ある日、いきなり大腸がんと診断され、オストメイトになった39歳のライターが綴る日々。笑いながら泣けて、泣きながら学べる新感覚の闘病エッセイ。
久しぶりに渋谷まで出て、見るだけのお買い物(つまり何も買っていない)。香水やバックパックを見て回り、雨だったこともあって歩き疲れて早々に帰ってきた。
買い物に付き合ってくれた友だちから「がんになって考え方とか何か変わった?」と尋ねられた。うーん、と少し考えてはみたものの、取り立てて何も思い浮かばない。「強いて言うなら、欲しいものは買っておこうかなって思ったくらい……? クレドのパウダーとか……」などと、なんの教訓にもならないような返事をして、友だちを大いに困らせた。いまだに買えていないどころか伊勢丹へも行けていないせいで、クレ・ド・ポー ボーテのパウダーへの執念だけはすごい(ep.02参照)。
大腸がんになって、しかもステージ3以上が確定しているにもかかわらず、なぜか心がざわつくことはあまりない。下手をすると、わたしより友だちのほうが動揺しているんじゃないかと思うときすらある。親や友だち、そして先生をはじめとする病院でお世話になった方々は、きっとわたしに長生きしてほしいと思ってくれているだろう。もちろん、できる限り応えたい気持ちはある。けれど、そういった周囲の望みを一切無視したときに、わたし自身がどこまで生に執着心があるのかは、正直かなり定かではない。
昔から、生きることに対してそこまで貪欲なタイプではなかったように思う。すべてにおいて斜に構える、いわゆる厨二病的なところがあった。というか、今もある。恥ずかしい。人付き合いもコミュニケーションも苦手だったし、学生時代なんてランチタイムの会話やグループ分けが面倒すぎて、よく生徒会室へ行っては一人でごはんを食べていたくらいだ。今のわたしと話した人は、昔のエピソードを聞いても「またまた~」と笑ってくれると思うけれど、自分で言うのもなんだが、わたしの人当たりのよさは39年間の努力の表れに過ぎない。わたしは外面だけは抜群にいい。元来の気質を考えれば、本当に、社会によく順応できていると思う。
人を傷つけず、かつ自分も疲れない、互いに心地よい時間が過ごせるような人間関係のあり方に片足を突っ込めたのは、ここ数年のことだ。会話ひとつとっても、この歳まで練習を重ねなければ満足にできない。住む土地も、付き合う人たちも、勤め先も、もう数え切れないくらい変わっている。卑屈になっているわけではないけれど、ギリギリ順応できているだけで、わたしは日本に暮らす成人としてお世辞にも優秀とは言えないだろう。
それでも、まあ、自分なりにやりたいことはやってきた人生だったとは思う。ライターになりたいという夢は一応叶えられているし(思っていたのとずいぶん違う仕事だったが)、それに伴って、さして旅行好きでもないのになんだかんだ42都道府県を巡って、8つの県やら都やらで暮らしてきた。今年は叶いそうにないが、ここ10年ほど毎年1週間から1ヶ月程度は北海道で過ごしているし、シェアハウス暮らしを中心に、多拠点生活から家なし生活までさまざまな暮らし方を経験した。
なんて話を人にすると、ときどき「自由でいいね」「経験豊富だね」といった言葉をいただく機会に恵まれる。けれど、動けば動くほど華やかに見えるだけで、実際のところ、経験ほど平等なものはないと思う。動的な経験は静的な経験と相容れず、広く知れば深く知る機会は失われる。たとえひとつの島で人生を終えたとしても、自分で決めたことなら、それは「自由」だ。大切なのは、選択肢を知り、理解することだと思う。
そしてわたしは、これまでひとつの場所に留まって、土地や人とじっくり向き合い続ける経験をしてこなかった。そのことを少なからず恥じている。だからわたしは「旅っていいよね」と共感を求められても手放しには同意できないし、「自分探しの旅」にはいささか疑問を抱いている。旅先で見つけたテンション高めの自分より、日常生活でうんざりするほど対峙している自分のほうが、よっぽどホンモノなんじゃない? そもそも旅ってなんだ、旅行のことか? こんな調子で、今でもしっかりこじらせている。あと本当は、自由より経験豊富より、ふらふらしすぎるあまり「どうやって生活してるの?」と尋ねられた回数のほうが圧倒的に多い。知らん! 知っていたらもう少し真っ当な生活をしていたと思います。
そんなこんなで、3、4年くらい前からはずっと一人だ。しかし、一人暮らしの経験があまりにも不足しているため、わたしはいまだにゴから始まる虫の1匹すら、まともに退治することができない。年1ペースで大騒ぎしては近所に住む友人に助けを求め、その度にお酒をごちそうするはめになっている。今暮らしている東京は、信じられないくらい虫が多い。ネズミもタヌキもハクビシンも多い。というか長年の疑問なんですけれど、消費者はゴの虫が嫌いだからスプレーやら毒餌やらを買うというのに、あまつさえリアルなイラストをパッケージにでかでかと載せるとは、一体どういった了見なのでしょうか? まじで。でも、東京、これまで暮らした土地のなかでもトップクラスで好きだから、せめて対策グッズくらいは自分で買えるようになりたいとは思っているよ。
とにかく、振り返ればドタバタと喜劇的な人生だったような気はしないでもない。びっくりするほど道は踏み外しまくっているけれど。
後先考えずに好き放題やってきたからこそ、今は「クレドのパウダーが欲しい」のような、ささやかすぎる願いしか思い浮かばないのかもしれない。その状態が悪いとは思わないけれど、とはいえ、生きるってそんな感じでいいんだっけね? 一方で「やりたいことはやり終えたので」と言い切ってしまうと、それはそれで強がりになってしまうような気もする。わたしは無意識で自暴自棄になったり、あるいは何かを、人生を、無理やり諦めようとしたりしているのだろうか? 大切なことなので、もう少し時間をかけて考えたい。
明後日、6月4日に通院の予約が入っている。きっと、がんのステージ告知をされるだろう。遠くに住む母が「一緒に聞きに行こうか?」と言ってくれて嬉しかったけれど、なんとなく一人で聞きたくて、大丈夫だよ〜と断った。母は、それ以上は何も言わない。たぶん、わたしの面倒くささを嫌というほどわかっているからだと思う。
(毎週金曜更新♡次回は11月22日公開)
ある日、いきなり大腸がんと診断され、オストメイトになった39歳のライターが綴る日々。笑いながら泣けて、泣きながら学べる新感覚の闘病エッセイ。
プロフィール
ライター
1985年生、都内在住。2024年5月にステージⅢcの大腸がん(S状結腸がん)が判明し、現在は標準治療にて抗がん剤治療中。また、一時的ストーマを有するオストメイトとして生活している。日本酒と寿司とマクドナルドのポテトが好き。早くこのあたりに著書を書き連ねたい。