「両学長 リベラルアーツ大学」「中田敦彦のYouTube大学」「日経テレ東大学」……
ここ数年、YouTube上で学問の知識や教養、お金のやりくりについて教授するYouTubeがブームになっている。そうしたコンテンツはなぜ「大学」という名前を冠しているのか。視聴者たちは、なぜそうした動画に熱狂しているのか。フリーランスのライターとして、ポップカルチャーやネットカルチャーについて取材・執筆を続けてきた藤谷千明が迫る。
■「ふつうの高卒」からみた「大学」
私は大学にいったことがありません。「いったことがない」とは「最終学歴が大卒ではない」という意味です。イベントや授業ゲスト、取材仕事など、なんらかの理由で敷地内にお邪魔したことはあるけれど、「大学生」をやったことがありません。なお、なにかすごい切実な事情で涙ながらに大学進学を断念したのではなくて、単に家庭に経済力がなく、そして自分に学力とそれを挽回する努力をする気もなかった、単なるボンクラな「ふつうの高卒」です。そしてそれはウチの地元ではさほど珍しいものでもない……。のですが、東京でライター業をしていることもあり(ライター業にも色々あるけれど、私はオタク・サブカルチャー…いわゆる「文化系」の領域にいる)、同業者や編集者の方は私の知る限りだいたい「大卒」です。しかも大体マンガとかドラマに出てくるレベルの名の知れた大学。出版・メディア業界は一流大卒のインフレ状態です。この状況、普段は当たり前と感じすぎて麻痺してるけど、よく考えたらみんな凄くないですか?(というと、高学歴の人ほど「ガリ勉しただけ」「まぐれ」「ウチの大学は人数多い」とか謙遜するけど、「ふつうの人」はガリ勉できないし「まぐれ」ならもっと凄いし、「人数多い」はもう倍率という概念を忘れてますね)
むしろ今の仕事の界隈だと〈高卒〉のほうがレアだぜ〜! フリーランスたるものコモディティ化は避けなければな! と思っています。まあ、これも嘘っちゃ嘘かもですね。言い聞かせているだけかもしれませんね。ちなみにコモディティ化の意味もあんまりわかってません。かといって、たまに見かける「インテリにはわからないリアルを知ってるぜ」的な無頼マウントみたいなのもダサいじゃないですか。っていうか、インテリの人のほうが知ってることは普通に多いと思いますよ。インテリの人、みんな自信持って!
ですが、自分が(あくまで自分の領域においては)ライター業をやるにあたって学歴は関係ないと思っています。私は難しい専門書を読みこなす能力がないので、一般書……、正直「新書レベル」の本しか読んできてません。新書をバカにしてるわけではないのですが、新書ってあくまで「入り口」じゃないですか。集英社新書も「知の水先案内人」というコンセプトだそうですし。私にはそれ以上のことには踏み込める知性や根性がなかった。こういうことを言うと、今のご時世「自虐」と呼ばれるのかもしれませんが、単なる「事実」ですよ。
反対に98年からインターネットには親しんできており、ITの知識は一切ないけれど、インターネットコミュニティ上の立ち回り、「炎上を避ける」「PVがとれそうな記事を作る」という「インターネットコミュニティ経験値」と呼ぶべきスキルには結構自信があります。いや、これは単にネット常駐してるだけで、自慢になるものではないんですけどね。ただ、「新書レベル」の知識と「インターネット経験値」で、ライターとして生き延びることができたと自負しています。おかげさまで、集英社の新書サイトで連載が持てるまでに至ったわよ。これは、ある種の「教養の死」といえば、そうかもしれません。ちなみに、新書のサイトなのに新書的な文体ではなく、「ですます調」というか「しゃべり言葉」なのは、私が堅い文体を苦手としているから(修飾過多になっちゃうの)、編集さんにお願いしてこの形にしています。ご了承くださいね。
話を戻します。年齢制限があるわけではないので、そりゃ今からでも大学には入ることは可能です(若者に混じって絵に描いたような「大学生活」を送ることは難しそうですけれど。っていうかそんなのやりたくないね)。通信制の大学だってあるし、学位取得にこだわらなければ「聴講生」という好きな授業を受けられる制度を設けている大学も都市部にはたくさんあります。そう思って、この手の資料を何度か取り寄せたことはあるものの、なんとなく面倒になって申し込んだことはありません。私と「大学」の関係はその程度です。
■大学全入時代の見えない大学たち
ところで、来年2024年は「大学全入時代」になるそうです。全国の大学の定員数よりも、大学進学を希望する人数が少なくなることを、そう呼ぶのだとか。もちろん、勉強をしないと難関校には無理でしょうし、なにより学費の問題もあるでしょうけど、「大学」の名前のつくものに全員入れますよ〜って時代が来たのか、すごいですね。ただ、あくまで志望者なので、「中卒」「高卒」「専門卒」(あるいは大学中退)などなど、大学進学を選ばない、途中で辞めた人も全体で50%くらいます。この世の大半じゃん。
前置きが長くなりました。実は、私が気になっているのは、大学に全員入れますよ〜って世の中なのに、「大学じゃない大学」、つまり「自称大学」が巷で目立っているような気がしているのです。巷っていうか、インターネット? たとえば、リベラルアーツ大学、中田敦彦YouTube大学、田端大学、イケハヤ大学、日経テレ東大学などなど……。「大学」と冠する、YouTubeチャンネルやオンラインサロンがここ数年で増えているような気がします(気がついたらなくなっている「大学」もあるけど)。そりゃあ遡れば、「ハンバーガー大学」だとか「ペンギン音楽大学」だとか、学校法人じゃないけど「大学」を名乗っている教室は少なくなかった。ただ、こんなに「自称大学」が跋扈する時代ってこれまでにあったのでしょうか。だって、「自称じゃない、〈ちゃんとした〉大学」に全員入れる時代なんでしょう?
そして、「自称大学」の主戦場はYouTubeやオンラインサロンなので、外野からは実像が見えないものになっています。ゆえに「信者ビジネス」「サロン会員は養分」だとか、とにかく外野からはバカにされがちです。正直私もサロンの形態によっては失礼ながら「こんなものに、こんな高額な課金を?」と小馬鹿にしてるところはあります。とはいえ、外野から見たら私がオタクコンテンツに大枚はたいているのを見て「こんなものに、こんな高額な課金を?」と小馬鹿にする人もいるかもしれません。オタクとしての私は「それ」に価値を感じて大枚はたくわけで、じゃあ「自称大学」の生徒さんたちも、なんらかの「価値」を感じているはずです。でも、それは私にはわからない。周囲に聞いてもその答えを知ってる人はいませんでした。だって、オタクだったり教養があったり、別の知識欲があれば、「自称大学」に通う必要はないもの。だからこそ、「自称大学」がどんどん見えなくなっていく。
私は物書きとしてそこに少々疑問というか、不安を感じています。たとえば、You Tubeチャンネル「リベラルアーツ大学」の書籍、『本当の自由を手に入れるお金の大学』(朝日新聞出版)は累計100万部、チャンネル登録者数は200万人を超えています。インターネットの世界だけではなく、「リベ大オフィス」というコワーキングスペース(←まだわかる)、「リベ大クリニック」「リベ大デンタルクリニック」という病院や引越会社や不動産会社も存在(←もはやわからない)します、顔の見えない謎ライオン率いる実態のわからない自称大学の、本物の病院、引越会社、不動産会社。なんなんだ。理由のわからないものは不安になりませんか。私はなります。
そう、あれは3年前のことだったか、懇意にしている編集者の方に「リベラルアーツ大学」の話をしたんです。たしかその頃にはリベ大の書籍も20万部は売れていたのかな? 世間話として「今こんな本が売れてるそうですよ」と切り出したところ、編集者の方はチャンネルの存在すら知らなかったようで、「何故これが〈リベラルアーツ〉と呼ばれているのですか?」と困惑してしまいました。それはそう。謎の自称大学の、謎のリベラルアーツ。なんなんだ。困惑する編集さんを前に、私は「まあ、これを〈リベラルアーツ〉と呼ぶことに疑問を持たない人が入るんじゃないっすか。逆足切りみたいな感じで」と軽口をたたきました。さすがに「これ」が「リベラルアーツ」と呼ばれているものではないことは、私にだってわかります。具体的に「リベラルアーツ」がなんなのかと説明しろといわれると、難しいですが。
それなのに、「これ」を受け入れている人がたくさんいること、それが最大の「なんなんだ」ですよ。でも、誰もその疑問に答えてくれる人は私の周りにはいませんでした。なんか、ヤバくないですか? もはや社会現象と呼んでいいものに、まともな賛否すら起きていない。ヤバくないですか? きっと「ちゃんとした大学」出身の人は、これらの「ちゃんとしてない大学」の名前は知っていても「取るに足らないもの」とみている。そりゃそうだ、だって「これ」は「ちゃんとしてない大学」なんだもの。反対に大学にいったことのない私は、「これ」を受け入れるのは恥ずかしくて抵抗感があります。だったら、通信制でもなんでも「ちゃんとした大学」に行きますよ。じゃあ、この人たちはお金がないの? 時間がないの? それとも、「これ」にしかないものがあるの? わからない。この連載の動機はそこにあります。みんなの知らない「自称大学」の世界、そこに実際に触れてみて、得たものを紹介していきたいと思います。最初に扱うのは、「リベラルアーツ大学」です。
(次回へつづく)
「両学長 リベラルアーツ大学」「中田敦彦のYouTube大学」「日経テレ東大学」…… ここ数年、YouTube上で学問の知識や教養、お金のやりくりについて教授するYouTubeがブームになっている。そうしたコンテンツはなぜ「大学」という名前を冠しているのか。視聴者たちは、なぜそうした動画に熱狂しているのか。フリーランスのライターとして、ポップカルチャーやネットカルチャーについて取材・執筆を続けてきた藤谷千明が迫る。
プロフィール
ふじたに ちあき
1981年、山口県生まれ。工業高校を卒業後、自衛隊に入隊。その後職を転々とし、フリーランスのライターに。主に趣味と実益を兼ねたサブカルチャー分野で執筆を行なう。著書に『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』(幻冬舎)、共著に『すべての道はV系へ通ず。』(シンコーミュージック)、『水玉自伝 アーバンギャルド・クロニクル』(ロフトブックス)など。