【青木理 特別連載】官製ヘイトを撃つ 第六回

第六回 日本と韓国、市民サイドの関係をもっと深める創意工夫を 在日一世の詩人・金時鐘氏に訊く③

金時鐘 × 青木理

自分に直接的な損得がないと、
日本の人は社会に関わろうとしない

――かつて何があったかの歴史を知り、おのれの国が何をなしたかを真摯に省察し、相手の立場や周辺状況にも思いを致す……。まったく同感ですが、近年の日本社会はやはり逆の方向に歩を進めています。何よりも政権が先導する形で歴史認識を逆回転させている。韓国との間でも、いまだに歴史認識問題をめぐって対立が続き、むしろそれは高まる一方という始末です。

金時鐘 これは日本人の伝統的な気質みたいなもののように思われてならないんですが……、私は、決して悪口として言うつもりではないんですけど、日本人は総じて、過ぎ去ったことは過ぎ去ったこととしてケロッと過ごしてしまうという習慣めいた気質があるようですね。日本が戦争に負けたのは私が17歳のときです。言うのも恥ずかしいけれど、植民統治下で生まれ育った私も相当な軍国少年、皇国少年の1人でした。鬼畜米英といってアメリカを憎み、アメリカ兵に捕まったら女はみんな凌辱されると思っていた。アメリカ兵なんていうのは人間じゃない、人間を生のまま食ってしまう鬼のような奴らだと教えられ、それを本当に信じ込んでいたんです。

――ところが敗戦と同時に大半の日本人はそんなことを忘れてしまったと。

金時鐘 ええ、見事なほどにケロッと。しかもトルーマンの日本占領政策というのは、皮肉も込めて言えば、非常に優れていました。日本は天皇さえ安泰にすれば、国民はみんな静かになると見抜いていた。天皇に戦争責任がないなんて思った人、当時はほとんどいなかったでしょう。天皇の名で召集され、徴用され、死ぬときは「天皇陛下万歳」と叫ばされたんですから。私みたいに植民地で育った人間ですら、戦争に負けた際は茫然となってしまって、10日ほどは飯もろくに食べられなかったほどです。なのに日本人は、お人好しなのかどうなのか、過ぎたことは過ぎたことというふうにケロッと忘れ、冷戦体制下における極東の一大拠点にするというアメリカの思惑どおりに染まってしまった。原爆投下だってそうですよ。あんなものを落とす必要はなかった。実験ですよ、あれは。

――おっしゃる通りです。実験であり、民間人に対する無差別殺戮でしょう。

金時鐘 一方の韓国では、教科書などで延々と植民統治の過酷さ、残酷さを教えますからね。ただし、それでも韓国の人びと、特に若者たちは最近、年に百何十万人も観光で日本に来ていますから、韓国人は決して日本人嫌いではない。日本は清潔だし、礼儀正しいし、むしろ好感を抱いている。だけど、国と国という関係に立つと、教えられたものがちゃんと作用する。

――もちろん韓国にも、まして北朝鮮には大いに問題はありますが、やはり僕は日本に暮らすジャーナリスト、物書きの1人として、日本の政治と社会の現状を深く憂います。そして思い出すのは生前の金大中(キム・デジュン)にインタビューした際のことです。日本の表も裏も知り尽くした彼は、こんな趣旨のことを言いました。結局のところ日本の人びとは自力で民主主義を勝ち取ったことが1度もないんだ、と。そのとおりだと僕は思います。米軍基地を押しつけられた沖縄にせよ、軍事独裁に抗して民主化運動を繰り広げた韓国などは特にそうですが、民主主義の本当の必要性やありがたさを切実に感じている。虐げられてきたからこそ、民主主義というものは人びとが自分でつかみとり、努力を続けていかなければならないことを肌で知っている。

ところが戦後の日本は、僕も含めて幸せだったといえば幸せだったんでしょうが、先ほど時鐘さんが指摘されたように、戦争に負けたら「鬼畜米英」から「戦後民主主義」へと瞬時に宗旨替えし、ドイツなどとは違って分断の苦悩は朝鮮半島に押しつけ、日米安保体制こそが日本の基軸だといいながら、その最大の負の側面である米軍基地は沖縄に押しつけている。しかも戦後日本の高度経済成長は朝鮮戦争が最初の跳躍台でした。要するに、不幸はすべて周縁部に押しつけ、日本の人びとは……もっと正確に言えば本土の人びとは、その果実だけを貪り食ってきてしまったのではないですか。

金時鐘 いや、押しつけた意識すらないでしょう。押しつけるというのは、ある意思が働いた結果です。本当は、押しつけていることすら知らない。

――そうかもしれません。

金時鐘 総じて日本人はおとなしいし、波風を立てることがないように慎ましやかに対応する人たちですが、私のようにとうが立った者からすると、関わることをむしろしないんですね。関わることをしなければ、波風だって立たない。そうした中でも敏感になるのは自己との関係における直接的な得失でしょう。得るか、失うかの関係には、日本人はものすごく敏感に対応します。

――ならば、ここで例に出すのは不適切かもしれませんが、街頭に繰り出してヘイトスピーチをがなりたてる連中などというのは、時鐘さんの見つめ続けてきた日本社会ではむしろ珍しい存在なわけですね。

金時鐘 あんなに正面きって口にするのは、よほど豪胆なのか、あるいはよほど無神経か、そのどちらかでしょう。ただ、在日朝鮮人に対する差別というのは、差別ではなくて蔑みだと申しあげました。これは明治以降、まるで遺伝子のように脈々と受け継がれている。内心化されたDNAみたいなものです。それは拒否感、嫌悪感です。日本に何十年住んでも変な日本語を使い、身なりは汚らしく、食べ物は訳のわからんものを食べるというので、そういう嫌悪感や拒否感が蔑みに変わった。

 もちろん、是正されている部分もあります。同じ蔑みであっても、振り返ってみれば1980年代の半ばまで、朝鮮人を悪し様にいう罵りの最たるものに「ニンニク臭い」というのがありました。あのにおいが苦手な者には確かに嫌なものでしょうが、いまは「ニンニク臭い」なんて誰も言わない。焼肉やキムチがこれほど一般に広がったんですから。日本全国のあちこちにある焼肉屋の味つけは在日朝鮮人の生活の知恵からはじまったもので、本国の焼肉にまで広がっています。ホルモン料理だってそう。あんなもんは昔、タダみたいに分け合っていた。でも、臭くてよう食べられんかった。それを在日朝鮮人が工夫をして、あれはメリケン粉で揉むとにおいがとれるんですね。腸を裏返して、メリケン粉をぶち込んで揉んだらとれる。それでホルモン料理が盛んになった。

だから文化という面では是正可能だと考えるんですが、文化というのは非常に独自なものでね。ある一定量の人びとが、ある特定の場所で、一定の年月を超えて生活すると、その人たちの独自の生活文化がそこに芽生えてくる。行った先で豊かになってくる。ただし、蔑みが完全に是正されるのは難しい。

――しかも最近の日本を眺めていると、要するに余裕を失ったから、あるいは不安や焦燥に怯えているから、自分たちは優れているんだとか、日本はスゴイんだと強調する一方、隣国やマイノリティに薄汚い悪罵を吐きかける風潮が強まっている。

金時鐘 そうかもしれませんね。さらに言えば、現在の政権の下では森友学園とか加計学園の問題などが相次いで発生し、財務省は公文書の改竄などという信じがたいことまでしでかした。こんなもの、ほかの国なら懲役刑ものの犯罪行為ですよ。なのに誰も罪に問われない、責任も取らない。日本の国民も大して怒ることもなく、大規模なデモやストが起きるわけでもない。やはり自分に直接的な損得がないと、日本の人はあまり関わろうとしないんですね。平和であればいいというふうに言うけれど、民主主義がそうであるのと同様、平和というのも手放して保たれるものではなく、憲法9条が掲げている平和主義に不断に思い致して、そのような国の日本であるように銘々が努力しなければならないというふうには考えない。

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 第五回
【青木理 特別連載】官製ヘイトを撃つ

近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。 同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。 これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。

プロフィール

金時鐘 × 青木理

 

金時鐘(キム・シジョン)
1929年釡山生まれ。詩人。元教員。戦後、済州島四・三事件で来日。日本語による詩作、批評、講演活動を行う。著書『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)で第42回大佛次郎賞受賞。『原野の詩』(立風書房)、『「在日」のはざまで』(平凡社ライブラリー)他著作多数。『金時鐘コレクション』全12巻(藤原書店)が順次刊行中。共著に佐高信との『「在日」を生きる』(集英社新書)等がある。

青木理(あおき・おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年フリーに。著書に『日本会議の正体』(平凡社新書)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『情報隠蔽国家』(河出書房新社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)、共著に『スノーデン 日本への警告』『メディアは誰のものか―「本と新聞の大学」講義録』(集英社新書)等がある。

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第六回 日本と韓国、市民サイドの関係をもっと深める創意工夫を 在日一世の詩人・金時鐘氏に訊く③