平成消しずみクラブ 第1回

恥ずかしい過去のそれぞれ

大竹まこと

 最後はブラジャーとパンティになってコントが終わる。
 北海道、東北、関東。当時はキャバレーが全盛期で、テレビに少し出て顔を売って、地方で稼ぐ、それが芸人の王道であった。
 サムライ日本、ミュージカルぼーいず、てんぷくトリオにコント・ラッキー7。
 土地それぞれのホステスさん達に書生さんと言われて、かわいがってもらった。北海道では、一○八センチのバストの女に乳の間に顔を埋められ息が出来なかった。死ぬほど楽しかった。
 そしてラジオが始まった。十代の頃、私が夢にみた、ディスクジョッキーである。今は呼び名も変わってMCとか言ったりするらしいが、違う、ディスクジョッキーである。
 振り返れば、チンピラからドサ回りのコメディアン、その後、新劇の養成所に入り、アングラ劇団を立ち上げ、食うや食わずでコントグループ(シティボーイズは今も解散していない)を作る。ピンでテレビに出るようになってからは、コメンテーターと呼ばれたりもする。
 本当に勘弁して下さい。
 高校時代の同級生は、私が役者になったと驚き、役者仲間は、あの大竹がコメディアンになるとは誰も想像していなかった。
 それが五十七歳を過ぎてラジオのパーソナリティ(ディスクジョッキー)になった。
 一番驚いているのは、誰であろう、この私である。

 そして、お世話になった人々が、今の私に語りかけてくる。
 私は、それを音声に乗せて皆と共有しているだけである。 子ども時代の小心な私、イジメっ子、かばって助けてくれた修ちゃん。
 ヘタな絵を褒めてくれた先生、柿泥棒の友達、駅前の喫茶店でいつもモーニングセット(トースト食べ放題)をおごってくれた雀荘のマスター。小遣いをくれたヤクザ。
 一緒に逃げた雅昭、小田原の女、二十歳(はたち)から二年半、一緒に住んだ風間杜夫。
 恥ずかしい過去のそれぞれは、立派な笑い話になって、電波に乗ったりもする。
 過去の私が、今の私を笑っている。
「K、聞いてるか、ハラホロヒレハレと梅が散った。俺がラジオだ」

1 2 3
第2回  
平成消しずみクラブ

連載では、シティボーイズのお話しはもちろん、現在も交流のある風間杜夫さんとの若き日々のエピソードなども。

プロフィール

大竹まこと

おおたけ・まこと 1949年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。1979年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まことゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

恥ずかしい過去のそれぞれ