大阪府立西成高校で2007年から開催されていた<反貧困学習>が、今年度よりバージョン2として再始動するということで、再び西成高校を取材しに訪ねた黒川さん。前回(連載第1回)は「シングルマザー」をテーマにした授業を紹介したが、今回は黒川さんの著書『県立!再チャレンジ高校 生徒が人生をやり直せる学校』(講談社現代新書)が原作のドラマを見て議論するというので取材に行ってきたところ、驚くべき展開が…。
モノクロとはいえ、プリントにKing&Princeの平野紫耀が大きく載っているものだから、女子たちがやけにふわふわしている。男子からは、「やっぱ、イケメン!」の声も。
2022年5月26日午後2時、大阪府立西成高校1年5組。<反貧困学習>5回目の今日のテーマは「ヤングケアラー」。教材は昨年8月、日本テレビ系列24時間テレビで放送された2時間ドラマ、「生徒が人生をやり直せる学校」からの抜粋動画である。
このドラマは私が2018年に出版した、『県立!再チャレンジ高校 生徒が人生をやり直せる学校』(講談社現代新書)を原作としている。困難な環境にいる生徒を学校挙げて支援する仕組みを実際に作り上げた、実在する高校のルポルタージュだ。
「今日は5組にだけ、原作者の黒川さんが来てくれてるんや。うれしいねー」と、担任の中村優里。生徒たちが一斉に振り返る。お辞儀に微笑み、拍手と、男子も女子もあたたかい。
教材を作り、<反貧困学習>を主導する教諭、肥下彰男は「乃木翔」と、「木の葉陸也」という2人の高校生のエピソードをメインに据えてドラマを編集。2人のために奔走する新米教師「樹山」を演じるのが主演の平野で、舞台となるのが「槙尾高校」だ。
乃木の母はシングルマザーで、夜も仕事をするWワーカー。乃木は幼い弟と妹の面倒を見る「ヤングケアラー」として描かれる。木の葉の母もシングルマザーで精神疾患を患い、生活保護を受けているものの、アル中で息子への虐待が日常となっている。このシーンは原作にはなく、どれも創作されたものだ。
樹山が空腹に耐える乃木を見かねて差し出した、焼きそばパン。ドラマの中では木の葉が樹山に対し、屈辱的な「施し」で、「偽善」だと非難する場面があるが、生徒たちはどう見たのだろう。
アル中の母が服薬自殺をし、「大好きだった、ごめんね」と綴った母のLINEを死後に見つけた木の葉。木の葉の肩を抱く樹山も、その同じ文面を見つめる。
シーンと静まりかえる教室。ピッと張り詰めた緊張感に覆われる。真剣な表情、悲しそうな眼差し、啜り泣く声も。突然、1年5組のもう一人の担任、中根豊が号泣して教室を飛び出す。西成高校では、1年生は2人担任制を採っている。60代の教諭がまさか号泣とは(後に、自分が持った生徒とあまりにも重なり合ったからだと聞いた)。呆気に取られながらも悲しみを一瞬忘れさせてくれた中根のダッシュ姿に、男子たちの間に「まさか、信じられん」と小さな笑いが漏れる。
「親に感謝したい」という感想がほとんどない!
中村が教壇に戻り、黒板に「ヤングケアラー」と板書して解説していく。
「子どもなのに、日常的に家事を行う。家族の世話をする。家族の感情面のサポートまでさせられているのが、ヤングケアラー」
この言葉がどれだけ生徒の心に響き、届いているかはわからない。当事者がどれだけいるのかも。授業では毎回、感想を書く時間を少なくとも10分は取る。今日は、どんな感想が書かれるのだろうと思っていると突然、中村からの無茶振り。
「せっかく原作の黒川さんが来てるのだから、何か、質問ない?」
「えっ?」と戸惑う間すらなく、さっと手が上がり、男子生徒が話し出す。
「この本を作るのに、どれぐらいの時間がかかったのですか?」
まさか、こう来るとは。すごいなー。
「2014年には、この高校で取材を始めています。出版が2018年だから、4年ぐらいです」
「すごい、本って時間がかかるんやねー。他、ない?」
中村の声にまたもや、すっと手が上がる。
「この本で、最も言いたかったことは何ですか?」
あー、何と的確かつ鋭い質問なのか。
「最も言いたかったのは皆さんもそうですが、生徒一人ひとりが大切な存在であること。だからこそ、教員たちはチームとなって生徒を支え、社会に着地させる仕組みを実際に作った高校の意義を知ってほしいことです。何より、皆さんが自分の人生もなかなかだよなーと思えるように、教員たちが支えていくこと」
真面目か、私。全員から(多分)、拍手が起きた。
授業終了後、肥下と共に、生徒たちの感想に目を通した。何行にもわたり、きっちりと書いている子が多い。
「槙尾高校に通う生徒は明日を考え行動し、将来を考える権利がない。諦めている子がたくさん。大人も信用できなくて、よくしてくれる人を偽善者だと。でも人の気持ちは神様でさえわからない。だから、わかろうとする。今、生徒のためにできることは何かと毎日考えてくれている姿に感動した。だから最後の木の葉くんの『槙尾にはまだ俺みたいなのがいる』というセリフが、応援メッセージに聞こえた。子はやっぱり親のことが好きなんだな。どんなに酷いことされても親は親。諦めないことが大事。感動しました」
「僕は家族がこうなったら我慢できないし、逃げ出しそうになるけど、実の親ということもあり、我慢するしかない現状に、僕はとても悲しいです。生徒は先生のことが信じられないと思っているので、先生は生徒を信じ、生徒が先生を信じられる関係を作って行ったらいいと思います」
「乃木翔の話では育児放棄ではないけれど、難しい問題だと思った。実際にヤングケアラーが増えているので、こういった内容の問題は国と言わなくても市が協力的にしてくれるといいなと思った。木の葉陸也の話では病気の母も木の葉もどっちも辛かったし苦しかったと思う。学校はそんな子たちも楽しく笑い合える場所になっていたらいいと思った」
どれも物語の内容に踏み込んで、自分なりに考えている。ふと、「自分は幸せだ。親に感謝したい」という感想がないことに気づく。
私は『誕生日を知らない女の子』(集英社)という虐待の後遺症を描いた作品で、高校生に講演する機会を得ている。耳を塞ぎたくなるような虐待の話を挟まないわけには行かないが、生徒たちは真剣に話に向き合ってくれることが大半だった。感想で気付くのは、「私はあの子たちに比べて、なんて幸せだろう。親に感謝したい」という思いが多く寄せられることだ。
しかし、1年5組の感想にその言葉がほとんどない。すると……、1枚だけあった。
「自分が親にされていたことが当たり前だと思い、他の人がされていることが全く違うので、大人が信用できずにあった。こう思えば、自分がどれほどいい親に育ててもらえたかわかった」
この文章で何を言いたいのか分かりにくいが、少なくともこの男子は大人が信用できない過去があった。信用できない大人に比べれば、自分はどれほどいい親を持っているかがわかったと、この男子は感じている。思わず、肥下にどんな子なのかを尋ねた。
「彼の環境は凄まじいですよ」
私のような部外者に具体的に話すことはもちろんできないので推測だが、虐待的な環境の中でサバイバーのように生きてきたのではないだろうか。少なくとも、講演で寄せられた感想とは違う位相から発せられた言葉だ。そんな思いが胸に沈澱した。
ドラマを地でいく子供の重すぎる感想
「こんな重たい感想もあった」と後日、肥下から送られてきた感想に胸が抉られるような思いに捉われた。殴り書きのような読みにくい文字には、怒りが込められているのだろうか。原文のまま引用する。
「木の葉って人の状態がもろ、昔の自分と同じだった。だから何?って。これ見て気分悪なるし腹立つ。自分の場合、あそこまで親のことを大事に思おうとしなかったから、母親が死んだ後に読んだ手紙が自分勝手過ぎておもしろ。死ぬなら勝手にどうぞ。さんざん迷惑かけて死んでも迷惑で、何がしたいのやら。つぐないもせず、くだらない物だけ残して愚かとしか思いませんでした。そういう人がいることを理解しなければならないのはわかる気がするが、その状態にいる人にとって、どういうもの、見せてんだって」
木の葉の母親はゴミ屋敷となった部屋で酒瓶を並べて、昼から飲んだくれ、学校から帰宅した息子を怒鳴り、殴る蹴るの暴力の挙句に「帰ってくんな!」と家から追い出す。それが、木の葉陸也の日常だった。
そんな自分への自責の念と息子へのやましさから、薬を大量に飲んで自殺した母親のLINEには、「ごめんね」の文字。教室でも啜り泣きが聞こえ、ここは確かに、御涙頂戴の場面だった。そんな脚本家の目論見は、木の葉陸也と全く一緒だったという現実の体験者の感想を前に木っ端微塵に砕かれる。制作側の「母親も辛かったんだから、許してやろう」という誘導に乗ることはなく、「ごめんね」などという言葉は迷惑でしかなく、そんな母親を「愚か」だとその感想は断罪する。
虐待を受けた子どもを取材していると、「やっぱり親だから」と許さなくてはいけないと苦しむ場面に出会う。そんな時、私は思う。「許さなくていい。親があなたにしたことは、紛れもない事実なのだから」と話して行く。親だからという理由だけで、免罪されるものでは決してない。「親も弱かった。苦しんでいたからしょうがない」と、親の事情を子どもは斟酌しなくていいのだから。
脚本家によるフィクションがまさか、現実にあるものだとは……。それほど現実は、厳しいものとなっている。原作では鬱を患っていた母子家庭の母親が、高校生の息子の世話ができないという自責の念を持ち、そんな母親を息子は鬱陶しくて避けるようになり、やがて母は「私がいると、あなたに迷惑がかかるから」と自殺したケースだった。
肥下は今回の感想ではないが、別の男子生徒のこんな感想も教えてくれた。今年度の<反貧困学習>は、まず生活保護からスタートした。授業では、NHKの番組「逆転人生」が西成高校を取り上げた際の編集録画を見せた。そこには、大変な環境にありながら、教師たちの支えで生活保護の親と世帯分離をし、単身で生活保護を取り、自立していった卒業生が実名で顔も出して、「(西成高校の)3年間はあったから」と話す先輩の姿があった。
「こんな授業、僕は嫌いだ。頑張ってうまく行ったケースばかりを紹介している。現実はそんなにうまく行くんか? 僕は違う」
この生徒は、「こんなもの、綺麗事にすぎない」と正面から反発を見せる。「僕が、先輩のような人生を始められるわけがない」と、学校側に苛立ちをぶつけている。ではこの生徒に、肥下はどう向き合って行くのか。
「学校もすごく悩んでいる。悩みながら、じゃあ、学校はどういうことをすればいいんかと生徒と一緒に考えていく。西成高校はどうして行けばいいのか、一緒に考えて行こうと返す他ない。どんな形でも生徒が卒業後、自分で生活できるようになればいいのだから」
どんな子でも自立できるという「正解」も「方程式」もない。だからこそ、学校側は苦悩する。でも、手をこまねいていることはできない。何もしなかったら貧困は連鎖し、社会の底辺に埋もれて行くしかない生徒たちだ。そうさせないために、何をして行くのか。正解がわからないからこそ、生徒と一緒に考えていくしかない。やれることはそれしかないと、肥下は自覚する。反発でも怒りでもいい、向き合って来る生徒から逃げることは決してしないと。
バングラデシュでの肥下の体験が反貧困学習の原点
西成高校が1年次の人権学習の軸を「反差別」から「反貧困」へと転換したのは2007年、主導した肥下は前年に西成高校に赴任した。当時、労働市場の規制緩和で非正規雇用が拡大、若者の貧困化が社会問題となっていた。同年に「反貧困ネットワーク」が設立され、運動の中心にいた湯浅誠が『反貧困〜「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)を出版したのも、2007年だった。明確に、「反貧困」を掲げる市民運動の出現を受け、肥下は確信した。
「(西成高校で)始めようとしていることと、同じやないか」
ここから名を取り、<反貧困学習>はスタートした。
すでに当時、西成高校のミッションは「格差の連鎖を断つ」ことにあると明確に意識されていた。「貧困の連鎖」に抗すべく試行錯誤していた時期、学校は荒れていた。いろいろな問題や葛藤を抱えた生徒が、「荒れる」という暴力行為でやりきれない思いを表現していた。
だからこそ、肥下は思った。
「西成で授業をするなら、この子たちが自分の生活を考えて、まず、自分たちの問題に気づいて行くこと。そして現状を前に諦めるのではなく、自分たちが問題を変えて行けるんだと、実感が持てるような授業にしていかないといけない」
では、どうすれば生徒に言葉が届くのか。自分の困難を、どうすれば話してくれるのか。
肥下の脳裏に浮かんだのが学生時代、バングラデシュの村で見た成人への識字教育の場面だった。そこでは文字をただ教えるのではなく、生活の場面に根ざして読み書きを覚えて行くという手法を採っていた。抽象的な学習ではなく、読み書きを習得することは、自分たちの生活のことを話し合い、問題を客観的に捉え、解決策を考えて行く行為だった。
この手法で行こう。最初に取り上げたのはダッカのストリートチルドレン、究極の貧困状態に置かれている子どもたちだ。
授業はまず各班に分かれ、ストリートで生きている子どもたちのパネルを見て、それぞれの子どもたちの生活について想像し話し合うところから始まり、次に「ダッカのストリートチルドレン・100人の子どもたち」というビデオを見て、感想をまとめるという流れにした。
寄せられた感想を、『反貧困学習 格差の連鎖を断つために』(大阪府立西成高等学校著、解放出版社)より紹介する。
「この子どもたちに必要なものは癒しを求められる場所。ストリートチルドレンの子どもたちは、心に深く傷があると思う。お金も大切かも知らんけど、休める場所、楽しくワイワイできる場所を私だったら求めると思う」
「必要なのは人との信頼関係。自分が困った時に助けてくれる人が必要だと思うから」
「私は母子家庭で、父も何人も変わり、母も私が中学3年までほったらかしだった。あんまり家にいなくて、弟ができてからも母は弟を置いていき、私が弟を見るのが当たり前だった。そのストリートチルドレンの子たちもしんどいだろうが、やっぱり愛が大事だと思った」
「たとえ、ストリートチルドレンでも、なる前より幸せだったらそれでいいと思う。でも自分がもし、あのまま父親の元にあったら、多分、ストリートチルドレンになってたと思うし、それか父親のことを殺していたかわからん。今は母親に守られて、生きてこれてるし。もし自分がストリートチルドレンになっていたら、幸せだったと思う。多分、『暴力を振るわれない』、これだけで幸せって感じると思う。ストリートチルドレンでも、誰かに話を聞いてほしいと思うし。誰もが敵でないことを知ってほしい」
西成高校の生徒たちにとって、ストリートチルドレンは遠い異国の対岸の火事の話ではなく、自分と繋がっているという感覚でその存在を捉えていた。八百屋の手伝い、物乞い、トラックやバスのボディを直すお手伝いなどをして、路上で暮らす少年少女の生活がどのようなものなのかを想像して行く中で、生徒たちはおそらくこれまで誰にも(とりわけ、教師には)語らなかった自分の物語を語り始めた。
教室の隅で不貞腐れたように座る少年が、父親を殺すまで思い詰めた時期があったとは……、教員たちの誰もが思いもしないことだった。ストリートチルドレンの存在を知り、その生活に思いを馳せた時に、生徒たちの口から出てきたのは親のこと、今の暮らしのこと、これまでのしんどかったことだった。それは誰に話したところでどうにもならないとわかっているから、一切、口にしてこなかったことだった。
自分の生活が見え、社会のおかしさに気づいていく
2007年、「反貧困学習」の記念すべき1回目、<生きる力を持つ子どもたち〜ダッカのストリートチルドレン>を終えた時、肥下は確信した。これだ、この方法だと。
「まさか、ストリートチルドレンが生徒の声を引き出す教材になるとは……。シングルマザーの学習では多くのひとり親家庭の生徒が、自分の母親の大変さを知った。こうして授業は自分の生活、自分の家庭環境を考える時間となった。そしてその思いを感想文という形で、生徒たちは教員に伝えてくれた。先生たちは毎回、生徒の感想を通して現実に気づき、生徒と向き合い、『この子は支援せなあかんな』と気づくようになった。やがて、荒れていた学校が不思議なほど、落ち着いて行った」
生徒たちはこうして自分の生活に向き合う中、これは自分だけの問題ではないことに気づいていく。
「労働法をテーマにした時は生徒たち、『こんなん(法律が)、あったんや』って驚いて、『クビにされたの、おかしいんと違うか』って、労働基準監督署に訴えた子もいたし、虐待がテーマの後には、友人を児童相談所に連れて行った子も出てきた」
自分を囲む状況にがんじがらめになっていた生徒たちの「眼」に、社会が見えてくる。父親がしょっちゅう仕事を変えるのは飽き性かと思っていたが、派遣労働に課せられた「雇い止め」のせいだった。15歳や16歳でも、社会への「眼」は持っている。
自分の家のどん詰まりな状況は、どのような社会構造のもとに位置づけられるのか。社会への目が開かれると、社会の構造が見えてくる。これは自分や親だけの問題だろうか。社会がおかしいのではないか? こうして生徒たちは自分自身が社会と関わり、おかしいものに対しておかしいと言える「主体」となる。おかしいなら、変えて行かないといけない。状況に流されてしょうがないと諦めていただけの「今まで」とは違う、能動的な存在に生徒たちは変わって行く。
これが、<反貧困学習>の根幹にあるものなのだ。
<反貧困学習>を行う西成高校の思いは、当時も今も変わらない。「自己責任論をどう乗り越えて行けるか」、だ。
2時間ドラマでは、平野紫耀演じる樹山にラーメンを奢ってもらった木の葉がカウンターで、こう吐き捨てるシーンが描かれた。母親は存命で、顔には母親に殴られた痣が生々しい。
「どうせ、オレたちは底辺なんだ。底辺は夢を見てもいけないし、夢を見る権利もないんだよ!」
底辺なんだからしょうがない、夢を見る権利もない――、このような「自己責任論」が生徒たちの未来を押し潰す。この厳然とした現況に抗すべく、<反貧困学習>は展開される。生徒たちが「自分の人生も悪くないよなー」と、生まれてきてよかったと思える未来を手にするために。
次回のテーマは再び、シングルマザー。生徒たちの感想をまとめた結果、6つの論点に整理されたので、参議院選挙前に全政党に質問状として送付すると言う。
さて各政党は、西成高校1年生の声にどう応えるのか。