教育勅語、国体思想には他民族排除の思想がビルトインされている 元文部科学事務次官・前川喜平氏に訊く②
教育勅語や『国体の本義』などに含まれている考え方には、
血のつながらない人間を排除したり、
他民族を排除したりする思想がビルトインされている
――お話しされるように、ふたつの潮流がせめぎあってきた戦後の教育行政は、ここにきて国家主義的な潮流が優勢になっていますね。時を同じくして差別や排外主義的な風潮が日本社会に強まっています。ヘイトスピーチなどはその典型例ですが、教育行政をめぐる揺り戻しとも関係があるとお考えですか。
前川 やはりつながっていると思いますよ。それは戦前戦中の国体思想を考えるとわかりやすいと思います。
――どういうことですか。
前川 1937(昭和12)年に当時の文部省が作った『国体の本義』という文章がありますね。国体明徴運動を受けて作られたものです。
――ええ。1937年といえば日中戦争がはじまった年ですが、2年前の1935年にはいわゆる天皇機関説事件が起こり、それまで一般的な学説とされた天皇機関説が右翼や軍部に排撃され、日本国内は国体明徴運動に席巻されました。これを受けて政府も「国体」なるものの定義づけを迫られ、国民教化用の小冊子として文部省が編纂したのが『国体の本義』。いわば戦中のファッショ体制を支えた国体思想の“公式的解釈書”といえるものですね。
前川 したがって非常に先鋭化した国体思想をあらわしているんですが、その『国体の本義』をつぶさに読んでみると、古事記、日本書紀から説き起こして天照大神などが登場する一方、教育勅語の言葉をたくさん使って説明し直しているんです。そして何度となく出てくる言葉が「一大家族国家」。日本という国は「一大家族国家」であると。天皇がお父さまであり、臣民は赤子の関係だと。この大きな家と相似形になるのがひとつひとつの家で、ひとつひとつの家が国家の細胞のようなものを構成する。すなわち家が単位となって国家は成り立っているということです。自民党の改憲草案にもこの「単位」という言葉が登場しますね。
――いわゆる家族条項ですね。改憲草案の24条に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」と書かれています。さらに「家族は、互いに助け合わなければならない」とも。国家権力の行使側を制御すべき憲法に、国民をしばるような道徳条項を入れるのは大問題だという批判があり、私もその通りだと思うんですが。
前川 その通りですが、『国体の本義』から浮かび上がるのは「家族国家思想」なんです。ひとつひとつの家は家長のお父さんが統(す)べる小さな国家で、大きな家にあたる国のお父さんは天皇。「家」のお父さんの言うことをちゃんと聞くのが忠孝の「孝」、「国」のお父さんである天皇に忠誠を誓うのが「忠」となり、家と国が垂直につながっている。さらにはこれが男系男子のご先祖さまにつながっていって、最初のご先祖さまとして天照大神にたどり着く。要するに天皇家が日本人の総本家で、そこからどんどん枝分かれした分家がひとつひとつの家だという「一大家族国家」は、すべて血でつながった血縁共同体だという観念がある。
――なるほど。
前川 戦時中の日本は国体明徴運動の煽りを受け、そういう考え方が非常に強くなってしまいました。ご指摘のように、それ以前は美濃部達吉の天皇機関説などもあったのに、国体明徴運動で完全に抹殺されてしまい、超国家主義あるいは超民族主義のような風潮が極度に強まったのが終戦までの10年ほどではないでしょうか。
――しかし、この「一大家族国家」的な考え方は差別や排他主義と直結しやすいですね。血のつながらない者を排除したり、権威や秩序にまつろわぬ者を攻撃したり……。
前川 私もそう思います。血のつながらないものはどこまでいってもよそ者で、仲間にはなれないという考えになってしまう。最近の外国人労働者政策にもそれがあらわれているでしょう。助っ人として5年なり10年なり来るのはいいけれど、その後は帰ってくれと。キミたちは絶対日本人になれないんだと。国籍法もそうです。日本は血統主義ですから、日本国民から生まれたら日本国民になれますが、日本国民から生まれなかったら日本国民になれない。アメリカやヨーロッパなどは出生地主義ですから、その地で生まれれば国籍をもらえますね。アメリカなどはもともと移民が作った国家ですから、血統主義なんてとりようがないのでしょうが、一方の日本は中曽根康弘さんに言わせれば「悠久の歴史を持つ自然国家」ということになってしまう。中曽根さんの理屈や思想は、書かれているものなどを読むと、『国体の本義』に書いてあることと非常に似ているんです。
――しかも『国体の本義』を読んでみると、自民党の改憲草案とも非常に共通点が多い。その源流はやはり中曽根首相の思想だったと。
前川 中曽根さんが東京帝大の法学部に在籍したころ美濃部達吉はすでにいませんし、国体思想一色に染まった時代に憲法学を勉強したわけですから、彼の憲法観や国家観に色濃く反映されているのでしょう。しかし、そういう国家観や思想、教育勅語や『国体の本義』などに含まれている考え方には、血のつながらない人間を排除するとか、他民族を排除するといった思想がビルトインされていると思います。
――中曽根さんなどはまさに戦前戦中に学び育った人間ですから、その時代にノスタルジーを持つ気持ちもわからないではありませんが、現在の首相がかつての暗い時代への揺り戻しに躍起になっているように見えるのはいったいなぜなんでしょうね。
前川 私にはよくわかりませんが、ご自分が依るべき思想がないんじゃないですか。しっかりとしたご自分の思想を作れなかったので、古い考えによりかかっている。おじいさんは偉かったという程度の情念かもしれませんけれども。(つづく)
近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。 同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。 これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。
プロフィール
前川喜平(まえかわ・きへい)
1955年奈良県生まれ。元文部科学事務次官。2017年に退官。著書に『面従腹背』(毎日新聞出版)、共著に『ハッキリ言わせていただきます!黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題』(谷口真由美氏との共著/集英社)、『これからの日本、これからの教育』(寺脇研氏との共著/ちくま新書)、『同調圧力』(望月衣塑子氏、マーティン・ファクラー氏との共著/角川新書)等多数。
青木理(あおき・おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年フリーに。著書に『日本会議の正体』(平凡社新書)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『情報隠蔽国家』(河出書房新社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)、共著に『スノーデン 日本への警告』『メディアは誰のものか―「本と新聞の大学」講義録』(集英社新書)等がある。