【青木理 特別連載】官製ヘイトを撃つ 第二回

教育勅語、国体思想には他民族排除の思想がビルトインされている 元文部科学事務次官・前川喜平氏に訊く②

前川喜平 × 青木理

型にはまった国民を作っていこうとする方向性と、
ひとりひとりの個性を伸ばしていく方向性、
戦後の教育において、ずっとせめぎあってきたふたつの流れ

 

――教育分野でいえば、現政権やその支持層は「親学(おやがく)」なんてものをありがたがる風潮まであります。

前川 私は直接関わっていませんが、生涯学習政策局(現総合教育政策局)に男女共同参画学習課というのがあり、その中には家庭教育支援室というのがあったんです。ここが「親学」なるものの被害を受けているんだと思います。でも、「親学」なんてトンデモ学問ですよ。提唱しているのは高橋史朗さんでしょう。

――ええ。明星大学教授の高橋氏は「親学推進協会」なるものの代表を務めていますが、同時に右派団体・日本会議の活動などにも深く関わっています。そればかりか、「親学推進議員連盟」が発足した際に会長となったのが安倍首相です。現政権への影響力は無視できないでしょう。

前川 しかし、「親学」なるものは「伝統的な子育てが発達障害を予防する」などという非科学的な主張、まったく根拠のないことを言ってきたわけでしょう。そんなものはインチキ学問、インチキ運動です。親としての学習をすること自体は悪くないにしても、それはきちんとした専門家のもとで行われるべきことで、「親学」なんていうものは、私から見れば、とても真っ当な政策として取り入れられるものじゃありません。

――とはいえ、そうしたインチキ学問が政権に一定の影響力を持ち、家庭教育や個人の自由に国家が踏み込もうという風潮がある。そういう意味では、道徳の教科化といったものもその延長線上にあるわけですね。

前川 道徳の教科化は戦後一貫してくすぶっていた問題ですけれど、ついに具体的な形となって顕在化したということでしょう。歴史を振り返ってみれば、戦前は「修身科」が正式な教科でしたね。そればかりか、1880年の教育令改正によって小学校教科の首位、つまりは一番大事な教科とされ、1890年の教育勅語発布後は特に重視されたわけです。戦前の学校というのは臣民を育成する機関だという考えに基づいていて、臣民を育成するのに最も大切な教科は修身だと位置づけられた。

 一方で教科とは何かといえば、まずは教科書があり、それから成績もつける。つまり皇国の立派な臣民になっているかどうか成績をつけるわけです。お国のために必死で「立派な皇国臣民」になろうとする子どもに優秀な成績をつけ、自由にいろいろなことをしたいなんていう子どもはダメだと、そういう評価までしてしまう。ところが、戦争に負けてGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令で真っ先にやめろと言われたのがこの修身科と国史、皇国史観に基づく歴史教育でした。

――同時に教育勅語も排除されたと。

前川 ええ。すでにお話ししましたが、1948年に衆議院は「憲法に違反する」として教育勅語の排除宣言を、参議院は「教育基本法に違反する」として失効確認を決議しています。だから教育勅語に基づく教育などはできませんよということになったわけで、修身科が復活するなどというのは本来あり得ないはずなんですが、「道徳の時間」というのが設けられたのは1958年。岸信介政権下のことです。

――そうでしたね。そういう意味では岸信介から安倍晋三へと、戦後日本の右派血脈の流れが政策となって顕在化している。

前川 岸内閣は石橋湛山首相が病に倒れ、外相だった岸が急きょ首相となって1957年に発足しています。だから当初は石橋湛山が任命した大臣が残っていたんですが、間もなく岸は内閣を改造して、自分の好みの顔ぶれに変えました。その際の文部大臣が松永東(とう)です。のちに息子の松永光という人も文部大臣になって親子二代で文部大臣を務めることになりますが、この松永東という人が相当な右派で、「来年度から道徳の授業をやる」と鶴の一声ではじめてしまったんです。

――とはいえ、正式な教科ではなかったわけですね。

前川 正式な教科ではないけれども、教育課程内の教育ではある、という位置づけになります。たとえば各種の部活動は、実は現在も教育課程外の活動なんです。一方で特別活動というものがある。学級会とか、運動会などもそうです。変わったところでは、給食の時間も特別活動に含まれます。「道徳の時間」も同じで、教科ではないけれども教育課程内。教科のほかに「道徳の時間」があるという建てつけにした。でも、これも後づけの理屈のようなもので、松永大臣は「とにかく道徳の時間をはじめるんだ」と言って、翌年の1958年度から通達ではじめてしまったわけです。

――その状態が半世紀以上、ずっとつづいてきたと。

前川 そうです。1958年から2018年3月までつづいていました。教科とどう違うかをもう少し具体的に言うと、まずは検定教科書がありません。次に専門の教員免許状もありません。そして学習到達度を評価することもありません。

――つまり成績をつけないと。

前川 ええ。逆にいえば、教科となるためにはその3点セットが必要になります。一方で道徳の教科化と言う議論はずっとあったわけですが、果たしてこの3つを満たせるでしょうか。道徳でどうやって成績をつけるのか、道徳専門の教員免許状なんて本当に作るんですか。これはやはり無理があるということで、道徳の教科化は無理だと、文部科学省の大部分の人間がそう考えていました。ところが、それでも教科化しろと最初に言いはじめたのは森喜朗内閣です。首相の私的諮問機関だった教育改革国民会議で最初に顕在化させた。底流にずっとあったものを政策として打ち出したんです。

――2000年のことでしたね。会議の報告では「愛国心」などを強調しつつ「学校は道徳を教えることをためらわない」とまで書き込みました。

前川 そうして振り返ってみると、政治の「if」を考えてしまいます。石橋湛山がもう少し頑張ってくれていれば、「道徳の時間」なんて作られなかったかもしれない。森喜朗首相の前の小渕恵三首相がもう少し長生きされていれば、道徳の教科化なんていう話にはならなかったかもしれない。過去の自民党の中にはいろいろな人がいました。タカ派的な系譜で言うと岸信介、中曽根康弘、森喜朗、そして安倍晋三とつづいてきたと私は思うんです。その間には決してタカ派ではない人もいましたが、岸、中曽根、森、安倍とつながってくるに従って、確かにさまざまなものが顕在化させられてきている。

――その方向性は歴史修正主義的で戦前回帰的な復古主義ですね。森喜朗が「日本は天皇を中心とした神の国」といみじくも言い放ちましたが、戦前に臣民教育の中核だった修身が「道徳の時間」として再登場し、ついには教科化された。排除されたはずの教育勅語まで学校教育で使うことが「差し支えない」とされつつある。第1次安倍政権では教育基本法も改定されてしまいました。戦後の矜持とされてきた結界がひとつひとつ、確実に突破されてきている感があります。

前川 ええ、やられつづけていますね。それは確かです。ただ、長期的な教育政策の面から言うと、臣民化しようというような動きの一方、自分でものを考える人間を育てるという方向の教育改革も継続して進められてきてはいるんです。最近の言葉だとアクティブ・ラーニング、日本語では「主体的で対話的で深い学び」と言っていますが、学習者の主体性を重視する教育政策だって実は30年もずっとつづけられている。寺脇研さん(元文科官僚)が中心となった「ゆとり教育」にしても、ひとりひとりが自分で考える人間を育てるというのが基本でした。

 ですから、ふたつの潮流がせめぎあっているという感じがします。型にはまった臣民のような国民をつくっていこうとする方向性と、ひとりひとりの個性を伸ばしていく方向性、それぞれ独立した人間として自分で考え、自由にものが言えるように育てていく方向性が、戦後の教育においてはずっとせめぎあってきた。現在は前者の風潮が非常に強まってしまっていますが、戦後の最初の数年間は後者の方向性の方がはるかに強かった。その後、いわゆる逆コースなどを経て1971年、つまり昭和46年に「46答申」というものが出されます。これは教育関係者の間ではとても有名なものですが、中央教育審議会がこの年に出した答申です。ひとりひとりを大事にするということまでハッキリと言っていませんでしたが、教育の多様化を進めていこうという内容で、これをさらにハッキリと示したのが臨教審になります。

――臨時教育審議会ですか。中曽根康弘政権が主導し、設置されたのは1984年。以後、1987年まで4次にわたる答申を出しました。

前川 この臨教審は、つくった政権の意図とは別の方向に行ったので、私はパラドクスと呼んでいるんです。

――というと?

前川 つくったのは中曽根首相ですから、何のために作ったかといえば、国家主義の方向に教育を持っていきたいと考えていたんでしょう。憲法を改正するためには教育基本法の改正が必要で、教育基本法を改正するためには、そのお膳立てをする国民的な議論の場を作らなくてはならないと。そのための土俵として臨教審を作ったんですが、実際の臨教審答申は「個性重視の原則」とか「生涯学習体系」とか、学ぶ人たちの主体性が大事だという方向に向かいました。私にしても寺脇研さんにしても、この臨教審答申というのは福音でした。ひとりひとりを大事にする教育、ひとりひとりが自分で考え、自由に行動するための土台を作っていく教育。そういう方向に教育行政を持っていけるということで、私は臨教審があってよかったと考えています。あれがあるのとないのとでは、その後の文科省での私の仕事は相当に変わってしまったと思うほどです。

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【青木理 特別連載】官製ヘイトを撃つ

近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。 同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。 これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。

プロフィール

前川喜平 × 青木理

 

前川喜平(まえかわ・きへい)
1955年奈良県生まれ。元文部科学事務次官。2017年に退官。著書に『面従腹背』(毎日新聞出版)、共著に『ハッキリ言わせていただきます!黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題』(谷口真由美氏との共著/集英社)、『これからの日本、これからの教育』(寺脇研氏との共著/ちくま新書)、『同調圧力』(望月衣塑子氏、マーティン・ファクラー氏との共著/角川新書)等多数。

青木理(あおき・おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年フリーに。著書に『日本会議の正体』(平凡社新書)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『情報隠蔽国家』(河出書房新社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)、共著に『スノーデン 日本への警告』『メディアは誰のものか―「本と新聞の大学」講義録』(集英社新書)等がある。

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