短期集中連載 ルポ 大阪府立西成高校<反貧困学習>の現場 第1回

「日本のシングルマザーの生活が苦しい理由」を学ぶ

黒川祥子

大阪府立西成高校。「西成」という、差別や貧困など社会問題が凝縮される場所にある同校で2007年、全国のどこにもないオリジナルな授業がスタートした。<反貧困学習>だ。西成高校の生徒たちに否応なく覆いかぶさる「貧困」という現状に、正面からアンチを突き付ける<反貧困学習>。目的はただ一つ、「貧困の連鎖を断つ」。それこそが、西成高校が自らに課した使命である。

では、<反貧困学習>とは一体どのようなもので、どのような力を生徒に与えるものなのか。教材は、生徒たちが生活で直結するさまざまな社会問題。社会構造や背景という大きな問題に正面から向き合った生徒たちから出てくる言葉こそ、「炭鉱のカナリアの声だ」と立ち上げた教師は言う。子どもの7人に1人が相対的貧困状態で暮らしているこの国で、西成高校の生徒たちが抱える困難は15年前と異なり、もはや全国の子どもたちに通底する問題となっている。

どうすれば、貧困の連鎖を断つことができるのか。目先の苦境しか見えていない“眼”に、その根本原因である隠されていた社会構造が見えた時、生徒は変わる。状況に振り回され、自暴自棄になり、「どうせ」と人生を諦めていた子たちが、「状況を変えていく主体」に生まれ変わる。それこそが、<反貧困学習>の真骨頂だ。

苦しい環境を生きる子どもたちをどう社会に着地させ、生まれてよかったと実感できる人生を歩ませられるのか。それが課題集中校と言われる全国の高校で今、最も求められていることだろう。

数年途絶えていた<反貧困学習>が、今年度よりバージョン2として再始動すると聞き、西成高校を訪ねたジャーナリストの黒川祥子さん。今回のテーマは「シングルマザー」。<反貧困学習>の授業から、果たしてどのような問題が見えてきたのか。生徒たちが問題をどのように「意識化」し、変わって行ったのか、3回にわたってお届けする。

 2022年5月19日、大阪府立西成高校。1年5組の教室で、使っていない机を借りて、最後部の隅で生徒と並んだ。
 大阪市西成区と言えば、さまざまな偏見が否応なくついて回る場所だ。日本最大の日雇労働者の街・釜ヶ崎(あいりん地区)と日本最大の被差別部落を有するこの土地は、部落差別、民族差別、寄せ場差別などさまざまな困難の縮図とも言われる歴史をそもそも背負っている。
 西成高校は西成区の北西端に位置し、最寄り駅は南海汐見橋線「津守」駅だが、本数が少なく接続も不便なため、私は地下鉄四つ橋線「花園町」駅から、20分かけて歩くことが多い。西成高校の敷地周辺はかつて紡績工場があり、通勤する労働者のための商店街として生まれた「鶴見橋商店街」のアーケードを、一丁目から8丁目まで約1キロに渡って抜けて行く。商店街には初めて目にする内臓肉が並ぶ肉屋や韓国惣菜を売る店など、特徴的な個人店が多い。実にそそられるが、好奇心を打ち消し立ち止まることなく進み、教室に到達する。

大阪府立西成高校、外観。1974年に全日制普通科高校として開校、2003年に普通科総合選択制に改編。2006年に知的障がい生徒自立支援コース設置。015年に総合学科エンパワメントスクールに改編、小中学校間で不登校だった生徒への学び直しの授業を展開


 まず、プリントが配られる。今回は「産業社会と人間(人権・反貧困)」の4回目の授業だ。タイトルは、「日本のシングルマザーの8割以上が働いているのに、なぜ生活が苦しいのか」。まさに!
 担任の中村優里が生徒に向き合う。20代後半の家庭科担当の教師で、口調は明るく、ぽんぽんと軽やかに生徒に話しかける。
「何で、シングルマザーになると思う?」
「離婚」「死んだ」「結婚する前にお別れ」
 すぐさま、声が上がる。ほぼ男子生徒だ。
「そやね、いろいろあるけど、離婚の理由って何だと思う?」
 中村の問いに、またもや、「不倫」「家事能力」「金銭感覚」「優しくない」「喧嘩」「意見の違い」……と、手を上げて発言するというより、教室からさまざまな声が自由に上がる。
「そう、それ。性格が合わないが1位。2位は何だと思う?」
「金銭感覚、経済問題」
「それ、正解。じゃ、3位は?」
 さまざまな声が飛び交う中、「言葉の暴力とか、精神的なこと」と中村が言うや、男子生徒が一言、「それ、モラハラやん!」。
 高校に入って1ヶ月足らずの男子の口からまさか、モラハラの名が出てくるとは! これからいくつもの驚きに出会うことになるのだが、これが最初の驚きだった。
西成高校は定員割れとはなっているが、不登校の子に対応する「エンパワメントスクール」のため、中学まで不登校だった子が小中学校からの「学び直し」を求めて西成高校を目指し、遠方から入学してくるケースも多い。不登校であったということは、いろいろなことへの苦手意識が多いのでは? 自己肯定感はあまり高くはないのでは?……等々、生徒への先入観が心地よく打ち砕かれる時間のはじまりとなった。

色眼鏡をかけていない子供達の率直な声に驚く

 授業は、関連動画を見て考えて行くというスタイルだ。照明を落とし、黒板のスクリーンに動画が映った瞬間、「昭和やん!」と生徒。確かにそれは、<反貧困学習>を立ち上げた時に「シングルマザー」の学習で使用したものと同じだった。
 反貧困学習を15年前に立ち上げ、今回も教材を作る形で主導する教諭、肥下彰男が授業の前にこう話していた。
「最近、母子家庭の問題をメディアであまりやっていないでしょう? 探しても、新しいものは見つからなくて、ちょっと、それが悔しくてね」
 肥下が2007年、<反差別>を軸としていた人権学習を、<反貧困>として再構築する必要に駆られたのは、労働市場における規制緩和によって非正規雇用の拡大や若者の貧困化という厳しい社会状況が広がったからだ。知識として<反差別>を学ぶことよりも、自分達の生活に根ざした問題を考え、背景や社会構造を知って行く中で、自己責任に流されることなく、社会に立ち向かえる力、それこそ困難な時代を生きる生徒たちに必要なのではと思ったからだ。

校長の山田勝治(左)、名刺には「回り道が近道だったりする」。「子どもから学ぶ」のが基本。<反貧困学習>を主導する肥下彰男(右)、定年後の再任用で西成高校に再び戻り、<反貧困学習>バージョン2を開始

 動画には、二人のシングルマザーが登場する。大学の時に“でき婚”したが、夫はほどなく姿を消し、幼子を抱え、慰謝料で買ったパソコンで企業のHPを制作する「寺田さん」と、8か月の子どもと母子生活支援施設に入居している「桜さん」。二人とも養育費を要求しても元夫から「払いたくない」と一蹴されたままだ。子どもを抱えて、生活苦に喘ぐ二人の姿。私語はなく、シーンと静まり返る教室。男女とも表情は真剣である。
 照明が点けられ、授業はいよいよ本題に。「日本のシングルマザーは働いているのに、なぜ生活が苦しいの?」と、中村は改めて生徒たちに問いを投げかける。
 シングルマザーの年間平均所得が231万円で、手当などを入れても306万円。児童扶養手当は子ども1人で月に最大43,070円で、2人だと+10,170円であること。養育費を受給している率は24.3%であることなど、具体的な数字を生徒に示していく。
「収入、月にしたら20万って、どう思う?」
「少ない!」
 生徒たちの反応は早い。
「そやね、家賃が6万として光熱費2万、食費4万としても……」
「服やケータイ、どうするん? ゲームは課金するから高いで」
 課金がすんなり出て来ることに驚きながらも、この生徒たちの自由さが気持ちいい。
「養育費はどう思う?」
「男が信じられへん」「動画では、元夫に関わりたくないって言ってた」
 廊下で様子を見ていた肥下が、明石市では養育費の立て替え制度が行われていることを伝えると、教室が一気に賑やかになる。
「個人個人で交渉せんでいいから、全部そうしたらええ」
 男子の声に、「そうだ」と拍手が起きる。
「シングルマザーの年収、なぜ、こんなに少ないと思う?」と、中村が切り口を変える。
「子どもがいてるから」と、小さな声で女子生徒。
「子どもがいれば夜遅くまで働くことはできないし、子どもの病気で休むこともある」
「そやね、男性と女性の賃金の違いもあるし、非正規雇用という、不安定な働き方のシングルマザーが半分以上やし」
 授業は男女間の賃金格差の問題と、非正規雇用の問題にまで進んで行く。
 このテーマに、真剣に食らいついて行く生徒たち。みんな15歳か16歳、ちょっと前まで中学生だった子が、「シングルマザー」について自分なりにきちんと考えようとしている。しかも、誰からも、「離婚したのが悪い」「勝手に別れたのだから」など、ネットで飛び交う、あるいは行政が腹に持つ“自己責任”を問う声は一切出てこない。色眼鏡をかけていない子たちの、これが率直な思いなのか。新鮮な驚きの連続で、「反貧困学習」1回目の体験を終えた。

会ったこともない人に思いを馳せる共感性を持つ生徒たち

 授業では必ず、生徒に感想を書かせ回収する。「これこそが、宝」と肥下は言う。
一枚一枚、それぞれの生徒が自分なりに考えた思いが綴られる。丁寧な文字もあれば走り書きのように読みにくいものも、平仮名多めのものもある。それぞれの個性が見えてくる。
「シングルマザーの人はお金が足りない。もっとシングルマザーへの対策をしっかりしている人が国のトップになった方がいいと思った」
「シングルマザーは本当に毎日が大変だし、給料も少ないので、児童扶養手当は不十分だと思います。世の中の母親と子が少しでも生きやすいような社会になってほしい」
「シングルマザーの人は仕事と子育てを両立しなければいけないから、給料が安い仕事にしかつけない。母子家庭の生活がもっと楽になるように、職場がもっと働きやすくなるようになったらいいなと思った」
「シングルマザー、シングルファザーで子育てが大変な人たちには給料を正社員と一緒ぐらいにするとお金の余裕が出てくるんじゃないかと思いました。国からのお金をもっと増やしたら良くなると思います。シングルは大変だから、周りの支えが大事!」
 シングルマザーに向けられる、真っ直ぐな眼差し。それは「自分勝手に離婚して、今さら苦しいと頼るな」という、多くのシングルマザーが感じる世間一般の無言の圧力とは真逆のものだ。苦しさに寄り添おうとする生徒たちの姿勢に、こちらが励まされる。それだけではない。
「ちゃんと離婚しないと児童扶養手当がもらえなかったり、養育費がもらえなかったり、意味わからんと思いました。やっぱり男女差別的なものが関係してると思いました」
「シングルマザーの負担が知れてよかったけど、シングルマザーに対する差別・偏見が酷いなって思ったし、世間がそれを暗黙の了解っぽくしてるのがダメだと思った。だからこそ、この状況を変えないといけないので、そのためにはシングルマザー・シングルファザーに対する理解を深めるのが大事だと私は思いました」
「僕は授業を受けて、養育費は払わなくてはいけないものだと思っています。日本の8割は払っていないとなると、それは法に引っかかると思いました。だから育児に対する考えを深めるべきだと思いました」
「返金なしの奨学金がいる。元夫が養育費を払わないから、国・厚労省・経済産業省が負担する法整備を進めれば行ける」

1年5組の授業風景、今回のシングルマザーの学習から各政党への質問状を出し、その解答を検討する授業。担任の中村優里が生徒たちに問いかける

 シングルマザーの苦しさを知り、その思いを理解しようとするだけでなく、この状況は「おかしい」と疑問を呈した上で、どうしたら良くなるか、その方策までをも考える。児童扶養手当、養育費、働きやすい環境、そして男女差別まで、生徒たちの眼差しはこの社会の「おかしさ」に真っ直ぐに向いていく。
 多く見られたのが、こんな感想だった。
「シングルマザーの人はとても大変そうだと思った。自分も片親だから、すごく共感できると思った」
「シングルマザーが持っている問題を聞いて、母さんの大変さがわかって、これからはもっと手伝いを多くしようと思った」
「同じ人間でもシングルマザーなだけで困ることが増えて大変な思いをしている人も少なくないんだと思いました。私の家族もシングルマザーで、とても大変な思いをしながら育ててくれている母に感謝して、助けながら生活をしようと思った」
 1年5組ではおよそ半分がひとり親家庭の子であり、社会的養護の場で生きている子もいるという。母親がシングルマザーであるという当事者性も、このテーマにこれだけ真剣に食いついてくる理由であることは間違いない。知識として吸収する単なる「お勉強」ではなく、自分に直結する大事な問題なのだと生徒たちは瞬時に肌で感じたのだろうか。自分の母親はこういう社会環境の中で働き、自分ら子どもを育てているのだと生徒が気づく。今までは目先のことしか見えなかったかも知れないが、理不尽とも言える社会構造の中でシングルマザーである母親は働き、子育てをしていることが見えてくる。
 それは今までと全く異なる認識、世界を生徒たちに見せることだ。しかも高校生のすごさは、当事者性にとどまらないことだ。
「生活が辛い中で、自分のできることをして、子どもと笑って暮らして頑張っている姿がすごくて、誰にでもできることではないと思った。誰がなってもおかしくないことだから、今回の授業を通して知ることができてよかった」
「養育費が受け取れるような活動をして欲しい。僕が生まれた時にはなかったので、僕はあまり養育費がもらえなかったから、今の生まれる子にしてあげたい」
「シングルマザーが働いて得る収入が、月平均20万もないと聞いて、子どももいるし生活もかかっているので、足りないなと思いました。しかもコロナ前のデータなので、今のシングルマザーの方々はしんどいだろうな」
 彼らは当事者という自分の問題だけで、このテーマを考えているのではない。今度生まれる子、コロナで苦しんでいるシングルマザー……。会ったこともない存在に思いを馳せる豊かな共感性を、ちゃんと身につけている。
 女性差別が歴然とあるこの国で、シングルで子どもを育てる──、生徒たちはその生活を限りなくイメージする。しんどいな。国や社会、職場が変わらんと。そして別れた父親は、何をやっているのか……。
「児童扶養手当、低すぎるやろ」
「養育費払わんて、わけわからん」
「賃金の男女差別、イライラするわ」
 溢れてくる言葉一つ一つが、私自身がシングルマザーの本を書いた思いであり、多くのシングルマザーが抱える怒りそのものだ。そのことを、生徒たちはきちんと感じてくれている。
 そればかりか、大人が気づかない視点も彼らは見逃さない。動画には、母親を気づかう就学前の男児の姿があった。起業した「寺田さん」は日曜でも、クライアントの要請があれば出かけなかればならないため、どうしても息子(あっくん)を連れて行くことになる。母親が仕事をする傍らでおとなしく過ごし、休日の公園で眠ってしまった母親を「疲れているから」と気遣う幼な子。
「あっくんが、いい子すぎ」
「寺田さんのお話を聞いて、とても頑張っているんだとわかりました。でも子どもが気を使っているのを見て、子どもが気を使わないでいい環境が必要だなと思いました」
 母親思いの健気ないい子──、これを美談として終わらせてはいけない。子どもは本来、母親のことなど気にせず、のびのびと思うように育つべきものだ。こういう子どもらしい日々を生きることで、子どもは本来の成長を得る。自分より母親を気遣い、優先することは子どもの心に何らかの歪みをもたらす。そのことに生徒たちは、きちんと気が付いていた。何らかの違和感として残ったことを、違和感として率直に表現したのだ。
<反貧困学習>は何一つ、生徒を誘導するものではない。統計が示す客観的データを伝え、動画を通し、生身のシングルマザー当事者の姿を見せただけだ。それだけで、生徒たちは社会と直に関わり、変えないといけないと思っている。これが、「反貧困学習」の核心なのだろうか。
 次回は私の作品が原作で、昨年ドラマ化された『生徒が人生をやり直せる学校』の抜粋動画を観るという。この目で見ないわけには行かないではないか! 

第2回  

プロフィール

黒川祥子
東京女子大学史学科卒業。弁護士秘書、業界紙記者を経てフリーに。主に家族や子どもの問題を中心に、取材・執筆活動を行う。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待~その後の子どもたち』(集英社)で、第11回開高健ノンフィクション賞受賞。他の著作に『子宮頸がんワクチン、副反応と闘う少女とその母たち』(集英社)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)、橘由歩の筆名で『身内の犯行』(新潮社)など。息子2人をもつシングルマザー。
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「日本のシングルマザーの生活が苦しい理由」を学ぶ