百田尚樹をぜんぶ読む 第25回

『フォルトゥナの瞳』

藤田直哉×杉田俊介
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ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家と文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

 

【杉田】木山慎一郎という青年が主人公です。子どもの頃に両親と妹を火事で亡くし、天涯孤独になり、養護施設でもいじめられていた。つまりこれも階級的に下層の人間の話です。善良で、気が弱く、自分に自信を持てない。ずっと恋人も友人もおらず、川崎市の自動車コーティング工場で真面目に働いていた。

 それがある日突然、他人の死の運命が見えるようになる。まもなく死ぬ人の体が透けて見えはじめる。それでは、間もなく死ぬ運命の他人を救えるのか。スティーヴン・キングの『デッド・ゾーン』のような、超能力に突然目覚めた青年の、人知れない苦悩と悲劇が主題になっています。

 

【藤田】これ、ちょっとよくわからない小説ですよね。主人公が内向的で劣等感が強く、うじうじしている人物です。たとえば『モンスター』の時にも、缶ジュース一本を買うにも勇気がいるような、手取り一二万円の人間のリアリティを描いていて、それはすごかった。

『フォルトゥナ』を書いた時には、百田尚樹自身は十分に成功者になっている。にもかかわらず、孤独で他者との関わりの薄い人生の寂寥感、生の無意味さ、非モテのつらさなどを描いていて、しかも結構そこにはリアリティがある。はじめての恋人ができて、七〇万円もする指輪を買ったのに、それをすぐなくすとか、バカげた感じの描写がとてもうまい(笑)。

 他人の死が見えて自己犠牲的に人を救う、という物語であり、それによって青年が自らの人生の意味を獲得していく。その意味では従来の百田作品の構造と同じですが、ただ、今回は別に国家のため、ということではありません。

 

【杉田】この時期の他の百田作品を考えると、なぜこのタイミングでこの作品が書かれたのか、ちょっと不思議ではありますね。

 

【藤田】国家や企業のためではなく、たんに孤独に自己犠牲するだけの青年の物語を、なぜこの時期に書いたのか。

 

【杉田】もしかしたら、『海賊とよばれた男』で、ちょっと国家主義的でアッパーな成功物語に行き過ぎたから、それを引き戻す感じで、もう一度、鈍く冴えない青年の地味な物語に戻ろうとしたのかな。揺り戻しがきた、というか。ただ、百田氏の場合、実際に執筆した時期と刊行時期にズレがある場合もあるので(『錨を上げよ』や『モンスター』など)、もっと前に書きあげていた可能性もありますが。

 いかにも百田的な、通俗的でウェルメイドなエンターテインメントではあります。無名の青年が、世間からは嘲笑され、頭のおかしい人間と誤解されても、自己犠牲的に、列車事故で死ぬはずだった多くの人々を救うんですよね。確かに、『永遠の0』や『影法師』等と同系統の物語です。パターンとしてはちょっと、さすがに出涸らし感は否めないかな。そんなに重要な作品じゃなくって、軽い気持ちで書いたのかもしれないね。

 

【藤田】今回は、知られないところで世界を救っていた日陰者、といういつものパターンを、救う側の立場から書いてみようとしたんだと思います。

 似ている話で言えば、キングの『デッド・ゾーン』では、主人公の未来予知は、将来の独裁者の誕生を未然に防ぐという、政治運動や社会運動のメタファーとしての役割を持っています。もしかしたら『フォルトゥナの瞳』も、現代日本の政治はこのままだとやばい、それをどうにかしたい、という話として受け取れるならば、それは百田尚樹らしいという気もしますが。

 しかし、死ぬ運命の人間は体が透明に透けるっていう設定が、物語に有機的に生きていないですよね。他人の死の運命を変えれば、自分の血管や心臓にダメージがあって、命を削っていく、という設定になっている。具体的な行動をすればするほど、ひどい目にあう。それはたとえば、福祉の仕事で燃え尽きていく人のようでもある。そしてこの青年がそれだけ命を削っても、その報酬が女性と一回セックスができただけ、という(笑)。

Graphs / PIXTA(ピクスタ)

【杉田】最後のエピローグでは――これはネタバレですけれど――、主人公の恋人になる葵という女性もまた、じつは同じ超能力者だった、と判明します。まあ、テンプレート的な展開のラストではありますが、じつは同じ超能力者どうし、葵は主人公の内面の孤独を完全に理解していた、ということですね。

 主人公はその事実に気付けないまま死んでしまう。葵の方は、ひとり、悲しみの中に取り残される。そういう男女の非対称性が露呈します。つまり、若い女性の承認と献身によって、自己犠牲的に死んでいく男の孤独がかろうじて癒される。そういう構造です。

 前にも言ったけど、これは、震災以降に刊行された『プリズム』や『殉愛』とも共通する男性的なロマンの構造ではあります。若い女性によってケアされ、言わば「看取られる」物語。しかも、セックスよりも、メンタル面のケアであるというのも重要なんでしょう。『殉愛』でも肉体関係の無さが執拗に強調されていた。あまりにも執拗に強調されすぎて、逆に肉体への強い欲望を感じさせるほどに……。

 

【藤田】葵と主人公が『影法師』における二人に相当するんでしょうねぇ。盛り上がらない理由は、多くの人はこう見ていて、自分もそう思っていたけど、真実は違った、といういつもの百田作品にあるひっくり返しがないからかもしれませんね。倒叙モノになっているから、逆転の驚きが一切なくてつまらないのかも。

 

 第24回
百田尚樹をぜんぶ読む

ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家、文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

関連書籍

非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か

プロフィール

藤田直哉×杉田俊介

 

藤田直哉
1983年生まれ。批評家。日本映画大学専任講師。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』、『シン・ゴジラ論』(いずれも作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)などがある。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。文化と、科学と、インターネットと、政治とをクロスさせた論評が持ち味。

 

杉田俊介
1975年生まれ。批評家。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。20代後半より10年ほど障害者支援に従事。著書に『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『無能力批評』(大月書店)、『長渕剛論』『宇多田ヒカル論』(いずれも毎日新聞出版)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(いずれも作品社)、『安彦良和の戦争と平和』(中公新書ラクレ)など。

 
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