政治状況と無理解が阻んだ朝鮮学校無償化
――そうした状況が最近、さらに強烈な逆風にさらされています。これは第2次安倍政権からとお考えですか。
前川 第2次安倍政権が非常にハッキリと打ち出したということでしょうが、それ以前から動きはありました。民主党政権が目玉政策のひとつとして高校無償化制度を導入しましたね。あの際に朝鮮学校を対象とするか否かが大きな問題になったのはご記憶でしょう。もともと民主党は政権を取る以前、野党時代に高校無償化法案を作っていて、その法案の考え方としては、朝鮮学校も無償化の対象とする前提でした。だから民主党が政権を取った際、今度は内閣提出法案として制度を作ることになり、私は文科省でその制度設計の責任者だったんです。
――当時の前川さんの役職は?
前川 初等中等教育局のナンバー2にあたる審議官です。私は当初から朝鮮学校を無償化の対象にするつもりでいたんですが、2010年に制度がスタートした際、残念ながら朝鮮学校を対象にすることができませんでした。なぜかと言えば、民主党政権の中にも強力に反対する人たちがいたからです。筆頭格が中井洽(ひろし)さんでした。
――2009年に民主党が政権を奪取すると、中井氏は鳩山由紀夫政権の国家公安委員長として入閣し、同時に拉致問題担当の大臣も兼務していますね。
前川 その中井さんが拉致問題担当大臣として徹底的に反対し、拉致被害者の支援にあたる人びとも抵抗した。これが効いたんですね。「拉致問題が解決しないうちから朝鮮学校に無償化の恩恵をもたらすのは良くない」と。でも、そんなことは何の関係もない話だと私はずっと思っていました。江戸の仇を長崎で討つどころか、地球の仇を火星で討つようなものです。
――確かに日本人拉致は北朝鮮が引き起こした国家犯罪ですが、朝鮮学校で学ぶ子どもたちには何の関係もないことですからね。
前川 ええ、こんなに理不尽な話はない。しかも現在の朝鮮学校の生徒たちは大抵が3世や4世で、生まれたときから日本で暮らしているわけです。生まれたときから日本語の中で暮らし、日本の本を読んで、日本の漫画を読んで、日本のテレビを見て、日本のゲームやアイドルを追っかけて、どっぷりと日本の文化の中で成長している。朝鮮学校に入って初めて第2言語として朝鮮語を勉強するに過ぎません。外国人の教育に日本の税金を使うのはけしからんなどという人もいますが、在日の人びとは税金を払っているわけですから、私は極めて理不尽な話だとずっと思っていました。
だから私としては、2010年の制度スタート時には無償化対象にできなかったけれど、2011年度からは個別審査という仕組みを導入して、法律としても成立し、その中で朝鮮学校を救っていこうと考えたわけです。そのための仕事をずっとやっていて、途中で初等中等教育局から外れて官房の総括審議官になりましたが、2010年の秋ぐらいには大体のお膳立てができていたんです。
――ところがそれも実現しなかった。
前川 何が起きたかというと、2010年11月に北朝鮮が韓国の延坪(ヨンピョン)島を砲撃する事件が起きてしまいました。これも本来、在日の子どもたちの教育とは何の関係もない話ですよ。ところが「国民の理解を得られない」と言うんですね。私に言わせればそれは、偏見を持っているから理解を得られないという話であって……。
――しかし、最終的にはインターナショナルスクールなどの外国人学校も軒並み無償化の対象になりましたね。朝鮮学校だけを対象から外すというのは、逆に理屈が通りにくい気がします。
前川 通りにくいんですが、外国人学校を無償化対象にする方法をいくつか作ったんです。そのどれかに当てはまれば無償化の対象にすることになった。まず第1のカテゴリーが、本国政府が本国の正規の学校教育と同等だと認めたものです。フランス人学校やドイツ人学校、ブリティッシュスクールなどはこれですべて認められました。このほかブラジル人学校なども結構多かったんですが、ブラジル人学校とブラジル政府というのは、実は何の関係もないんですね。ところがブラジルの大使館は証明書をボンボン出してくれたので、すべてを救って無償化の対象にすることができた。ところがこの「本国」というのは、日本と国交がなければダメだということになってしまい、朝鮮学校は対象から外されてしまいました。台湾系の中華学校は認められたのですが。
――なるほど。
前川 もうひとつのカテゴリーは、これはインターナショナルスクールなどを救う方法として、国際的に権威のある認証団体をいくつか選び、その認証を受けていれば無条件に認めるということにしました。ところが、ここでも朝鮮学校はそういう認証を受けていない。いずれのカテゴリーにも入らず、しかも一部のメディアが朝鮮学校の“問題点”をことさらあげつらい、それに政治が呼応して反発が広がるような状態になってしまって……。
――お話をうかがっていると、確かに朝鮮学校だけを狙い撃ちした差別という印象を受けますが、文部科学省内の雰囲気はどうだったんですか。
前川 やはり朝鮮学校に対する偏見というか、ネガティブな考えは組織の中にたくさんありました。たとえば言葉遣いに表れるんですよ。「朝鮮学校」と呼ぶか「朝鮮人学校」と呼ぶか。私は常に「朝鮮学校」と言いますが、ネガティブな人たちはなぜか「朝鮮人学校」と呼ぶ。
――文科省内ではどちらの方が多かったんですか。
前川 それでも当初は「朝鮮学校」と呼んでいる人の方が多かったですね。でも、「朝鮮人学校」と呼ぶ人がだんだん多くなってしまった。
――つまり、政権の意向や雰囲気を“忖度(そんたく)”するということですか。
前川 そう。役人というのは大半が権力に従いますから。政権次第でグラグラする。中には、露骨に官邸などの意向に迎合したり、べったりになって出世を狙う者もいます。
――朝鮮学校の無償化に関していえば、民主党内に反対派もいたし、民主党政権の末期になってくると、次は自由民主党政権が戻ってくるだろうと考え、こんなことで不興を買ってはよろしくないと考える役人もいたのでしょう。
前川 そうなってしまいましたね。
近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。 同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。 これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。
プロフィール
前川喜平(まえかわ・きへい)
1955年奈良県生まれ。元文部科学事務次官。2017年に退官。著書に『面従腹背』(毎日新聞出版)、共著に『ハッキリ言わせていただきます!黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題』(谷口真由美氏との共著/集英社)、『これからの日本、これからの教育』(寺脇研氏との共著/ちくま新書)、『同調圧力』(望月衣塑子氏、マーティン・ファクラー氏との共著/角川新書)等多数。
青木理(あおき・おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年フリーに。著書に『日本会議の正体』(平凡社新書)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『情報隠蔽国家』(河出書房新社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)、共著に『スノーデン 日本への警告』『メディアは誰のものか―「本と新聞の大学」講義録』(集英社新書)等がある。