはぐなメッセージが付記されて文章が続きます。上西さん本人は「噴飯もの、もう書くな」と恫喝されたに等しく感じたといいます。
その後、上西さんは異議申し立ての記者会見を厚生労働省の記者クラブで行いました。「不当な圧力に対して黙っていてはいけない」と決意したのは、「東京過労死を考える家族の会」の代表・中原のり子さんが「働き方改革法案」をめぐって必死に声をあげる行動を自身が目にしていたからだそうです。
この会見を通して、上西さんが出会った重要なワードがありました。それは、会見に立ち会った弁護士が「これは、国会議員による学問の自由への侵害なのだ」と述べたときに「ああ、そうか」と初めて気づいたというのです。「自分がハラスメントを受けている立場にいると大局的な視点は見失いがちになる」と後に上西さんは語っています。
橋本岳議員は、岡山を地盤とする橋本龍太郎元総理の息子で3世議員。いわば自民党のサラブレッドです。「働き方改革法案」の国会審議について意見を聞きたいと秘書を通じて取材を申し込みました。その際、秘書からは上西教授とのSNS上のやりとりについては質問を避けてほしいと依頼されたと記憶します。しかし、カメラの前で語りだした橋本議員はそんなことはまったく気にしていない様子でした。
裁量労働制のデータ問題とフェイスブックの件について率直に尋ねてみると、橋本議員は次のように釈明しました。
あれは不適切でしたね。もしかしたら自分もその責任があるかもしれないと思っています。一端はあるでしょう。当時、政務にいたんだから。疑いを持たれたということに対して、感情的になってしまったということがあったわけです。
ただ感情的になってモノを書くとですね。筆がすべるということになりまして、結果として思い込みで書いたものについては削除すると、お詫びをして削除するということをしたわけです。なので、感情的に筆を走らせてはいかんというのが、私のあれなわけです。落ち着いて書こうね。
私たちのカメラの前で笑みを浮かべて話すのはなぜだろう。そのほころんだ表情から伝わる語り口に戸惑いを覚えます。とても軽いのです。国会議員の「ことば」の重みは、どこへ行ってしまったのかと心配になりました。
「学問」というのは、その字が語るように「問う」こと、つまり批判的思考と探究的思考を土台にして問題提起することから始まります。「常識を疑え」というのも学問のセオリーのひとつです。もし学問が政治や社会に対して「問い」を立てられなくなったら、社会は進歩せず、後退するでしょう。政治家が好きな言葉を借りれば「国益を損なう」事態を招きます。
上西さんは、政治家と対決してやろう、なんて、これっぽっちも考えていませんでした。裁量労働制のデータの不備を専門家の立場から指摘し、その原因を問おうとしただけです。
逆に時の政権や特定の政党に与するような学者ばかりになり、学問が政治のしもべになったらどうなるでしょうか。当時の流れと心境を以下のように正直に語ってくださる上西さんの姿からは、その人柄がにじみでていました。
すごく素朴にこんなの調査結果とか言ってはだめでしょ、とアカデミックな指摘をしたわけです。最初ね。だけれど、アカデミックな指摘で深い闇が見えてきちゃって。その深い闇に私が言及すればするほど、問題は根深いことが見えてきた、そうすると、働き方改革という策略全体に対して私が先頭に立って旗を立てて違うぞって言っているような、ちょっと違うぞじゃなくて、これって加藤大臣や安倍首相と正面切って対峙していることになるんだなあと思って……大丈夫かなと思いましたね。
いつのまにか安倍政権と真っ向勝負する存在と周囲からみなされてしまい、左翼活動家モドキとネット上で中傷されるようになります。上西さんの立場はあくまで研究者、労働学者であり、行ったのは「そのデータは事実ではない」というシンプルな指摘です。しかし、誰かが「レッテル張り」することで、バッシングの大波が押し寄せてくるのです。
「国会パブリックビューイング」と「政治と報道」
「テレビが流さないなら街で流そう」
上西さんが居ても立っても居られなくなり、みずから小さなメディアとしての役割を果たそうと試みた取り組みがあります。それは街中で小さなスクリーンを立てて国会答弁の様子を流すという「国会パブリックビューイング(国会PV)」。2018年6月から始まったその取り組みをツイッターで知った私はとても共感し、上西さんに取材を申し込もうと決めたのでした。
いっぽうで初対面では伝えませんでしたが、この新たな取り組み自体も安倍政権支持の人びとから標的にされるのではないか、と危惧しました。ただ、上西さんがネット空間や大学から飛び出し、自ら街に出てゆくというその発想は、メディア激動の時代にマッチしていると感じられたのです。
上西さんのメディアへの指摘は、テレビディレクターの私には耳の痛い内容ばかりです。テレビや新聞がきちんと政府答弁の問題点を報じていない。論点ずらしや答弁拒否などあからさまに不誠実な答弁を政権側は繰り返しているのに、まともに見える答弁をした一瞬の場面だけを取り上げて報じることが多い。これは説明責任を果たしていない点を見えにくくし、問題の本質を覆い隠して矮小化している、と突いていたのです。
ならば、自分たちの力で国会のひどい答弁を街ゆく人に見せてしまおう。そこで屋外にプロジェクターを運んでスクリーンを組み立て、国会答弁を映し出し、そこに上西さんの動画解説を時々は入れつつも、他はいっさい街頭演説をつけずに淡々と流し続けます。立ち止まった人が国会の質疑応答をじっと見つめる、極めてシンプルで、とっつきやすい市民運動です。
ツイッターで呼びかけると、一緒にやりたいという人たちが次々に現れました。機材の購入代をカンパしてくれる人も。
私たちは初めて大阪駅前で実験してみた日と、長野県松本市の駅前での国会PVを取材しました。そこに集まってくるスタッフが初対面同士であることにまず驚かされ、まだ手探りで活動を広げているその貴重な様子を撮影することができました。国会PVはいまも活動の場を広げていて、全国各地に賛同者が増えているそうです。
「ご飯論法」を特徴とする国会のやりとりを街頭に持ち出して、みんなでチェックする。ネットではなく、リアルに繰り出せば、嫌がらせは一切ありませんでした。空中を飛び交う激しい言葉の応酬や攻撃ではなく、人と人とが街で出会って国会審議を話題にしてゆく、じんわり効いてゆく「漢方薬」のように投与していきたい、そう穏やかに話す上西さんの笑顔はたいへん印象的でした。
上西さんは、私たちが取材中「今度、本を出すのよ」と話し、そのゲラを見せてくれました。『呪いの言葉の解きかた』(晶文社 2019年)です。その執筆のきっかけは、やはり政治にまつわる言葉。「野党は反対ばかり」「野党が反発」というふうに野党の役割を意図的に貶める言説の数々が「呪いの言葉」に映り、どう対抗すべきかを考える中で生まれたそうです。
さらに言葉をめぐる3冊目の著書『政治と報道 政治不信の根源』(扶桑社新書 2021年)では、既存メディアの報じ方への違和感を丁寧に論じています。
その「あとがき」で上西さんは労働学者らしい視点で、次のように分析してみせます。
アルバイト先で異議申し立てをおこなう学生を店長が『文句』を言う者とみるように、記者も政府与党の目線で野党を見ているのではないか。だから、政府与党は野党の追及をいかにかわすか、という目で国会を見てしまうのではないか。
政治部記者が(全てではありませんが)権力と一体化し、政治部ムラの掟に囚われて権力監視の役割を果たしきれていない状況を、上西さんは国会PVの取り組みと大手メディアの報道を見比べ続ける中で痛切に感じたのでしょう。
この間、真っ当な言葉や批判を取り戻そうと上西さんが発信を続けているのは、政治とメディアの言葉の劣化が進行する現実にじっとしていられないからだと思います。そして私は、胸中ヒリヒリしながら、その著書を読んでいます。
ヘイトブログの正体を追う
「アカデミア(学問)を貶める。彼らは非常に熱心です。相手の気をくじくことをしたいんです」
バッシングする人たちについて明快に分析してみせたのは、若手の社会学者・倉橋耕平さんです。現在は創価大学准教授の倉橋さんと最初に出会ったのは、MBS本社の会議室、2018年の夏でした。私が取材を依頼すると、「『教育と愛国』を見ましたよ、大学の授業で使わせてもらってます。自宅が近くなので御社へ行きます」と気さくに応じてくれました。『歴史修正主義とサブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化』(青弓社)など歴史修正主義に関するテーマの著作が多い研究者です。
倉橋さんの師は、フェミニストの哲学者で近畿大学名誉教授の大越愛子さん。90年代、「慰安婦」問題で先鋒となって歴史修正主義と戦っていた一人です。サンダル履きのラフなスタイルで軽快に話題を繰り出す倉橋さんとは話が弾んで、2時間余りがあっという間でした。リベラルのど真ん中で研究に邁進する、筋金入りの社会学者だなと直感します。アカデミズム攻撃について講義している場面を撮影したいとリクエストすると、すぐに岡山大学で1カ月後にある講演がぴったりと教えてくれて、撮影日が決まりました。
倉橋さんに出会えた収穫は、これにとどまりません。会話の中で「余命三年時事日記のヘイトブログを取材したら面白いんじゃないですか?」と彼が助言をくれたのです。
当時、全国21の弁護士会に対し、弁護士幹部らを対象としてなぜか懲戒請求の申し立て書面が続々と郵送されてくるという異常事態が起こっていました。
通常の年であれば、年間で全国あわせても2千から3千件ほどにとどまる請求件数。それがいっきに急増し、2017年度は約13万件にも達し、各弁護士会が対応に追われていることが大きな社会問題になっていました。
新聞紙面では「ネット上で請求を煽るような書き込みがあった」と報じられていましたが、問題とされるサイトを私自身が確認するには至っていませんでした。そもそも弁護士に対する懲戒請求という行為は、訴訟代理人が横領したり、信用を裏切ったりと違法が疑われるケースでされることがほとんどです。裁判を起こすのと同様の厚い壁がある司法手続きなのに、ネットで呼びかけて請求する? 裁判所担当を経験していただけに、奇妙で謎めいた現象に感じられます。
その請求申し立てを呼びかけたのが、「余命三年時事日記」というブログだとされていたのです。(つづく)
地方局の報道記者ながら、「あの人の番組なら、全国ネットされたらぜひ観てみたい」と広く期待を担っているテレビドキュメンタリストがいます。昨年2月「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」でその作品『教育と愛国』が上映され、大きな反響を呼んだ毎日放送の斉加尚代ディレクターです。 同局で制作された『沖縄 さまよう木霊』(2017)、『教育と愛国』(2017)、『バッシング』(2018)はいずれもそのクオリティと志の高さを表しています。 さまざまなフェイクやデマについて、直接当事者にあてた取材でその虚実をあぶりだす手法は注目を浴び、その作品群はギャラクシー大賞を受賞し、番組の書籍化がなされるなど、高い評価を得ています。 本連載ではその代表作、『バッシング』について取材の過程を綴りながら、この社会にフェイクやデマ、ヘイトがはびこる背景と記者が活動する中でSNSなどによって攻撃を受ける現状に迫っていきます。
プロフィール
1987年毎日放送入社。報道記者などを経て2015年からドキュメンタリー担当ディレクター。企画・担当した主な番組に、『映像'15 なぜペンをとるのか──沖縄の新聞記者たち』(2015年9月)、『映像'17 沖縄 さまよう木霊──基地反対運動の素顔』(2017年1月、平成29年民間放送連盟賞テレビ報道部門優秀賞ほか)、『映像'18バッシング──その発信源の背後に何が』(2018年12月)など。『映像'17教育と愛国──教科書でいま何が起きているのか』(2017年7月)は第55回ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞。また個人として「放送ウーマン賞2018」を受賞。