【短期連載】ある音楽家の "ステイホーム" 第3回

ステイホーム ~内と外の世界の繋がり~

「弾き籠る」生活の日常と非日常に思いを馳せる

黒田映李

 

「4、“集い”。 お蕎麦の食卓」

 大叔母の形見の、花柄にキャメル色のお抹茶茶碗。傷つけてしまうことが怖くて普段使いをためらっていたけれど、今日はどうにか、食卓に置こうと思った。

 

 …

 北海道からのお蕎麦を頂いた、ある日の昼下がり。

「お湯はぐらぐらさせては駄目」

「1分優しくお湯の中を泳がせる」

「茹でてから水でしめる」

 

 プレゼント主さんからの入念なアドバイス通りにお蕎麦を仕上げる為には、お蕎麦にとりかかる前に、他を完璧に仕上げておかなければならない。

 犬の形の箸置きは以前、特別支援学校で演奏した際に頂いた、生徒さん手作りの陶芸作品。御箸は、韓流スターが大好きな母に連れられ訪れた韓国で、「おまけにどうぞ」と頂いたものだ。ランチョンマットをテーブルに広げて伸ばし、それらを底辺に置く。調理へ向けて、一層の気合が入る。

 焼き野菜は買い置き鯖缶に肖って、加熱して混ぜ合わせた鯖味噌納豆をつけ合わせる。大切に取り出したお抹茶茶碗にバランスよく、立体感を意識して装う。砥部焼の窯元を訪ねた際に頂いた猪口は白色で、釉薬の自然な水色の垂れ加減と、蛍手の透け感が涼しい。注ぎ入れた蕎麦つゆとの色の対比はくっきりはっきり。副菜と共に食卓へ並ぶ。

 少しずつ大切に頂いている、お馬さんのお名前の日本酒。まだランチ時だから…とかいう説得力は、最早どこにもない。チェイサ―のお水と共にセッティングして、味見を挟んで、とうとうお蕎麦の段取りがやってきた。

 

 何時もならば、小さなお鍋にパスタを無理やり押し込んで茹でることも厭わない。しかし今日ばかりは慎重に、大鍋を棚から下ろしてみる。お湯をたっぷり沸かして、丁寧に作られ梱包されたお蕎麦をふわっと、袋から出す。湯気の立つ大鍋に落し入れて、お蕎麦が切れないようにゆっくりと、お湯の中を泳がせる。1分弱で切り上げてザルに上げ、冷水に浸けて熱を取り、しめる。花柄の陶器に入れて運ぶと、春色の食卓はここに整う。

 

 お蕎麦の香ばしく豊かな風味。食器を手にとり味わう毎に、その旨味が深みを増して、広がる。砥部焼の猪口は釉薬の塊が持ち手に馴染み、お抹茶茶碗は曲線が良い加減、触り心地柔らかだ。

 

 大叔母が晩年期に暮らした幾つかの場所で、何度かピアノを弾かせていただいた。104歳まで生きた大叔母は100を過ぎてもしっかりしていたが、そこに暮らす方々と一緒にピアノを聴いてくれる日は、なんだか、よりしっかりして見えた。

 そういえばロシアにも蕎麦畑が広がっていて、ロシア出身の音楽家・ラフマニノフはアメリカに渡った後も、その光景や匂いに郷愁を感じていたと聞いたことがある。クレープやお粥という形で食すのがロシア流だそうだが、日本のお蕎麦のように麺にしていただく機会は、彼の人生の中にはあったのだろうか…。ロシア物は久しく弾いていない。スクリャービンのエチュードでも引っ張り出して、弾いてみようか。

 

 帰国して日本での日常が形成されてから、丁寧にお料理をすることはほとんどなかった。盛り付ける食器をじっくり選んで、あれこれ物思いにふけりながら味わうことも、いつぶりなのだろう。

 渾身のお蕎麦食卓ショットと共に、プレゼント主さんに改めて、感謝を綴った。

 いそいそとカメラに収めた写真には、大叔母のお抹茶茶碗も鎮座している。

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【短期連載】ある音楽家の

新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、その最初期から影響を被った職業のひとつが、芸術を生業とする人たちであった。音楽、絵画、演劇……。あらゆる創作活動は極めて個人的な営みである一方で、大衆の関心を獲得することができぬ限りは生活の糧として成立し得ない。そんな根源的とも言える「矛盾」が今、コロナ禍によって白日の下に晒されている。地域密着を旨とし、独自の音楽活動を続けてきたあるピアニストもまた、この「非日常」と向き合っている。実践の日々を綴った短期連載。

プロフィール

黒田映李

愛媛県、松山市に生まれる。

愛媛県立松山東高等学校、桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ科を卒業後、渡独。ヴォルフガング・マンツ教授の下、2006年・ニュルンベルク音楽大学を首席で卒業、続いてマイスターディプロムを取得する。その後オーストリアへ渡り更なる研鑽を積み、2014年帰国。

現在は関東を拠点に、ソロの他、NHK交響楽団、読売交響楽団メンバーとの室内楽、ピアニスト・高雄有希氏とのピアノデュオ等、国内外で演奏活動を行っている。

2018年、東京文化会館にてソロリサイタルを開催。2019年よりサロンコンサートシリーズを始め、いずれも好評を博す。

故郷のまちづくり・教育に音楽で携わる活動を継続的に行っている。

日本最古の温泉がある「道後」では、一遍上人生誕地・宝厳寺にて「再建チャリティーコンサート」、「落慶記念コンサート」、子規記念博物館にて「正岡子規・夏目漱石・柳原極堂・生誕150周年」、「明治維新から150年」等、各テーマを元に、地域の方々と作り上げる企画・公演を重ねている。 

2019年秋より、愛媛・伊予観光大使。また、愛媛新聞・コラム「四季録」、土曜日の執筆を半年間担当する。

これまでにピアノを上田和子、大空佳穂里、川島伸達、山本光世、ヴォルフガング・マンツ、ゴットフリード・へメッツベルガー、クリストファー・ヒンターフ―バ―、ミラーナ・チェルニャフスカ各氏に師事。室内楽を山口裕之、藤井一興、マリアレナ・フェルナンデス、テレーザ・レオポルト各氏、歌曲伴奏をシュテファン・マティアス・ラ―デマン氏に師事。

2009-2010ロータリー国際親善奨学生、よんでん海外留学奨学生。

ホームページ http://erikuroda.com

 

 

 
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