ある日、いきなり大腸がんと診断され、オストメイトになった39歳のライターが綴る日々。笑いながら泣けて、泣きながら学べる新感覚の闘病エッセイ。
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寝る前に時々、わたしに残された時間について考える。
ステージⅢcの大腸がん患者が5年後に生きている確率は、50〜60%程度だという。低く見積もればおよそ2分の1の確率で、わたしは5年後、この世界にはいないことになる。今が元気なだけに、なんだかまるで他人事みたいだ。でも、がんを宣告されたあの日だって、倒れる10秒前までは呑気に前日のピザの残りを食べていたもんな。つまり「今が元気」はなんの当てにもならないということ。
がんというのは不思議な病気で、いつか迎えるその日の1ヶ月ほど前までは、特に大きな支障もなく生活を営める人が大半らしい。はたから見ても何もわからないし、おそらく自身もそうなのだろう。1ヶ月前になると倦怠感や食欲不振などの変化が見られ、徐々に呼吸の苦しさや出血、全身の痛みといった諸症状が増えていき、やがて意識が混濁して、そして二度と目覚めることのない眠りにつく。わたしもきっと、いつかそうやってこの世界からいなくなるのだろう。今は、できる限り苦しむ時間が短いことを願う。
昔、まだ中学生だった頃、友だちと理想の死に方について話していたとき、わたしは「水の入っていないプールに飛び込んで即死」と挙げた。友だちは「子どもや孫、ひ孫たちに見守られて大往生」が理想だと言った。当時はなんてありきたりな死に方なんだと思ったけれど、実際のところ、ありきたりでもなんでもないことを、つい最近になってようやく理解できた気がする。少なくとも、わたしがそんな最期を迎える可能性は、もう1%も残ってはいないだろう。
わたしが多くのがん患者さんと異なるのは、パートナーや子どもなどの家族がいないことだと思う。わたしには幸せにしたい人、しなければならない人は、特にいない。自分の人生の責任さえとれたらいい。それはわたしの気楽さであり、同時に生きるにあたっての弱さでもある。もちろん親や友だちは大切だけれど、「わたしが」幸せにするというのはなんだかちょっと違う気がする。各々が各々の心地よい場所で勝手に幸せに過ごしてくれたら、それがわたしの幸せだ。誰かこの先も一緒に生きていきたい人がいたら、もしかすると、わたしももう少し苦しかったのかもしれない。
周りの人の支えがあっての日々ではあるので、それにはとても感謝している。それとは別に、がんになって、手術や告知、さまざまな対処や決定を一人でクリアしていくことで、この先も一人で生きて、一人で死んでいく覚悟をようやく持てたように思う。人の可能性は生まれてからずっと収束し続け、最終的に死の選択肢だけが残される。だからこそ、何かをするにあたって今日より早い日は存在しない。とはいえ、よっぽどの急展開がなければ、少なくとも40歳の誕生日は元気に迎えられるだろう。誕生日はどこかに一人旅でもできたらいいなと、なんとなく思った。
(毎週金曜更新♡次回は2月21日公開)
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写真は、1905年(明治38年)創業の、日本最古ともいわれる居酒屋「みますや」の店前にて。厳密には、創業当時から同じ場所で営業している居酒屋としては、とのことらしい。何せ、歴史ある居酒屋ということ。個人的には「居酒屋」ではなく「酒場」と呼びたい。
メニュー……と呼ぶには少々はばかられるような、和紙のような質感のある紙を縦綴じにしたお品書きには「牛煮込」「さくらさしみ」「アジフライ」などの品々が筆書きで並ぶ。どれもお酒のあてとして嬉しいものばかりで、数品と一緒に瓶ビールを頼んだ。
それにしても、最古ってすごい。最新はやがて更新されゆく定めにあるけれど、最古は基本的に更新されないものだから。何をするにも、やっぱり早く始めたほうがいいということ。などと、かなり強引なこじつけで締めくくらせていただきます。
プロフィール
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ライター
1985年生、都内在住。2024年5月にステージⅢcの大腸がん(S状結腸がん)が判明し、現在は標準治療にて抗がん剤治療中。また、一時的ストーマを有するオストメイトとして生活している。日本酒と寿司とマクドナルドのポテトが好き。早くこのあたりに著書を書き連ねたい。