平成消しずみクラブ 第10回

微眠みの午後

大竹まこと

 夢の中の私が哀れでならなかった。
 夢は終わるのか。もうすべてが混沌として、あるはずのない沼の中に沈み込んでいく。
 二日後、熱が少し下がった。午後の陽が部屋中に届く。体重を量ったら、何をやっても落ちなかった腹の肉が消えて三キロも減っていた。
 妻の用意してくれた遅い朝ごはん。卵焼き、焼きのり、梅干しに、佃煮の昆布。それにおかゆ。もう十分である。
 いつまでテレビやラジオの仕事が続くのかなあと思いながら、それらに箸を運ぶ。
 陽の入る窓の近くに椅子を持ち出して、毛布にくるまった。
 ウトウトする。眠るのではない。微睡(まどろ)むのである。

 葉山の国道一三四号線、海沿いの国道を右に折れ山側の道を上る。左手の山に沿って岩が削られたような場所にカフェーが見えてきた。
 白いペンキに塗られたデッキがある。三、四人は座れそうだ。老人が気持ちよさそうに外国のビールを飲んでいる。
「ジャック」
 死んでしまいそうなほどつまらない木彫りの看板が釘で打ちつけてある。
 建てつけの悪いドアをガタピシと開ける。ドアについた鈴がさびているのか、音が悪い。
 中は、目が慣れるまで、うす暗くてすこし気味が悪い。
 それでも、私は窓側の古ぼけたテーブルを見つけ、年寄りらしく、ゆっくりと腰をおろす。
 外国のビールを飲んでいる老人越しに、遠くに海が見える。
 私は、何度もそこの場所を訪れているのだが、まだ実際に行ったことはない。
 微睡んでいるから仕方ないのだ。
 カウンターの奥から、線の細い女性がコーヒーを運んできてくれた。
 私の好みはわかっているみたいだ。熱くて苦くておいしい。
 とても懐かしい。まだ来たことのない場所。
 カウンターでは、背中がこんもりした老人がウイスキーグラスを手で転がしながら、何か歌っている。

 人は不思議な生き物である。熱にうなされ自分の夢からも抜け出せなかった年寄りが、今ではもう冬の陽が斜めに差し込む陽光の中で、微睡んでいる。
 しかし、その人(私)の心の中は、脳の動きは、いくら近くに立っても誰にもわからない。

 老人が歌っている。

 小さな窓から空見れば
 あの星あたりが女(すけ)の家(やさ)
 スケちゃん今頃何してる
 きっと俺らの夢見てる

 生前、西部邁さんが、私のラジオに出演された時に、急に歌い出した「練(ねり)鑑(かん)ブルース」。西部さんのアレンジが、入っていたかもしれない。

 私は、その老人に名前を呼ばれた。
「僕さあ、あんなこと言っちゃったけど、やっぱ違うんだなあ。言論は信ずるに値するものだ。強く信じるんだ」
 カラカラと明るく笑って、建てつけの悪いドアを開け、海辺のほうに下って行った。
 私の聞き違いかもしれなかった。
 しかし、私にはそう聞こえた。

  JASRAC 出 1802114‐801

 

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平成消しずみクラブ

連載では、シティボーイズのお話しはもちろん、現在も交流のある風間杜夫さんとの若き日々のエピソードなども。

プロフィール

大竹まこと

おおたけ・まこと 1949年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。1979年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まことゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。

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微眠みの午後