「2、日々を過ごしていく、感覚」
非日常が日常になりつつある。
一週間があっという間に過ぎるようになってきた。
同時に、エッセイ原稿を読み返すと、こんなことを思っていたっけ…と、数週間前の自分の思考に驚くことも多くある。私の内側では恐らく、一日一日を長く濃く感じて、消化することをしているのだと思う。
「桜は来年も咲きます。」
4月。どこかの知事がおっしゃって、県境を跨ぐこと、人々が名所に押しかけることをセーブする注意喚起が大きく起こった。月に数えるほどしか出ない外界で見かけた桜は、次の外出時には葉桜となり、今はすっかり、広く新緑の景色となっている。メールでは薔薇やアマリリス、鈴蘭の便りが届き、“匂い”そのものを伝える技術はまだないけれど、花々の香りだけは強烈にそこに感じることができる気がしてくる。ヨーロッパの音楽家達が5月にまつわる歌、作品を歴史の中で多く残している、この月の持つ生き生きとした陽気を、そんな所から感じている。
今季、スプリングコートには数えるほどしか袖を通していない。
Tシャツにロングスカートといった簡単なスタイルで“ステイホーム”を過ごしている中、他にどんなお洋服を持っていたっけ…と、考えても考えても真っ白な瞬間が出現したりする。
百貨店の食品売り場以外が少しずつ営業を再開するというニュースを耳にしたけれど、新しい常識と秩序の中で経済が回り始めるのだろうか。自ら出掛ける予定はないが、衣替えの季節、ファッションも不要不急の買い物に分類されるのだろうか。
ショパンのエチュード・作品10-2は煙がずっとくすぶっているような、ねずみ花火のような音楽だ。一か所、ほんの一瞬だけ悲劇を放出していいような部分があって、そこを控えめに狙って弾き始める。右手の薬指と小指が鍛えられると、ショパンのエチュード・作品10-1の、上り下りの折り返し地点で、その指の強さが生きてくる。
“オクターブのエチュード”作品25-10 は、新しく練習に加えてみた作品だ。背筋を細々鍛えるようにしていることとの相乗効果が表れて、これを弾くことは、リストのソナタを弾くことに生きてくる。
“オクターブのエチュード”は、同じくショパン作曲のスケルツォ第1番、作品20に似ている。スケルツォの中間部にはポーランドのクリスマスキャロル“眠れ・幼子イエス”が投影されていて、家族で過ごすヨーロッパのクリスマス、穏やかで暖色の光がゆっくりと揺れている光景が音楽から浮かびあがってくる。同じ調性と形式をとるからなのか、オクターブエチュードの中間部分にも同じような景色を見ることができて、初夏に真冬の雪景色と幸福感を抱き、奏でている。
書くことに没頭すると、弾くことを忘れている。
弾くことをすると、体の中の全ての細胞が整って、歯車が正常に仕事をし始めるような感覚と共に、弾くことに、書くことに、お料理をすることに、生きることにインスピレーションが湧いてくる。
音楽は今日もちゃんと、私の根本にあるようだ。
「3、音楽界の現状」
公演中止は4、5月と続いている。一度は夏や秋に延期先が決定された公演も、「中止となった」、「延期になった」という周囲の声が聴こえてくる。自らの秋のお仕事も、早速にキャンセルの知らせが入った。
日本の主要ホール公演もストップしており、オーケストラの活動も止まっている。国内のみならず、外国からのアーティストが来日できる見通しが立たないことも、随所に響いている。
日本のホール側の試みとしては、ホールを維持している団体が、客席のソーシャルディスタンスを保った配席だとどんな風になるか、実験を始めたというニュースが徐々に入ってきている。
一方、ドイツのバンベルク交響楽団では、ドイツのオーケストラ協会がベルリンの医科大学に研究を依頼したことから、舞台に奏者が集っての演奏実験が行われたそうだ。フルートやクラリネット、オーボエ、トランペット等、管楽器の呼気がどの程度飛び、周囲に影響を及ぼすのか。奏者同士の距離は、どのような配置だとソーシャルディスタンスが保たれて安全なのか。こちらは主に、ステージ側の実験として行われたもののようだ。
オーストリアでは少数のお客さんを招き、ホテルのガーデンコンサートから公演再開されという。そのチケットはあっという間に売り切れたそうだ。客席を減らした状態で再開してみて、安全ならば徐々に増やしていくという音楽界の動き。一度開催を断念する声があがっていた8月の世界的音楽祭、“ザルツブルク音楽祭”も、形を縮小して決行されるというニュースが入ってきて、気運の高まりが窺える。
オーストリアの文化大臣が突然の退陣を表明した5月半ば。9月から少しずつ再開予定だった芸術界の動きが、5月末から徐々に再開することへと変化した。一方のドイツも、一部はオーストリアと共同で感染症対策研究を進め、芸術活動再開へ向けた積極的な動きを見せている。
ヨーロッパでは、芸術の価値が本質的に肯定されていると感じる。そのことと並んでなのか別の部分でなのか、芸術は観光業の潤いの一端を担い、経済的にも大きな部分を占めているのではないかと、早期再開の動きから読みとることもできる。
コンサートが再び開催されるには、どういったことを考えていけばよいのか…再開へ向けた情報が少しずつ耳に入ってくることと、再び音楽を聴ける日を楽しみにしていますとお声を頂くことが、音楽家にとって今、何よりの励みとなっている。
国内アーティストの大半はまだまだ、具体的な先行きは未定。表立っての活動休止中である。
新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、その最初期から影響を被った職業のひとつが、芸術を生業とする人たちであった。音楽、絵画、演劇……。あらゆる創作活動は極めて個人的な営みである一方で、大衆の関心を獲得することができぬ限りは生活の糧として成立し得ない。そんな根源的とも言える「矛盾」が今、コロナ禍によって白日の下に晒されている。地域密着を旨とし、独自の音楽活動を続けてきたあるピアニストもまた、この「非日常」と向き合っている。実践の日々を綴った短期連載。
プロフィール
愛媛県、松山市に生まれる。
愛媛県立松山東高等学校、桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ科を卒業後、渡独。ヴォルフガング・マンツ教授の下、2006年・ニュルンベルク音楽大学を首席で卒業、続いてマイスターディプロムを取得する。その後オーストリアへ渡り更なる研鑽を積み、2014年帰国。
現在は関東を拠点に、ソロの他、NHK交響楽団、読売交響楽団メンバーとの室内楽、ピアニスト・高雄有希氏とのピアノデュオ等、国内外で演奏活動を行っている。
2018年、東京文化会館にてソロリサイタルを開催。2019年よりサロンコンサートシリーズを始め、いずれも好評を博す。
故郷のまちづくり・教育に音楽で携わる活動を継続的に行っている。
日本最古の温泉がある「道後」では、一遍上人生誕地・宝厳寺にて「再建チャリティーコンサート」、「落慶記念コンサート」、子規記念博物館にて「正岡子規・夏目漱石・柳原極堂・生誕150周年」、「明治維新から150年」等、各テーマを元に、地域の方々と作り上げる企画・公演を重ねている。
2019年秋より、愛媛・伊予観光大使。また、愛媛新聞・コラム「四季録」、土曜日の執筆を半年間担当する。
これまでにピアノを上田和子、大空佳穂里、川島伸達、山本光世、ヴォルフガング・マンツ、ゴットフリード・へメッツベルガー、クリストファー・ヒンターフ―バ―、ミラーナ・チェルニャフスカ各氏に師事。室内楽を山口裕之、藤井一興、マリアレナ・フェルナンデス、テレーザ・レオポルト各氏、歌曲伴奏をシュテファン・マティアス・ラ―デマン氏に師事。
2009-2010ロータリー国際親善奨学生、よんでん海外留学奨学生。
ホームページ http://erikuroda.com