「被ばく者」は本当に救われたのか 続・「黒い雨」訴訟 最終回

国がとらわれる「神話」とは 被爆者救済の手がかりを聞く

小山 美砂(こやま みさ)

 原爆被害者の援護を巡る広島・長崎の現在地を報告してきた本連載は、これで最後となる。広島の「黒い雨」を巡る新しい被爆者認定制度の運用開始から1年が過ぎた。しかし、これまで見てきた通り、援護を否定された人たちの闘いは続いていた。

 最終回は、2つの被爆地で続く訴訟に携わる弁護士に、共通する問題や解決への手立てを聞く。全ての「被ばく者」を救済するために、何が必要なのだろうか。

 広島と長崎それぞれで、「被爆者」としての認定を求める人たちの裁判闘争が続いている。広島では第二次「黒い雨」訴訟(第1回第2回参照)、長崎では被爆体験者訴訟(第3回参照)が係争中だ。

 この両訴訟を手掛けているのが、広島弁護士会所属の足立修一さんだ。1994年以降、在韓被爆者を支援したことがきっかけで原爆関連訴訟に携わるようになり、現在は市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)」の代表も務めている。核廃絶と被害者救済に心血を注いできた弁護士だ。

弁護士の足立修一さん=2023年4月28日、広島市内で筆者撮影

 足立さんは、現在も黒い雨被爆者や被爆体験者が救済されない理由について、「国が、ある神話にとらわれているためだ」と指摘する。神話とは何だろうか。

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――30年近く、原爆被害者の救済に携わってこられました。どのような思いで弁護活動を続けていますか。

 兵庫県出身で、学生時代に広島市の平和記念資料館を見て衝撃を受けたことが原点です。弁護士としては1994年、元徴用工被爆者の依頼を受けてから、被爆者関連の訴訟に携わっています。

 2009年に広島地裁で勝訴、確定した「救護被爆者訴訟」以降、長崎の被爆体験者訴訟にも関わり始めました。救護被爆者訴訟では、原爆投下後に負傷者の手当をした人たちが被爆者健康手帳の交付を求めており、内部被ばくの健康影響も争点の1つでした。この裁判について話をしてほしいと呼ばれたことがきっかけでしたね。

 広島の「黒い雨」訴訟は、2015年の提訴から弁護団に加わりました。この4月に提起した第二次訴訟では、弁護団長を務めています。

 原告の皆さんの被爆した状況や、その後どのように生きてきたかを聞いていると、原爆がどれだけ広範囲に被害を及ぼすかがわかります。その証言は、核兵器の非人道性を表していると感じてきました。

――まず、広島への原爆投下後に降った「黒い雨」についてお尋ねします。本連載でも紹介してきた通り、2022年4月に新たな被爆者認定制度の運用が始まったものの、手帳の交付を却下される人が続出しました。第二次訴訟はこの4月に提起され、7月にも第1回弁論が開かれる見通しです。どんなことが争われると見ていますか。

 広島高裁で勝訴が確定(2021年7月)した第一次訴訟によって新制度が策定され、救済はかなり進みました。一方で、降雨域を巡る調査の不十分性が改めて浮き彫りになったと感じています。第二次訴訟に加わる原告が雨を浴びたのは、これまでに作成された3つの降雨図の全てで「雨域外」とされた地点が大半です。下図に打ち込んだ赤色の点が、その場所です。

小山美砂『「黒い雨」訴訟』(2022年、集英社新書)及び第二次「黒い雨」訴訟弁護団の資料をもとに作成。複数の原告が同じ集落にいた場合も、1つの点にまとめて表示している。図版作成/MOTHER

 広島県・市は、原告らがいた地域に雨が降ったと確認できないとして手帳の交付を却下していますが、裁判所は申請者本人の言うことをよく聞いて判断せよ、と指摘しています。司法判断に則って認定するべきだ、という訴えが柱になります。

 また、被爆者認定の要件に、一定の病気に罹患していることを課したことも問題です(詳細は連載第2回参照)。

 新制度の策定前は、上図の「宇田大雨雨域」が黒い雨の援護対象区域でした。しかし、この区域にいた人は他の直接被爆者などと違って、一定の病気を発症しなければ被爆者に認められませんでした。「ちょっとでも手帳を出したくない」ということだったのだと思います。

 新制度でも発病を要件にしたのは、従前の仕組みと根本的に変わることはしたくなかったからでしょう。だけど、理屈の上ではどう考えてもおかしい。

 こうした問題点を、改めて次の裁判で是正する。被爆者の権利を確立していくことが必要です。

――長崎の被爆体験者訴訟は、2007年に提訴されました。第1陣訴訟が2017年に最高裁で敗訴しましたが、その後、一部の原告が再提訴し、係争中です。何を訴えているのでしょうか。

 これまでの訴訟と大枠は同じです。爆心地から半径12㎞圏内にいた原告らが、長崎県・市と国に対して、手帳の交付などを求めています。彼らが「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」か否か、つまり「被爆者」と言えるかが争点です。原告側は、同じ12㎞圏内で援護に差がある不合理を追及し、原告らが放射性降下物によって内部被ばくした可能性を訴えています。

 けしからんのは、国側の主張です。広島の「黒い雨」訴訟で、国自らが受け入れて確定させた広島高裁判決と、矛盾する主張をしているんです。

 例えば、原告らがいた地域における放射線量は、「人体に健康障害を発生し得る程度のものとは認められない」といったもの。でも、「被爆者」の定義を定めた条文には、「健康障害」が必要なんてどこにも書いていません。国は線量にこだわりますが、放射線の影響を受けた可能性があれば被爆者です。

――国が被爆体験者の救済を退ける理由の1つに、2017年の「最高裁判決」があります。「長崎原爆が投下された際爆心地から約5kmまでの範囲内の地域に存在しなかった者は、その際に一定の場所に存在したことにより直ちに原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあったということはできない」などと判断されていました。

 最高裁で決着がついた、と言われますが、私はそうは考えていません。

 最高裁は、原告らの請求は「理由がなく」、上告を「棄却する」と述べ、二審の福岡高裁判決(2016年)を是認しただけでした。二審で出された主張と証拠に基づき、この判決を維持してもよいと判断したに過ぎません。つまり、最高裁としての法律的判断を述べたわけではない。現在係争中の裁判に影響を及ぼすものではないと思っています。

 さらに、以前の訴訟と今回とでは、原告側の闘い方も異なります。これまでは、半径12㎞圏内にいた事実をもって「被爆者」に認めよ、と訴えていました。今回は、その正円の中にいてかつ、放射性降下物の影響を受けたと主張しています。より具体的な立証を試みようとしているのです。だから、前と同じ結論で終わり、という風にはなりません。

被爆体験者訴訟の原告らによる集会。マイクを握るのが足立さん=長崎市内で1月16日、長崎市内で筆者撮影

――どうすれば被爆体験者は救済されるのでしょうか。

 だからね、これはシンプルな話なんです。広島と長崎で、同じ現象が起こらないとおかしいでしょう? 使われた核分裂物質は違うけれど、同じような威力があり、同じような結果がもたらされたわけです。

 長崎でも、雨が降った。灰はすごくたくさん落ちているようで、1月の証人尋問でも「雪のように積もった」と話す人がいました。重要なのは、原告たちがいた地域に放射性物質が降ったか否か、です。放射線量が高い低いの問題ではありません。

 広島の「黒い雨」訴訟では、原告がいた地域に雨が降ったという事実認定の下、被爆者として認められたわけです。長崎は米軍のマンハッタン管区原爆調査団(1945年9~10月)の調査などで、30㎞以上の距離がある島原半島も含め、広範囲で残留放射線が検出されています。それは、空から放射性降下物が落ちてきたからでしょう。ならば、その線量を問わずとも原爆放射線の影響を受けた可能性があると言えます。

 確定した広島高裁判決に沿うならば、長崎の被爆体験者もすぐに救済するべきだし、救済できるんです。だけど、国は突っぱねている。だからこの裁判で勝ち、世論の後押しも得ながら判決を確定することが必要だと思っています。広島と長崎での不平等を、是正しないといけません。

――長崎の被爆体験者訴訟と広島の第二次「黒い雨」訴訟を見ていて、国は本当の意味で広島高裁判決を受け入れたわけではないと見ています。首相談話でも「(判決は)本来であれば受け入れ難い」と明記されていました。その理由はどのように考えていますか?

 国は、「初期放射線しか影響がないんだ」という神話にとらわれているからだと思います。

 初期放射線は、原爆のさく裂後約1分以内に放出され、外部被ばくを引き起こしました。爆心地から遠くなるほど減少し、広島では2.5㎞、長崎では3kmより遠方にはほとんど届かなかったとされています。国は、基本的には初期放射線しか影響がないんだ、という立場です。

 放射性降下物による被ばくを認めたら、影響が大きすぎると考えるからでしょう。放射線量を推計して、影響が出る範囲はこれだけ、という風に数字で示して限定したい。それが崩れると、影響が及んだ範囲が際限なく広がってしまうからです。

 終戦直後の1945年9月、アメリカ軍の准将が「原爆症で死ぬべきものは死んだ」と発言した時から、アメリカは被爆の影響を小さく見せたいという姿勢で一貫しています。要するに、「きれいな爆弾」でないと使えない。軍人以外も無差別に殺傷する兵器だとわかれば、国際法違反となります。アメリカの核戦略にも影響してくる話で、日本も追従していると言わざるを得ません。

 でも、初期放射線による影響だけで論じるのは無理があります。爆心地の西側では、被爆距離が遠いほど死亡リスクが増大していたという報告もあります(岩波書店『科学』2016年8月号)。それは、初期放射線だけでなく雨などの放射性降下物が落ちたからだと指摘されています。

 初期放射線ですべてを決める、という発想は間違っています。

――その神話と闘っている裁判でもあるんですね。

 そうです。

 被爆者の問題が特異なのは、放射線によって健康を奪われ、死に至るということ。そして、その影響が続いていく。だって、原爆を投下したアメリカと同盟国になった今もなお、健康被害を受け続けているんですよ。

 被害が終わらないんです。それでも、国は終わることにしたい。現在裁判が続いている被爆二世の問題も同じです。いかに非人道的な兵器か、と思います。

 手帳を求める闘いは、「被爆者」としての権利を回復させる、というイメージです。国が間違った戦争に突入して被害者たちは被ばくし、健康を害された。もともとあるべきだったものが失われたのです。一刻も早い救済を、と願っています。

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■取材後記

「わしの手帳をあげたい、とさえ思う。病気だらけで苦しんでいる人がまだたくさんいる。内部被ばくする状況にあった人を、広く救ってほしい」

 2021年夏、広島「黒い雨」訴訟の原告だった高東征二さん(82)は、交付されたばかりの手帳を手にそう言った。40年以上の運動を経て、ようやく得られた「被爆者」の証。だが、まなざしはすでに残された被害者の救済へと向かっていた。内部被ばくを強いられた全ての被害者を救済したい――運動の最終目標は、そこにあったからだ。

「黒い雨」訴訟が、被爆者援護施策の歴史的な転換点になったことは間違いない。やっと訴えが届いたと喜んだ一方で、これまで救済せずに放置してきた国の怠慢も感じざるを得なかった。さらに、新たに策定された被爆者認定制度は長崎を除外するもので、分断と切り捨てが繰り返されることが目に見えていた。

 本連載は、筆者が広島と長崎を行き来しつつ書いた被爆者援護の現在地だ。広島の黒い雨被爆者を取材してきた立場から、長崎の被爆体験者が直面している問題を見つめたかった。

 わかったことは、広島で退けられた論理をなおも維持し、被害者を切り捨て続ける国の矛盾、強硬さ。加えて司法判断にさえ従わず、意のままに援護対象を狭める傲慢さ。被爆地で続く闘いは、この国が抱える本質的な課題を教えてくれている。「被ばく者」援護の問題はきっと、私たちと無関係ではない。

 厚生労働省によると、2022年3月時点の「被爆者」数は、11万8935人。本連載で取り上げた原爆被害者は、ここに数えられていない人たちだ。まもなく78回目の夏がやってくる。原爆被害とは、果たして「昔話」だろうか。

【了】

 第4回
「被ばく者」は本当に救われたのか 続・「黒い雨」訴訟

広島への原爆投下後に降った「黒い雨」を巡る新しい被爆者認定制度の開始から、この4月で1年が過ぎた。被害を訴え続けてきた「黒い雨被爆者」たちは終戦から75年以上を経て、ようやく救済されたのだった。 しかし、闘いに終止符は打たれなかった。 新しい制度の下でも、切り捨てられた人がいたのだ。今、「新たな分断」が現実のものとなっている。 「『黒い雨』訴訟」は、被ばくを強いられた原爆被害者を本当に救ったのか。ジャーナリストの小山美砂が、広島・長崎の現場を報告する。

関連書籍

「黒い雨」訴訟

プロフィール

小山 美砂(こやま みさ)

ジャーナリスト

1994年生まれ。2017年、毎日新聞に入社し、希望した広島支局へ配属。被爆者や原発関連訴訟の他、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力した。2022年7月、「黒い雨被爆者」が切り捨てられてきた戦後を記録したノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行し、優れたジャーナリズム作品を顕彰する第66回JCJ賞を受賞した。大阪社会部を経て、2023年からフリー。広島を拠点に、原爆被害の取材を続けている。

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国がとらわれる「神話」とは 被爆者救済の手がかりを聞く