人類史のなかで、情報技術はいくつか「革命」と呼べるような爆発的な発展を経験してきました。しかし、そもそも「革命」とは何なのでしょうか。もともと、「天命があらたまる」という意味の中国語に由来する「革命」は、天下を支配する王朝が腐敗したときにその王朝を打倒して、より正しい者が王位につくことを意味していました。ここから転じて「新しい事態が登場して、それまでの状況を根本から変革すること」を「○○革命」と呼ぶようになったのです。
したがって、情報革命は「情報技術によって社会のあり方が変わる契機」を指します。社会の仕組みが大きく変化する、市民革命のような政治的革命のほかに、たとえば農作物の生産量が爆発的に増えた「農業革命」や、出生率が高まり平均寿命がのびることで人口が増える「人口革命」など、革命という言葉は様々に使われてきました。
人類を変えた様々な「革命」
革命とは、革命以前にはあり得なかった制度や状況が一般化することです。そして革命後には、一般化した制度や状況は一般化したために「当たり前」のものとなり、人々の意識からは抜け落ち不可視化されていくのです。したがって、革命によって一般化した制度や状況はいわば大きなブラックボックスになるのです。あるいは遍在するようになった制度、当たり前の状況を構成する事物のひとつひとつが革命を内包するブラックボックスになった、とも言えるのです。
様々な「革命」のなかでも重要なものに産業革命があります。産業革命は人類の社会や文明に大きな影響を与えました。情報技術もその例外ではありません。
現在から歴史を振り返るとき、産業革命以前と以後とではわたしたちの暮らしは大きく変わりました。そもそも「わたしたち」と書いたときに想像されるであろう「人類」の規模が全く違います。
17世紀頃まで数百年間、世界の総人口はせいぜい4億人から5億人程度だったのが、産業革命が始まる18世紀までに6億人を超え、18世紀の100年間で9億人、19世紀に入る頃には15億人を超えるまでに増加しています。
この爆発的な人口増大を賄ったのが、人類が農耕を開始した新石器革命以来の農業革命です。(20世紀のあいだにさらに数十億人を超えるようになった現代のわたしたちの生活を支えることになる第三の農業革命として「緑の革命」と呼ばれるものもありますが、それについてはここでは詳述しません)。
なお、産業革命の以前と以後の変化、つまり現在のわたしたちから見て何が不可視化されているのかを辿るため、通常の歴史書ならばいわゆる時間の流れに沿って「過去から現在」に向かうところを、本稿ではたびたび行きつ戻りつしながら書いています。
書物とおカネを情報流通の「2つの顔」として論じている本稿ですが、その流通のかたちを眺めるとき、いわゆるテクノロジーが爆発的に進展した産業革命期に注目するのは当然として、その産業革命の前提である人口革命にまで言及しているのは、書物とおカネが情報の流通に関係している以上、その情報が流通する「場」となる人々の数そのものの圧倒的な変化に触れずにすごすことはできないと考えたためです。
産業革命と情報技術、国際金本位制
18世紀にイギリスで始まった産業革命は、市民革命、農業革命、人口革命という複数の根本的な変化によって準備された状況のなかで発生した現象です。
18世紀中葉には、ヨーロッパ各国で人口が増え始めていました(人口革命)。都市部や農村で増加した人口は「労働力」とみなされるようになります。それまでの時代にはなかったような、工場で働く生き方が一般化します。彼らはいわば生きた機械とみなされ、そのように生きることを促されたのです。蒸気機関などの発明により生産力を高めた機械と、それを動かす充分な労働力によって、イギリスは世界に先駆けて大量の商品を作ることができるようになりました。そして、最盛期には地球上の土地の半分近くを植民地として所有していたイギリスは、大量に生産した商品を植民地に売りつけて利益を得るようになります。植民地に商品を売りつけて得た経済力は、「資本」としてさらなる経済活動のために投資されることになったのです。
蒸気機関の発明と改良によって、商品を工場で大量に製造できるようになったこと、植民地にそれらの商品を大量に販売できるようになったこと、そして鉄道や蒸気船の発達によって商品の流通量が増大し、また迅速に行えるようになったことで、世界の経済はいよいよ加速していきます。
通信や報道の技術は、この経済の加速を円滑にしました。このことによって金本位制が個別の国だけで完結せず、国際的に結びついた制度として確立されていきます。世界中で安定したレートで金と貨幣が兌換されるようになることで経済活動はさらに活発になっていきます。しかしそうなるとますます貧富の差は拡大し、社会制度内に軋轢が溜め込まれていくことになるのです。2度の世界大戦は、産業革命期以降に溜め込まれた軋轢が爆発したものだといって差し支えないでしょう。
『ディファレンス・エンジン』
サイバーパンクを代表する小説『ニューロマンサー』の著者ウィリアム・ギブスンと、その盟友ブルース・スターリングが1990年に発表した共作『ディファレンス・エンジン』は、産業革命期のイギリスでもし、実際よりも100年近く前倒しでコンピューター革命が起きていたら、という設定で描かれる小説です。
現実世界では20世紀に入ってから電子回路によるコンピューターが普及するのですが、『ディファレンス・エンジン』では19世紀のうちに蒸気機関と歯車によるコンピューターが実現しています。よく知られているように、ギブスンとスターリングは、人間の神経をコンピューターネットワークに直結し「電脳世界」と呼ばれる領域で活躍するサイバーパンクというジャンルを牽引した作家です。しかしこの『ディファレンス・エンジン』は、電子回路ではなく蒸気機関(スチームエンジン)を前提にしたSFということで「スチームパンク」と呼ばれます。
『ディファレンス・エンジン』には、シビル・ジェラードとエドワード・マロリーという2人の主人公が登場します。シビルは現実世界でも起きたラッダイト運動の指導者の娘、マロリーは、あとで述べる「碩学貴族」という新興貴族階級の1人です。
ラッダイト運動とは、産業革命期に爆発的に発達した機械工業によって職を追われることになる手工業の職人たちが失業を恐れて工場を襲撃した事件です。
経済学者カール・B・フレイの著書『テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツのパラドックス』によれば、産業革命以前の為政者たちは手工業職人たちの生業を脅かすような技術に対しては消極的でした。労働者の職が奪われると社会不安が高まり、ひいては自分たちの治世が危険に晒されることになるからです。産業革命以前、例えば16世紀に当時としては画期的だった靴下織機の技術を開発した牧師ウィリアム・リーに対して、エリザベス1世は特許を発行しませんでした。リー牧師は職人たちから激しく憎悪され、国外亡命を余儀なくされます。
これに対して産業革命期にラッダイト運動が巻き起こったのは、この時期にイギリスが市民革命を経て、君主よりも議会が優位な体制に移行していたことが関係しています。
職人たちによる暴動を恐れる君主ではなく、投資から得られる利益を重視する商人階級が台頭する議会政治の社会では、機械を導入することが優先されます。商人(資本家)がより大きな利益を上げることで国の富が増大すると考えられ、その過程で失業する労働者が生じることは仕方のないこととされたのです。
なおラッダイト運動は、AIによる業務効率化によって今後大量の失業者が生み出されるかも知れないという現代の不安、あるいは既に自動化によって仕事を奪われている労働者たちの不満によって、ふたたび懸念されるようになってきています。これはネオラッダイト、あるいはデジタルラッダイトと言われています。これは20世紀後半に台頭して注目されたウォール街のクオンツたちにも言えることで、現代の最新の金融事情をまとめ、金融界の今後の展開を模索した『BANK4.0 未来の銀行』でも書かれています。たとえば金融系グループ最大手のゴールドマンサックスグループでは「1人のコンピューターエンジニアが4,5人のトレーダーになると結論付け」ており「社員の3人に1人がコンピューターエンジニア」となっています。
現実世界では、ロマン派の詩人で貴族でもあったバイロン卿がラッダイト運動に駆り立てられる労働者たちに共感し、ラッダイト運動の参加者に厳罰を与える法案に反対する演説を行ったことで知られています。『ディファレンス・エンジン』にもバイロン卿は登場しますが、ここでは産業急進派という派閥の領袖にして大英帝国の首相の座に就いています。
産業急進派とは蒸気機関によって加速された産業をさらに発展させようとする議員たちの派閥です。この世界観では科学が重視されており、学術的な功労を認められた者には貴族の地位が与えられ「碩学貴族」と呼ばれ産業急進派の貴族とみなされています。『ディファレンス・エンジン』のもう1人の主人公エドワード・マロリーはこの碩学貴族の一員なのです。
現実世界の19世紀イギリスでは、膨張した人口と大航海時代以降の緊密化した国際貿易によって物価が急上昇していました。物価が急上昇したことによって、相対的に変化が緩やかな地代に依存していた地主階級が没落します。地主階級が没落したことにより、議会の議席は商業に投資して成功した新興勢力によって占められるようになります。
なお、『ディファレンス・エンジン』には「モーダス」というプログラムが登場します。作中では、このプログラムは現実世界の初期コンピューターのように穴を開けたカード(パンチカード)によって実行されます。モーダスを所持しているのはレディ・エイダ。彼女も実在の人物です。彼女はバイロン卿の娘で、作中世界のコンピューター「ディファレンス・エンジン」を開発した科学者チャールズ・バベッジの愛弟子にして「機関の女王」と呼ばれています。モーダスは賭博のカラクリを計算し尽くすことができ、これを持つ者はギャンブルで負け知らずになると言われています。高度な物理学や数学の知識を武器にラスベガスのギャンブルで大儲けを狙った、実在の20世紀の科学者たち(クオンツ)を追ったノンフィクション『ウォール街の物理学者』を思わせるガジェットです。
データをインプットすると、人智を超えた計算が行われ人間が利用可能なアウトプットを得られるというブラックボックスの本質が、コンピューターを駆使した20世紀現実世界のクオンツと、『ディファレンス・エンジン』のモーダスに共通しています。モーダスには、その謎をめぐって小説の物語が駆動されるというもうひとつのブラックボックス的な機能も与えられています。
世界初の証券取引所と「会社革命」
産業革命に先立つ人口革命、その人口革命の前提になる農業革命、それぞれに複数の制度的、技術的な原因が指摘されています。残念ながらここではその詳細に触れる余裕はありません。以下では、産業革命を進展させるその他の条件として「会社革命」と「利益革命」について書いていきます。
会社(company)の起源をいつとするかはその定義にもよりますが、世界最初の株式会社は1602年に設立されたオランダの東インド会社です。産業革命の発端となった18世紀のイギリスが世界各地を植民地として所有するようになる前の時代、世界の海を支配していたのはオランダでした。東インド会社は、大航海時代以後のヨーロッパとアジアを繋ぐ貿易圏を支配していた巨大な「株式会社」です。
暴風雨や疫病、未熟な航海術やライバル国からの妨害のために、当時の航海は危険に満ち溢れていました。アジアから船団が持ち帰ってくる、スパイスをはじめとした商品はヨーロッパの出資者に莫大な富をもたらします。しかしその反面、航海の危険によって船が沈んでしまえば、出資者は大損をします。この利益と損失を分散させるために生まれた仕組みが株式でした。「株」という証券を発行し、それを購入することで出資者は事業の利益と損失を分け合うのですが、証券としてそれを売買することができます。この時期にオランダで世界初の証券取引市場が生まれます。世界初の株式会社が誕生し、船団が航海の途中で立ち寄る国々と条約を締結することで、ヨーロッパの本国と他の国々は貿易をするようになるわけです。
東インド会社は交易相手の土地に拠点を設け、独自の軍隊を設置、貨幣の鋳造まで行っていました。東インド会社は「会社」だが実質的にはひとつの国家とすら呼べる、と言われるのはこのためです。徳川家康が江戸幕府を開いた頃の日本にもこの頃、オランダ商船が漂着しており、鎖国政策のもとオランダと清朝中国とだけ独占的に貿易が許されていました。
なお、のちにアヘン戦争などで悪名を轟かせることになるイギリスの東インド会社と、このオランダの東インド会社は(日本語では同じ名前ですが)、もちろん別会社です。オランダとイギリスという新旧の海上覇権国家をそれぞれ代表するこれらの会社は、アジア植民地の利権を争った競合同士でした。
オランダ東インド会社(VOC)は、それまで別々の会社だった6つの貿易会社が連合してできた会社です。VOCはVerenigde Oost-Indische Compagnieの略称。Oost-Indischeが東インド、Compagnieが会社、そしてVerenigdeが連合で、この名前からもオランダ東インド会社が複数の会社を合併させたものだということがわかります。
オランダ東インド会社が登場するよりも前、つまり株式会社が生まれるよりも前には、会社とは家族や仲間といった、親しい者たちが経営するものでした。これに対して、株式会社は家族や仲間のような顔見知り「以外」の出資者が多く含まれるようになる仕組みです。そして、家族や仲間ではない出資者に対して、会社の利益を正当に分配するために、公開できる正確な帳簿が求められるようになります。これを「会社革命」といいます。
現代の先進国の人口の多くを占める「会社員」たちが働く「会社」はこのようにして生まれたのです。目先の仕事をこなすだけ、提供されるサービスを利用するだけの人にとっては、単なる仕事を振り出してくるブラックボックス、あるいはサービスを提供してくれるだけのブラックボックスである「会社」ですが、そこには、紐解かなければ知ることのない、このような歴史があったのです。
鉄道会社の誕生と「利益革命」
家族や仲間による経営から、より広く出資者を募って大規模な資本を準備して事業を営む株式会社という仕組みは、鉄道会社の林立へとつながっていきます。当時の最先端の技術であった鉄道をはじめとする交通手段は、産業革命を象徴する蒸気機関などの「動力」によって、たがいに離れていた地域同士を結びつけ、その結びつきをさらに強めていく働きをしました。鉄道の敷設にともなって電信網や郵便などの運輸も発達し、交通はそれ以前に増してある種の情報メディアとして機能するようになっていきました。
鉄道が、その線路と沿線の経済圏を地図の上に線で描いていくのに対して、地図の上に面として描かれるのが国境で区切られる領土です。17世紀ヨーロッパで結ばれたヴェストファーレン条約によって国際法が確立されると、それまで地図の上でフロンティアとして曖昧にされていた地域もヨーロッパを中心に分割されるようになります。
十分に調査されていない遠隔地(ヨーロッパから見て未開とされる土地)の経済的、地政学的な価値を知るために地理学が発達してきました。19世紀の博物学者で探検家のアレクサンダー・フォン・フンボルトによって創始された近代地理学を司る地理学会は『ディファレンス・エンジン』の世界でも、世界戦略に活用されるために重用されています。ヨーロッパの基準と技術によって土地を測量し、地図という記号の集積体へと地球上の情報を盛り込んでいく地理学は、現実世界を地図というブラックボックスへと集約させ、記号では捉えきれないような自然現象を不可視化させるシステムだとも言えます。
車両、駅舎、鉄道敷設のための資材、工事費用など初期投資に莫大な資金を必要とする鉄道会社ですが、事業が成功すれば、線路で繋がれた都市のあいだに大量の人の行き来が生まれ、彼らの衣食住の需要が生まれ、物資の運搬は安定し加速します。これによって生じる富は、株式会社のシステムによって、経営者の家族や仲間といった狭く限定された内輪の人間関係を越えて株主全員に配当として分け与えられます。一攫千金を当て込んで鉄道会社の株を求める人々が現れ、彼らは当時まだ新しかった証券取引所で様々な鉄道会社の株式を売買します。電子取引の存在しないこの時代、株式などの証券は当然、紙で作られていました。『ディファレンス・エンジン』でも、新大陸アメリカからやってきたヒューストン将軍の演説の場面で、シビルが「鉄道会社で働いていた兄が投獄された」と語ります。これはヒューストンの演説を盛り上げるための仕込みなのですが、ここでシビルはアメリカのテキサス州に敷設された鉄道はイギリスの株主たちのものであり、ヒューストン将軍と敵対するテキサス暫定政府によって「盗まれた」と表現したのです。この時代は鉄道狂時代と呼ばれており、イギリスの鉄道会社への投資(投機)熱はバブル景気の様相を呈していました。
さて、鉄道会社の方はというと、事業を計画通りに成功させるための大規模な投資の原資を得るため、出資者に対して魅力的な配当を提示する必要がありました。成功すれば大きな富を生み出す筈の鉄道事業ですが、出資者をもっとも集める必要のある初期投資の段階ではすぐに売り上げが出ません。売り上げを生み出す線路がまだ敷かれていないから当然です。そこで「減価償却」という考え方が編み出されます。減価償却という考え方は、次のような考え方です。
それまでの経営学では、仕入れにかかった支出を商売の売り上げから引いた「純収入」だけを見ていました(これを現金主義といいます)が、減価償却の考え方を導入することによって、仕入れにかかった支出のうち固定資産については長期的に分割して計算するようになります。初期投資の支出が、固定資産の分が長期的に分割されるため、帳簿の上では毎期の支出は一見したところ割り引いて見えることになります。このようにして導き出されるのが「利益」です。単なる支出、収入、純収入という一過性のものではない、長期的な事業のそのときどきの費用、収益、純収益という考え方への移行です。
産業革命の前後には、株式会社の誕生という会社革命と、減価償却による利益革命がありました。投資によって加速する産業革命にとって、会社革命と利益革命は、蒸気機関と同様に不可欠な要素だったと言えるでしょう。株式会社の登場(会社革命)によって、蒸気機関などの動力を導入した施設を建造し、長期的に利益を生み出す事業を始めることができるようになり、減価償却の考え方が生まれたこと(利益革命)によって、事業を始める際に大きな設備投資が可能になったのです。
利益革命によって可能になった、かつてなく大きな設備投資が、それ以前には考えられなかったような事業を続々と可能にしました。現在わたしたちが生きている世界は産業化された文明と呼ばれますが、この文明が前提としているのがこの利益革命です。この前提も、会計や経営を生業としていない人々にとっては全くのブラックボックスとして不可視化されています。