済州島の弾圧を逃れ、総連からは「反組織分子」として徹底的に排斥された私 在日一世の詩人・金時鐘氏に訊く②
近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。
同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。
これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。
第五回 済州島の弾圧を逃れ、総連からは「反組織分子」として
徹底的に排斥された私 在日一世の詩人・金時鐘氏に訊く②
在日朝鮮人に対する差別というのは、
厳密にいうと差別ではなく、蔑み
金時鐘 戦後日本の教育は民主主義教育だとよく言いますね。果たしてどうでしょうか。たとえば近現代史については教えない。多くの人が戦前戦後の成り立ちを知らぬまま成人して、社会人となる。それはつまり、政権与党の戦前回帰的な教育指針が勝利した年月とも言えるんじゃないでしょうか。
――どういうことでしょうか。
金時鐘 私は日本人の生活圏である公立高校の教員を15年務め、神戸大学でも人権と文学を教えましたが、近現代史や朝鮮の歴史はまったくの白紙状態であって、きちんと教える人も、知らせる人もいない。物事を知っていくこということは、まずは知ろうと努める意識が必要であり、それを支え知らせる人々が周りにいなければ知ろうと努める意識すら放置されてしまいます。ましてや差別の問題に関しては、知らせる側がいないと絶対にダメです。
――戦後の歴史教育は、近現代史をきちんと教えないと、つねづね批判されてきました。
金時鐘 実際にそうでしょう。近現代史の歴史課目はすっ飛ばして、学ばせないんだ。そういうことを知らせようとする先生は逆に「偏った先生」などと言われてしまう。「教育の中立性を侵す」などと批判されてしまう。私は教員時代、時間が許す限りほかの学校にも行って講座を持ちましたが、人権教育をやっている学校でさえ、1980年代の初頭まで、在日朝鮮の生徒は全員と言っていいほど通名で学校に通っていました。学校や教育委員会も通名での通学をむしろ、歓迎していた節さえあります。
――学校や教育委員会が通名を歓迎したんですか。
金時鐘 そうです。私がよく知っている高校の話ですが、日本人的な名前の通名で通っていても、周りの生徒はみな、その在日の生徒が日本人ではないことをよく知っている。でも、みんなそれをおくびにも出さず、学校内では笑って過ごしている。ただ、一緒には絶対に登下校しない。家にも呼ばないし、親も会わせない。みんな分かってるのに、本人も朝鮮人らしからぬ振る舞いをして、努めて快活に過ごしている。そういう生徒たちの抱えている心のしこりは相当に深いですよ。
要するに、戦後日本の民主主義教育なるものは、日本の学校になぜ朝鮮人の生徒が多くいるのかを教えない。たとえば部落問題研究会とか朝鮮問題研究部(朝問研)とか、人権教育を実践している学校に自主的なサークルはあったとしても、学校としては関わろうとしない。いつの間にか部活動も絶えてしまう。するといったいどうなるか。戦争が終わり、なぜ自分たちが平穏で潤沢な生活をできるようになったか、不自由のない暮らしができているか、それは日本人が勤勉で、真面目に努力して、政治も安定していたからだと、考え方がもう凝り固まってしまう。だから「新しい歴史教科書をつくる」だとか「在日特権を許さない」などという連中が現れ、吐き気を催すようなことを平気で口走るようになるんじゃないですか。
――つまり、在日コリアンに対する差別というのは、歴史や人権教育の不在によるところが大きく、戦後日本の政治や社会の問題が集約されていると。
金時鐘 そうです。私が最近、心底恐ろしいと感じたのは、ネクタイを締めて立派なカバンを持ったホワイトカラーが、「在日特権を許さない」というデモの隊列に加わり、大声で絶叫していたことです。あの人たち、本当に信じてるんだよ。朝鮮人ごときがのさばりくさって、日本への反感ばかり募らせやがってと、本当に信じてるんですよ。
もちろん1960年代にも面と向かって「朝鮮、汚い」などと罵る人たちはいて、一見すると衝撃はそちらも強いようだけど、面と向かった直接の関係である限り、これはいつか是正可能な、そういう可能性のある関係なんです。ところが今日の差別というのは違う。ドーナッツ状に遠巻きにされ、直接の関係を持たないなかでの差別です。「在日特権を許さない」などという連中も、直接の関わりがあるわけじゃない。遠巻きにされている感覚からすると、恐怖感はそっちの方がずっと強い。直接の交わりすら起きないんですから。
もうひとつ、これはどうしても言っておきたいのですが、在日朝鮮人に対する差別というのは、厳密にいうと差別ではなく、蔑みですよ。広げていえば差別ですが、実態は蔑みなんです。朝鮮人ごときが、という感覚。蔑視。それが延々と続いている。何も変わっていない。そこに安倍首相が率いるような長期政権まで現れ、「在日特権を許さない」などという連中に対しても、本音では「オレたちの思いを言ってくれている」と受けとめている人もけっして少なくはない。
――先ほど時鐘さんは、在日コリアンに対する差別は、被差別部落の人がむしろ露骨な面があったとおっしゃいましたね。どうも差別する側、蔑む側というのも、自身が辛い境遇に置かれているケースが多い。だからといってそれを容認などできませんが、ヘイトスピーチにしても、排他や不寛容の風潮にしても、日本社会の格差拡大であったりとか、将来への不安や焦燥が背景に横たわってはいませんか。
金時鐘 少し持ってまわった言い方になりますが、差別の力学構造みたいなものがあって、より弱いところになだれこんでいく、そして、より弱いところほど醜悪になっていくんですね。つまり、その日の生活に追われると、なりふり構わなくなってしまう。
近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。 同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。 これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。
プロフィール
金時鐘(キム・シジョン)
1929年釡山生まれ。詩人。元教員。戦後、済州島四・三事件で来日。日本語による詩作、批評、講演活動を行う。著書『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)で第42回大佛次郎賞受賞。『原野の詩』(立風書房)、『「在日」のはざまで』(平凡社ライブラリー)他著作多数。『金時鐘コレクション』全12巻(藤原書店)が順次刊行中。共著に佐高信との『「在日」を生きる』(集英社新書)等がある。
青木理(あおき・おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年フリーに。著書に『日本会議の正体』(平凡社新書)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『情報隠蔽国家』(河出書房新社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)、共著に『スノーデン 日本への警告』『メディアは誰のものか―「本と新聞の大学」講義録』(集英社新書)等がある。