あの少女像だって、拳を振りあげている像じゃありませんよね。
ならば、心ある人たちがあれを融和の像にすればいい
金時鐘 そういうことを青木さんがいろいろ書いたり、発言したりもしていらっしゃる。でも、日本の国民は気にもとめない。公文書の改竄などが起きたときもそうです。私は定住外国人ですので公に発言したことはありませんが、こんなことが続いたら、この国は確かに恥知らずの国になっていくかもしれない。本当に、絶句するしかないようなことばかりがつづいている。しかも言葉が届かないんですから。たとえば慰安婦の銅像問題がありましたね。
――ソウルの日本大使館前に韓国の市民団体などが設置した少女像ですか。
金時鐘 あんな像を大使館の前に置くのはけしからん、撤去せよと日本政府もメディアも声を荒げ、日本の国民感情は昂りましたが、僕は日本に暮らす1人の市民として、実はいつもひそやかに期待していたことがあるんです。
――どういう期待ですか。
金時鐘 あの少女像だって、拳を振りあげている像じゃありませんよね。ならば、心ある人たちがあれを融和の像にすればいい。たとえば日本の市民の誰か1人、たった一輪の花でいいから、通りすがりに少女像の前に置いて、黙礼したらどうでしょう。最近は日本人も毎年200~300万人が韓国へ観光に行ってるそうですね。そのうちの1人、反骨精神のある日本の市民が一輪の花を置き、それに何人かが続いたら、雰囲気は途端に変わりますよ。それこそ爆弾ほどの反響を呼び起こしますよ。
――そうかもしれません。
金時鐘 ですから、日本と韓国についていえば、市民サイドの関係をもっと深める創意工夫はできないものかと思うんです。青木さんは知ってくださっていると思いますが、朝鮮人はとっつきにくい隣人と思われていいるようですけど、わかり合えばまたとないほど人情に厚く情にもろい人たちですよ。
――ええ。僕も通信社の特派員として計5年ほど韓国に暮らし、人びとの情の厚さを幾度も感じました。特に忘れがたい思い出がありましてね。実は僕の父が、幼いころ韓国で育っているんです。
金時鐘 ほう。それはまたなぜ?
――僕の父方の祖父は先の戦争中に亡くなったのですが、もともとは農商務省の役人だったんですね。どうも技官系の研究者だったらしく、植民統治下の朝鮮半島に赴任し、現在の麗水市(韓国南部の全羅南道に位置する都市)にあった試験場に勤務していたそうです。だから父も幼いころ何年か麗水で暮らし、子どもですから言葉もあっという間に覚えて、お手伝いさんや近隣の人とは朝鮮語で会話するほどだったと。その父も数年前に他界しましたが、僕がソウルにいたころは元気で、「一度でいいから麗水に行ってみたい」と言い出したんです。
金時鐘 麗水は美しい港町ですからね。
――でも僕は正直、戸惑いました。父は「麗水に行ったら、昔住んだ家や試験場があった場所も訪ねたい」と言う。しかし、詳しい場所など覚えていないし、風景は完全に変わっているでしょうから、そう簡単にたどり着けるわけがない。本気で見つけようとしたら、麗水の市役所にでも行って尋ね回るしかありませんが、植民統治下の日本の役人の息子と孫が昔を懐かしがって来たなどと言ったら、誰だっていい気持ちはしないだろうと思って……。
金時鐘 いやいや、みんな大歓迎してくれるはずですよ。
――そうなんです。実際に父と一緒に麗水の市役所を訪ね、事情を話したら、当時の試験場や住宅の場所を役所の人が丁寧に調べてくれたうえ、「今日は時間があるから」といってわざわざ車で現地まで案内してくれました。だいたいこのあたりだろうという場所がわかり、記憶が蘇った父が感激して目を潤ませていたら、役所の人まで一緒に目を潤ませて……。
金時鐘 よくわかります。そうそう、日本が戦争に敗れた後、たくさんの人びとが日本に引き揚げて行きましたね。そういう人びとが朝鮮人に暴行されたとか、ひどい目に遭ったという話を聞いたことがありますか。むしろ、引き揚げていく日本人を隣近所の人たちが助けたことの方が多かったはずです。ちょうど1946年、私が済州島にいたころの話ですが、上海からだったか引き揚げ途中の日本人の船が遭難して、済州島に漂着したことがありました。自前で仕立てた小さな船が嵐に遭ったらしく、10数人が救助されて南小学校という、日本の子どもたちだけが通学していた塀の高い小学校に収容されたんです。
――引き揚げ船ということは、女性や子どももいたんですか。
金時鐘 子どももおったし、乳飲み子もおりました。九州の人が多かったようだけど、近隣の住民が塀をよじ登ってまで差し入れに行きましてね。私ももちろん行きましたが「こんな荒海でよく助かった」「とにかく助かってよかった」と手を握りながら励まして、救助された人たちはみんな泣いていましたよ。別の船で再び送り出す時も弁当を作って持たせてあげて、またみんな泣いて、私の手を握って「生涯忘れない」と言っていたのをいまも覚えています。庶民レベルなら、そういうこともできる。互いに分かち合える。ところが国対国になると感情ばかりが先立ち、激憤してしまう。何も知らん連中がそれを煽り立てる。
――ええ。特に現在は政権と与党が敵対感情や激憤を煽動し、政権と与党の提灯持ちと化している一部メディアや言論人がそれを囃し立てているのですから、まさに「官製ヘイト」と呼ぶべき状況なのでしょう。(了)
近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。 同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。 これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。
プロフィール
金時鐘(キム・シジョン)
1929年釡山生まれ。詩人。元教員。戦後、済州島四・三事件で来日。日本語による詩作、批評、講演活動を行う。著書『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)で第42回大佛次郎賞受賞。『原野の詩』(立風書房)、『「在日」のはざまで』(平凡社ライブラリー)他著作多数。『金時鐘コレクション』全12巻(藤原書店)が順次刊行中。共著に佐高信との『「在日」を生きる』(集英社新書)等がある。
青木理(あおき・おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年フリーに。著書に『日本会議の正体』(平凡社新書)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『情報隠蔽国家』(河出書房新社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)、共著に『スノーデン 日本への警告』『メディアは誰のものか―「本と新聞の大学」講義録』(集英社新書)等がある。