ある日、いきなり大腸がんと診断され、オストメイトになった39歳のライターが綴る日々。笑いながら泣けて、泣きながら学べる新感覚の闘病エッセイ。
5月24日に退院して以来、人と会うのを口実に、退院直後にしてはなかなかチャレンジングな食生活を送っていた。退院翌日の25日は天ぷら蕎麦と日本酒を4分の1合、26日はあっさり系のラーメンに加えて夜にはグラスワインまで。我ながら暴走が過ぎる。とはいえ、食に関しては病院から制限が出ているわけではない。お酒もお菓子も、適量であれば特に気にせず飲み食いしていいとのこと。
「胃や腸の手術をした後、心配になって食べられなくなっちゃう方ってけっこう多いんですけれど……本当は、食べられるときはなんでも食べたほうがいいんです」
病院の管理栄養士さんは、そう話していた。ただし、それは「食べられるときは」の話であって、腸の調子が悪いときに控えるべきメニューや食材は少なくない。きのこや海藻は、腸に詰まりやすい食材の代表例。ほかにも玄米やパスタ、蕎麦、そうめん、牛肉、青魚、納豆、ピーマン、ブロッコリー、もやし、たけのこ、こんにゃく、柑橘類、コーヒー、スナック菓子などなどなど。コーヒーやお菓子はともかく、一般的に体によいとされている食材が腸疾患においては大敵となることに驚いた。特に食物繊維は要注意らしい。なのでよく噛んで食べてくださいね、と念押しされた。教えを守って、ひと口は少なめにして最低でも10回、なんだったら20回しっかりと噛む。食べるスピードはおのずと遅くなるものの、背にも腹にも大事な腸は代えられない。地道な努力が功を奏して、わたしも腸も調子がよかった。昨日の夜までは。
昨日27日は終日家で過ごしつつ、レタスと豚ロースを蒸したものやかけうどんなど、腸に優しい食事をとった。優しいからといって油断した。シンプルに、食べ過ぎた。
20時頃には腹痛が酷くなって、脂汗をかきながら、ベッドの上でお腹を押さえては一人うめいた。食べたものが今この辺にある! というのが気持ち悪いほどよくわかる。腸が詰まっている感覚。手術から3週間ちょっと、わたしの大腸の消化機能はまだ復活しきっていないのだろう。あれ、大腸って消化のための臓器なんだっけ……? そもそも、わたしは手術した大腸を休ませる必要があるわけだから、ストーマはもしかして小腸に造られている……? 「この辺にある」ということはわかっても、その実、詰まっているのが大腸なのか小腸なのかも理解できていないのがなんとも自分らしい。消化か吸収か運搬か、とにかく何かしらの腸の働きを助けるために、仰向けになったり横向きになったりとこまめに体勢を変えた。けれど、ストーマはいっこうに排泄に至る気配がない。そうこうしながら2時間も苦しんだだろうか、そのうち痛みよりも眠気が勝った。電気をつけっぱなしの部屋で再び目を覚ましたときには、時刻はすでに夜中の3時を回っていた。
ハッとしてストーマを包むパウチに手をやると、その形状から、ガスと排泄物で膨らんでいるのがわかる。看護師さんは「けっこうパンパンになっても破裂しないものですよ」と言っていたけれど、所詮はシールでお腹に貼り付けているだけのペラッペラの装具。破裂しなくても、何かの節に外れて排泄物が漏れてしまったら、それはそれで一巻の終わりだ。トイレで排出の処理をするために慌てて起き上がろうとすると、お腹の浅いところが少しだけ痛む。衰えた腹筋か、はたまた手術の痕なのか、どこがどう痛むのか自分でもよくわからないけれど、身体はしっかりとダメージを受けているんだなと思った。弱った身体に、変な金玉。白熱灯に照らされた自分の身体を、部屋で一人、鼻で笑った。
お腹に力が入らないように、もぞもぞと身体を起こす。ここ数日の食事を振り返りながら、会った人たちのことを考えた。退院翌日に会った人は、しばしの間、よく一緒に過ごしていた人だった。けれど、久しぶりに会うはずのその人との会話は、もう何を話したかもおぼろげなほど。相手の話で「わたしと」話す必要があったのは、ゴールデンウィークにニュージーランドへ行ってわたしへのお土産にマヌカハニーを買ったことと、そしてそれを今日は家に忘れたということくらいだった。蕎麦屋へ行って、ユニクロとスタバに寄って、公園のベンチに座ってラテを飲みながらどうでもいい話をした。本当に、どうでもいい話しか、しなかった。わたしのこの1ヶ月は、INFOBARという昔流行った携帯電話は可愛かった、ガラケー時代は電池カバーの裏にプリクラを貼ったものだったという、いくらでも相手の替えが利くような雑談よりも軽んじられるものだった。退院が前日だったことは、もちろん前もって伝えてある。しびれを切らして自分からがんの話をすると「退院できてよかったね」とだけ言われて、なんだかもう、無理だな、と思った。
別れ際、改札前で目が合ったときに、改めて明確な拒絶を感じた。会うのは今日で最後であることがよくわかった。わたしはきっと、とっくの昔に、あるいはがんの罹患を伝えたその日に死んでいたのだろう。もちろんそれは「その人のなかで」の話に過ぎないけれど、なんだか、実際の死とあまり大差ないようにも感じた。人はゾンビの健康状態やゾンビの生活を心配するような精神構造にはなっていない。だからわたしは何も聞かれなかったのだ。そして今日、わたしのなかでその人も死んでしまった。改札を抜けて人混みに消えていく後ろ姿を見送りながら、相変わらずだっさいパンツを履いているなぁと思いつつ、少しはそれを愛しく思っていた日々があったことに苦笑いした。マヌカハニーはちょっと欲しかったな。
その人の連絡先は、26日に友人たちと会った後に消した。なんだか、とてもすっきりした。わたしはもう大事にすべき人を間違わない、間違ってはならないと思う。
トイレで排出の処理を済ませると、食べ過ぎによる腹痛はいくらかましになっていることに気がついた。同時にお腹も空いていた。何かつまみたいけれど、今食べたらまたお腹が痛くなるかもしれない。さすがに固形物はやめておこう。なかなかやっかいな身体になってしまったが、付き合っていくよりほかはない。コップに水をなみなみと入れ、5分ほどかけてちびちびと飲んで、今度は電気を消して眠った。
(毎週金曜更新♡次回は11月15日公開)
ある日、いきなり大腸がんと診断され、オストメイトになった39歳のライターが綴る日々。笑いながら泣けて、泣きながら学べる新感覚の闘病エッセイ。
プロフィール
ライター
1985年生、都内在住。2024年5月にステージⅢcの大腸がん(S状結腸がん)が判明し、現在は標準治療にて抗がん剤治療中。また、一時的ストーマを有するオストメイトとして生活している。日本酒と寿司とマクドナルドのポテトが好き。早くこのあたりに著書を書き連ねたい。