「教育勅語」局長答弁を下村博文大臣に書き直しさせられた
――そして実際に自民党が政権に復帰し、2012年に第2次安倍政権が発足しました。以後の動きについては前川さんにいろいろお聞きしたいのですが、まずは前川さんが当事者にもなった教育勅語をめぐる出来事です。下村博文(はくぶん)氏が第2次安倍政権の発足時に文科相に就いた際、教育勅語を授業で使っても構わないという趣旨の答弁を初等中等教育局長の前川さんが国会でしていますね。これはどういう経緯だったんですか。
前川 あれは参議院の文教科学委員会だったと思いますが、質問したのは和田政宗議員(自民党。当時はみんなの党)でした。
――和田氏は現在の自民党でも最右派というか、ネトウヨ的な言動の議員として知られます。
前川 その和田議員から答弁前日に質問通告があって、局長に答弁を求める質問の中に「教育勅語を学校教材として使うべきだと思うが、いかがか」というものがあったんです。大臣の答弁や局長の答弁というのは、質問通告を受けた役所でみんな夜中に一生懸命作って、委員会のある日は朝早く大臣室に集まって、答弁に関する勉強会を開くんです。これを「大臣レク」と呼ぶんですが、通常は大臣への質問と答弁だけを大臣にあげる。局長への質問や答弁まではわざわざ見せません。ところが下村大臣は時々局長答弁も見せろということがあって、このときも私の答弁を見せろと言い出したんです。当該の質問にどう答えるつもりなんだと。そして、これじゃダメだと言われて。
――和田議員から通告のあった教育勅語に関する局長答弁ですね。当初はどのようなスタンスで?
前川 過去の政府見解を踏まえた答弁で、結論からいえば「適切ではない」と。そもそも教育勅語は終戦直後、憲法などの理念にもとるとして衆参両院で排除、失効確認の決議まで行われているわけですから、「適切ではない」というのは至極常識的な答弁でした。ところが下村大臣は、教育勅語を教材として使うのも「“差し支えない”と書け」と。
――まったく真逆ではないですか。
前川 真逆です。その理屈としては、教育勅語の中には現在でも通用する普遍的な内容も含まれているから、そこに着目して学校で使うのは「差し支えない」と、そう書き直せと言われて……。
――書き直したと。
前川 大臣に命じられたら書き直すしかありません。書き直したものを持ってこいとおっしゃるので、実際に「差し支えない」と書いたものを持っていったら「よし、これでいい」と。しかし、局長として答弁するのは私ですからね。教育勅語の歴史的な意味や果たした役割、従来の政府見解などを考えれば明らかにおかしな答弁ですから、実際の答弁では「差し支えない」とは言わなかったんです。確か「今日でも通用する内容が含まれている」というところまではほぼ答弁史料どおりに答えましたが、そのあとは、「教材として使うことも考えられます」というような言い方でお茶を濁したというか、言葉を濁しました。
――国会議事録を確認してみると、前川さんはこう答弁しています。「教育勅語を我が国の教育の唯一の根本理念であるとするような指導を行うことは不適切であるというふうに考えますが、教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれておりまして、これらの点に着目して学校で活用するということは考えられるというふうに考えております」。確かに微妙に言葉を濁していますが(笑)、少なくとも「差し支えない」とは言っていない。
前川 ええ(笑)。そうしたら、私の答弁ではダメだと思ったんでしょうね。下村大臣が私の答弁の後に自ら手をあげて、補足をすると言って、「差し支えない」という答弁を大臣自らしたんです。
――これも国会議事録に記録が残っています。前川局長に続いて下村大臣が答弁に立ち、「教育勅語の中身そのものについては今日でも通用する普遍的なものがあるわけでございまして、この点に着目して学校で教材として使う(中略)それは差し支えないことであるというふうに思います」と明言している。つまり、従来の政府見解を完全に変えてしまったわけですか。
前川 変えてしまいました。もちろん、その前段の部分、衆参両院で排除宣言や失効確認がなされたという部分は変わっていないんですよ。教育の理念を示すものとしてはもちろん使えない。しかし、一部の「普遍的な内容」については使えるという理屈になってしまった。私に言わせれば、教育勅語は全体が特殊な考えに基づくものだから、その一部だって普遍的なものではあり得ない。しかし、一部とはいえ「使っても差し支えない」と変更されてしまったのは、解釈改憲的な意味を含む重大な出来事でした。それに教育勅語だけではないんです。
――というと?
前川 道徳の教科化もそうですし、教科書の検定基準も変えた。政府見解を必ず書けというふうに変えられ、ほかにも学習指導要領の解説も書き換えられています。これは極めて異例のことなんです。学習指導要領の解説というのは、学習指導要領に書いてあるのはこういう意味ですよ、という注釈書みたいなものですから、学習指導要領を変えた際に解説も変えるのは当然ですが、本体が変わっていないのに解説だけ変えるなんていうのはおかしな話なんです。ところが、解説だけを書き換えるというおかしなことをやらされました。
――それも2014年、下村文科相の時代ですね。領土教育を重視するという政権の意向が色濃く反映されていました。
前川 そうです。この解説の書き換えで具体的にどういう効果があるかというと、まずは学校現場の先生たちに伝えるメッセージになる。それ以上に実質的な影響を与えるのが教科書の記述です。教科書会社は解説に書いてあることを参考にしながら教科書を作りますから、実際に教科書の記述が変わりました。自衛隊の記述も増えたし、領土の記述も増えた。指導要領の解説を変えて教科書の中身に影響を与え、政府見解を必ず書けというふうに検定基準も変えた。すべては2014年度の出来事です。
――やはり下村氏が文科相になった影響は大きかった。
前川 大きかったですね。その後はもっと妙な右派議員に振り回されることも起きてしまいますが……。(つづく)
近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。 同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。 これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。
プロフィール
前川喜平(まえかわ・きへい)
1955年奈良県生まれ。元文部科学事務次官。2017年に退官。著書に『面従腹背』(毎日新聞出版)、共著に『ハッキリ言わせていただきます!黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題』(谷口真由美氏との共著/集英社)、『これからの日本、これからの教育』(寺脇研氏との共著/ちくま新書)、『同調圧力』(望月衣塑子氏、マーティン・ファクラー氏との共著/角川新書)等多数。
青木理(あおき・おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年フリーに。著書に『日本会議の正体』(平凡社新書)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『情報隠蔽国家』(河出書房新社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)、共著に『スノーデン 日本への警告』『メディアは誰のものか―「本と新聞の大学」講義録』(集英社新書)等がある。