百田尚樹をぜんぶ読む 第24回

『夢を売る男』

藤田直哉×杉田俊介
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ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家と文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

 

【杉田】これは初のユーモア小説です。ベストセラー作家である百田の立場から、現在の自費出版業界の状況をブラックユーモア的に描いています。

 主人公は牛河原という男。ほとんど詐欺的な自費出版によって荒稼ぎする男です。自費出版ビジネスへの批判的なアイロニーでもあるんだけど、マルクスの『資本論』を反転させたマンガの『ナニワ金融道』のように、出版資本主義の現状に乗っかってひたすら稼ぐことを完全に受け入れた男の物語なんですね。現代では夢を見るにも金がいるんだと。

 たとえば、何もしないのにスティーブ・ジョブズになれると思っている二五歳のフリーターに、君は太宰治の生まれ変わりだ、とか煽って、ゴミみたいな小説のために自費出版の費用二〇〇万円を払わせたりします。

特に昨今の純文学業界に対しては辛辣です。ろくに売れない純文学なんてものは、自費出版ビジネスよりもよっぽどペテン商法じゃないかと。誰にも売れない、誰にも読まれない小説を大量に出して、大赤字で……文芸誌に寄生して、それが潰れたら喰えなくなる純文学作家なんてみんな廃業しろ、そういう奴らは市場に淘汰されて当然だ、という見解ですね。売れなくても立派なものを書いている、という言い訳は最悪であり、あいつらは「血で書いた原稿」と言うけど、そんなのただの「赤インク」なんじゃないか、牛河原はそういうふうに痛烈に純文学業界を批判しています。

 どうやら牛河原もかつてはまじめな、夢や理想もある編集者だったものの、出版業界の現実を前に絶望して、すべてを諦めて、資本の論理にのっとって徹底的に搾取する側に回ったようです。たとえばまだ業界に染まりきっていない部下の若い女性編集者が、子どもを難病で亡くしたある母親の『純君、天国で待っていてね』という本を担当して、なんだか弱り切った人を騙して稼いだみたいだ、という罪悪感を抱えています。その本を自費出版した母親は、泣いて感謝してくれた。それがまた罪悪感を強めると彼女は言うんですね。

 それに対して牛河原は、馬鹿野郎、それこそがまさに編集者の誇りだろ、もっと喜べ、と叱咤激励する。ここなんかは、ちょっと壊れた凄みがありますね。さらに小説家としての百田尚樹に対する自己諧謔もされています。「元テレビ屋の百田某」なんてダメだ。カレーもラーメンもたこ焼きも売るやつなんて生き残るわけがない。じきに消える作家だろう、というようなことを、メタフィクション的に、ユーモラスに書いています。

 ただ、ラストに、先ほどの部下の若い女性編集者が、あるおばあさんが書いた原稿を持ってくるんですね。これは本物です、だから儲けなしに出せないですかと。そうすると牛河原はOKするんですね。どんなにくだらない資本主義でも、いいものはいいんだ、それを守ることが編集者としての最後のプライドなんだと。つまり、最後の最後に突然、芸術至上主義的な「本物性」という価値観が回帰してくる。この辺は非常に百田さんらしいですね。どんなにポストモダン的な、全てが相対化されて商売になっていくこの世界の中でも、やっぱり本物の文学はあるんだ、純粋な本物はあるんだ、という。伝統芸能化した純文学に閉じこもっていてはダメで、商業化とエンタメ化の試練をくぐりながら、それを超えていくところに、真の芸術や文学が出てくる、ということでしょうか。

 

【藤田】この作品は夢を売ること自体をテーマにし、夢を見させて騙すビジネスの話です。ニートとかを騙すエピソードは面白いわけですよ。自分は才能があり、今は認められていないけれど、いずれ大きな仕事をすると思いこんでいる。ひょっとしたら、百田自身だって、売れる前はそういう気持ちだったかもしれない。だからそういう人々を皮肉に批判しながら、同情心を持って書いている部分もある。ビジネスの手口を書いている部分なんかはそうですね。夢を見せて騙して売るビジネスの良し悪しを議論して、葛藤していますよね。カウンセリング代わりだからいいんじゃないかとか、満足感を得られればそれで十分じゃないかとか。

 自分たちの商売のいちばんの特徴はメンタルケアだ、と言うんですね。それは歴史修正的なポジティヴな物語を大衆に売っている百田自身が、多少なりとも、自分の商売について葛藤しているのかもしれない、とも読み得る部分がないこともない。あまりにも本が売れないから、出版業界自体がネガティヴで暗くて、シュリンク寸前の状態なんだと言っていますね。さらにブログやSNSが出版業界の構造を根本的に変えた、という認識もしていますね。書きたい人間ばかりが増えて、本を読む人間がいなくなった。だからこそ、必然的に、自費出版ビジネスが出て来るんだと。

Graphs / PIXTA(ピクスタ)

 純文学批判の部分はルサンチマンも感じるんだけど、シュリンクしかけた業界をどうすればいいのか、という危機意識もありますね。ある意味では新自由主義的ではあります。無駄な伝統芸能に金を使うべきではないという、橋下徹と同じ思想ですね。

 

【杉田】大阪商人的な商売感覚がありますね。ある意味ではニヒリズムだけど、ある意味ではリアリズム。

 

【藤田】注目すべきは、百田の小説の方法論、物語論ですね。わくわくどきどきするものが小説の基本なんだと。物語はそもそも洞窟で語っていたものであり、より原初的で本能的なものだった。しかし純文学は小難しくて、わくわくどきどきしない。だから百田の作品の方が上だし、エンターテインメントの方が優れているんだとでも言いたげな(笑)文学論、物語論ですね。

 批評家や評論家への批判もあります。面白いのは、戦場の比喩でそれを語るんですね。小説家は銃弾が飛び交う戦場で戦っている、でも批評家や評論家は戦場で戦っていないんだと。つまり小説を書いたり、非難を浴びたり、世の中を騒がしたりすることを、百田尚樹は戦争のメタファーで捉えている。しかも、それを本人は楽しんでいる。ウォーモンガー(戦争屋)気質がある。

 それから文庫の解説が、例の花田紀凱で、本編とは関係ないけど、自分たちが嫌韓本、嫌中本を売っていることへのエクスキューズがある。べつに誰も訊いてないし責めてないのに、わざわざそういうことを書いているのが面白い。嫌韓嫌中ビジネスは、騙すことであり、人々の感情やメンタルをケアしてお金を巻き上げているんだ、と率直に吐露しているようにも読める。

 

【杉田】出版ビジネス業界に対するアイロニーと、その中で小説家をしている百田尚樹自身の自己批評がつねにメビウスの帯のように捩れていて、そこが面白かった。

 

【藤田】本が売れないという前提の中で、何か根本的にスタイルを変えなければならない。そういう認識がありますね。それは日頃の百田自身の振舞と近いんですよ。政権に近づいたり、保守論壇と関わったり、ツイッターで喧嘩したり、新しいスタイルの作家に生まれ変わらねばならない、という実践を彼はしてきたわけですから。

 

【杉田】どんなに全てが相対化されていく状況でも、本物の文学は本物として残る、というラストがやはり気になります。利益度外視の「本物性」、資本主義を超えるような文学性が突然回帰してきます。俺の小説こそがそれなんだ、という矜持を示したものかもしれませんが。

 

【藤田】そういう小説をちゃんと書けばいいと思うんですよ。売れなくてもいいから。

 

【杉田】利益度外視の『錨を上げよ』がもしかしたら、彼にとってはそういう小説なのかもね。その内容が本当に「本物」なのかはともかく。これ、どれくらい売れたんだろう。現時点では文庫にもなっていない。でも、いまだにこれが自分の最高傑作だと言っている。

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プロフィール

藤田直哉×杉田俊介

 

藤田直哉
1983年生まれ。批評家。日本映画大学専任講師。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』、『シン・ゴジラ論』(いずれも作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)などがある。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。文化と、科学と、インターネットと、政治とをクロスさせた論評が持ち味。

 

杉田俊介
1975年生まれ。批評家。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。20代後半より10年ほど障害者支援に従事。著書に『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『無能力批評』(大月書店)、『長渕剛論』『宇多田ヒカル論』(いずれも毎日新聞出版)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(いずれも作品社)、『安彦良和の戦争と平和』(中公新書ラクレ)など。

 
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