カネは書物、書物はカネ 情報流通の2つの顔 第6回

産業革命以前のおカネと書物

永田 希(ながた・のぞみ)

 産業革命以前と以後とでは、人々の暮らしは大きく変わってしまいました。産業革命以前の生き方がどのようなものだったのか、現代人は歴史をひもといてたどることでしか知ることはできません。産業革命によって書物にも大きな変化が起きました。なにより出版物の量が爆発的に増えたのです。これによって黙読革命という「革命」が読者のあいだに生じます。
 また産業革命は農業革命による食糧の増産、それにともなう人口革命(人口増加)を前提としていましたが、これらの他に、印刷技術の伝播によってもたらされた紙幣や証券の登場、そして何より複式簿記の普及がその要因となりました。

印刷技術向上にともなう「黙読革命」

 国文学者で評論家の前田愛は『近代読者の成立』で、明治時代に日本の読者の書物の読み方はそれ以前に主流だった音読から、より効率的な黙読へと変化したと論じました。ヨーロッパでは、そのはるか以前の4世紀にアウグスティヌスが『告白』で「修道士たちのあいだで黙読が生まれた」と書いています。しかし、修道士たちの黙読の習慣が大衆に広まるのはずっとあとのことです。音読の時代が終わるのは、グーテンベルクが活版印刷技術を改良し、その技術が産業革命によって機械化されるのを待たなければなりませんでした。マーシャル・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』やウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』でも論じられたように、かつては手で書き写されることで増えていた書物が機械によって量産されるようになり、ようやくひとびとの手に行き渡るようになりました。「小説」という書物のジャンルが登場し大量に書かれるようになるのは、印刷技術によって書物が大量に製造できるようになってからのことです。英語で小説はnovelと言いますが、これは「新しい」という意味を含んでいます。今でも多くの読者を持つ小説の起源は、ヨーロッパでは18世紀前後にありました。
 なお、古代ギリシアの読書とは、書物を奴隷に読み上げさせ、主人がそれを聞くというものでした。この時代の人々は、立派な人間は労働を蔑むべきであると考えていました。文字を読むことは労働とみなされていたことを考慮すると、ある意味で黙読革命とは多くの人々が労働者という奴隷の地位に甘んじるようになったことと言えるかもしれません。
 ところで、現在のものに近い「紙」が普及するよりも前のヨーロッパの書物はどのようなモノだったのでしょうか。識字率の低い時代に特別な教育を受けた人たちが高価な羊皮紙に1文字ずつ書き写すことで作られる手写本が、中世までの書物の一般的な姿でした。1冊1冊、1文字ずつ丁寧に書写された手写本は工芸品として高い価値を与えられ、表紙を金銀や宝石で飾り立てられました。貴重品だった書物は書庫に鎖で繋がれ、盗難を防止するように工夫されていました。多くの書物が、現在の大学の前身となるヨーロッパ各地の修道院の図書館に保管されていましたが、王侯貴族も財宝の一種として書物を収集していました。

紙幣の普及と公証人の時代

 18世紀に産業革命が始まるよりも前、紙は羊皮紙に劣らぬ高級品でした。植物などの繊維を砕いて作る紙の技術が発明されたのは西暦105年、後漢時代の中国です。正確には紀元前からあった技術の改良によって、書字に適した紙の製法が発見されたのでした。
 中国の製紙技術は、シリアのイスラム系王朝アッバース朝が8世紀に唐と戦争した際に、捕虜を介してイスラム圏に伝わりました。イスラム圏と交易をしていたヨーロッパにも、イスラム圏産の紙の存在が伝わるようになります。この頃のヨーロッパでは獣の皮を潰して延ばす羊皮紙が使われていました。
 なお、10世紀の中国では人類史上初の紙幣が使われ始めます。木版技術によって同じ図版を印刷した紙が、かさばる硬貨の代用品として使用され始めたことがきっかけだと考えられています。ただしヨーロッパで紙幣が使われるのは17世紀まで待たねばなりません。
 14世紀になると、地中海を介してイスラム圏に直面していたイタリアの諸都市でルネサンスが始まります。ルネサンスを代表する芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチの生家は、当時まだ貴重品だった紙を潤沢に使用できる公証人という職業を代々の生業としていました。
 レオナルドはいわゆる「メモ魔」で、7,000ページにおよぶ手記が残されています。レオナルドは、革表紙のついた携帯用ノートを腰に吊るし、常に持ち歩き、思いつきを書き留めたり目についたもののスケッチをしたりしていました。これは現代人がスマホを肌身離さず持ち歩き、目についたものの写真を撮ってインスタグラムにアップしたり、思いつきをツイートするようなものだと言えますが、レオナルドが500年も前に生きた人だということを考えると驚異的です。
 裕福な公証人の息子として生まれながら、レオナルドの両親は正式な結婚をしていませんでした。いわゆる非嫡子です。レオナルドは貧しかった母親の家と、他の女性と結婚した父親の屋敷と、2つの家で育ちました。公式な教育を受けず、長じてからは教養がないと蔑まれたこともあるレオナルドでしたが、のちに数学にのめり込むことになります。レオナルドは近代的な複式簿記の教科書を書いて後代に大きな影響を与えた数学者ルカ・パチョーリと交友があり、共著まで書いています。紙が当たり前に身の回りにある環境で少年時代をすごしたことは、レオナルドの性格や作風に大きな影響を与えていると考えることができるでしょう。レオナルドの生家の生業であった公証人という職業は、今でいう弁護士と司法書士と会計士を足したような仕事。ローマ時代から続く、計算と文字による記録を担う重要な職業です。
 レオナルドが生まれたのは1452年、その約100年前にイタリアで書かれたのがジョバンニ・ボッカチオの『デカメロン』です。『デカメロン』は男女10人の登場人物たちが当時ヨーロッパで猖獗をきわめたペストの大流行を避けて集まり、外に出られない暇を潰すために1人ずつ面白い話をする、という構成になっています。短編集のようにも楽しめる作品ですが、不倫を題材にするようなきわどいエピソードも多く、それに対する語り手たちの反応を読むことができ、全体としてひとつの作品のまとまりを持っています。ここで注意したいのは、『デカメロン』では登場人物たちが語るそれぞれの作中物語が基本的に伝聞形であるということです。黙読革命以前の時代、ひとびとは物語を口承で語り継いでいたということです。
 西暦1000年ごろに書き始められたのが、人類最古の長編小説ともいわれる紫式部の『源氏物語』です。当然ながら黙読革命以前の時代に書かれたものですが、ほぼ同時代に菅原孝標女が書いた『更級日記』には、孝標女が大ファンだった『源氏物語』を入手して読みふけったという記述があります。この時代でも黙読していたと考えられる内容ですが、孝標女は当時としては例外的に教養のある人物であり、『源氏物語』も当時の多くの読者には音読で読まれていたようです。(玉上琢彌『源氏物語音読論』では、当時の物語は女房たちが姫君に音読して読み聞かせするものだったとされています)。実際、『源氏物語』の作中で光源氏も、姫君が読み聞かせされているのを聞いていると、というような発言をしています。しかし黙読革命以前にも、アウグスティヌスが『告白』で書いた修道士たちや『更級日記』の孝標女のような一部の人たちは黙読をしており、古代ギリシャの貴族や『源氏物語』の姫君のような高位の人々は読み聞かせを聞いていた、と考えるのが妥当でしょう。

銀行と保険(金融)の誕生、複式簿記の普及

 さて、レオナルドが活躍したイタリアでルネサンスが始まった背景には、イスラム圏に対する十字軍遠征に伴う戦艦建造などの需要と、イスラム圏との地中海貿易による経済的な繁栄がありました。
 戦艦の建造には長い時間と大きな資金が必要です。また貿易にも、船団に乗り込む船員、船に乗せる売り物など、投資が必要になります。その為、イタリアの各都市には金を貸す銀行と、損害が出た場合にそれを補填する保険会社が生まれます。
 この時代でもうひとつ注目するべきことは、イスラム圏から伝わってきた複式簿記がイタリアの商人たちのあいだにも広まり始めたということです。現在でも貸借対照表、バランスシートとして事業経営に欠かすことのできない複式簿記の手法はこの時期からヨーロッパに広まり始めたのでした。
 複式簿記以前のヨーロッパでは、仕入れと売り上げはかなり杜撰に管理されていました。複式簿記が浸透していく過程でも、オランダ東インド会社のように杜撰な会計によって崩壊するケースもあります。それでも、貸方と借方を併記して常に釣り合うように計算をする帳簿が登場したことは、その後の時代の事業経営に計り知れない恩恵を与えることになります。
 複式簿記が登場するよりも前の帳簿とは、いわば在庫管理のメモでしかありませんでした。貸方と借方を併記する複式簿記は、貸したお金をどのように運用するか、借りたお金をどのように運用するか、この2つをバランスさせることで事業をかつてなく活性化させることになります。既に触れた会社革命も利益革命も、複式簿記による事業運営なしにはあり得なかったでしょう。複式簿記活用の歴史をまとめた『帳簿の世界史』には、フランス絶対王政を確立したルイ14世の次のようなエピソードが紹介されています。
 4歳で即位したルイ14世は、親政を開始した1661年に財務総監として採用したコルベールから会計報告を受けていましたが、コルベールの死去を機にその習慣を取りやめてしまいます。たびかさなる戦争と、ヴェルサイユ宮殿の建設で財政を逼迫させたルイ14世は死の床で「朕は国家を破綻させた」と嘆いたと言われています。
 そのコルベールを讃えて頭角をあらわし財務長官(事実上の財務総監)の地位に就いたネッケルは、「破綻」していた国庫の状況を克明に記した帳簿を公開しました。これは王政が打倒されたフランス革命期のことであり、『帳簿の世界史』の著者ジェイコブ・ソールは「のちに王が断頭台送りになったのは、このことにも一因がある」と書いています。
 もちろん、複式簿記などの帳簿をきちんとつけるためには、そこに書かれるための文字と紙、そして計算方法、そして書かれたものを読む技術が必要になります。
 複式簿記が発展したことによって、貿易から得られる利益が可視化されるようになります。その結果、商人たちと、その商人たちを束ねる政府は、長期的な利益の蓄積を目論むようになります。商業の基本は、安く仕入れて高く売ること。他国から原料を安く輸入し、自国で製造した製品を他国に高く輸出するという政策(およびその思想)は、重商主義もしくは商人主義と呼ばれます。また、商人主義政策のもとでは他国から製品を輸入する場合に高い関税をかけることで自国の製品を保護するということも行われます。ルイ14世に徴用された財務総監コルべールは商人主義を代表する人物です。
 一見すると商売の基本に忠実な商人主義ですが、政策レベルで複数の国がこの路線を採用すると問題が生じます。
 商人主義の最も大きな問題は、国家間と地域間に不均等を生じさせるということです。自国の内部では、商業活動が国に利益をもたらし、また国も商人を保護するので、国と商人のあいだの関係は強まります。この強い結びつきは一方で愛国心を高める効果があります。しかし他方では、国同士が互いの利益を奪い合うことになり、国際的な緊張が高まっていきます。また、植民地主義体制のもとでは、宗主国が植民地から原料を安く仕入れて、製品を植民地に売りつけるようになります。植民地とされた地域では土地が痩せ細り、生産物は宗主国に奪われ、宗主国で作られた高額の製品を売りつけられるため地域経済も貧しくなっていく悪循環が生じます。搾取される植民地の側には宗主国に対する不満が蓄積され、これがのちの独立運動の高まりに繋がっていくのです。
 なお、商人主義は近代の未発達な国際経済思想だと思われがちですが、現代でも新しいかたちで継続しているとも言われており、さまざまな経済摩擦の原因とされることもあります。

インクとペン、印刷術の発展

 複式簿記に関して忘れられがちなのは、帳簿もまた「書かれる」ものだということです。「書物」が詩歌や小説のような文学作品、あるいは論文のようなものだけを指す言葉だと思っていると見過ごしてしまいがちですが、政治経済に関する文書もまた「書物」です。議事録、条約、契約書、手紙、そしてもちろん帳簿も「書物」なのです。何かを書くというときに忘れてはならないのは、「何で書くか」と「何に書くか」ということです。「何に書くか」については、羊皮紙やパピルス、粘土板など、歴史的に残りやすいので比較的に語りやすいし、実際によく語られてきました。しかし「何で書くか」の方は、「何に書くか」よりも語られる機会が少ないようです。
 まず、インクの歴史について振り返ってみましょう。インクは現代ではボールペンやサインペンだけでなく、プリンターやコピー機などの情報機器でも使われています。
 20世紀に開発され、今では世界的に普及しているボールペン、ボールペンよりも前から使われていた万年筆や羽根ペン、インクを使わない鉛筆、そして現在でも書道や絵画で使われる筆と絵具、コンピューターのデータを出力する際に使うプリンターやコピー機、チラシや冊子を印刷するときに使うインクなど、現代では用途に即して様々な顔料、染料、それらを溶かし込んだインクが開発されています。顔料、染料、そしてそれらを溶かし込む媒体(メディウム)の開発はこれまでさまざまな「革命」を経てきました。
 一般的にインクとは、顔料や染料を、メディウムと呼ばれるさまざまな媒体に混ぜたり溶かし込んだものを指します。
 顔料と染料はともに、着色のために水性や油性の溶剤(メディウム)に混ぜたり溶かし込まれる粉末状の素材のことです。顔料と染料の区別は溶剤に溶けるかどうかです。水や油に溶けるものが染料、溶けないものが顔料です。
 人類史の最初期から使われていた顔料は、木や獣の骨、油などを燃やして得られるスス(煤)で、それを獣の骨や皮、腱から煮出したゼラチン質(膠)に混ぜ込んで使いました。いわゆる墨(膠墨)です。お習字で毛筆をひたす墨汁は、もともとはこの膠墨でした。接着剤としても使える膠によって、色を壁や紙に定着させていました。
 10世紀頃のヨーロッパでは、植物から採れる没食子酸というタンニンを含む成分をつかったブルーブラックインクが登場し、広まります。
 顔料や染料を使わずに、やわらかい鉱物を擦り付けて字を書く方法もあります。現在の鉛筆の原型になるものです。膠墨やブルーブラックインクのように、書きつけたあとでしっかりと定着せず、書いた時と同じで擦られると消えてしまうのが難点です。とはいえ、インクを使うものよりも取り回しが利くという利点があります。現代でもポールペンが公的な文書に書く場合に用いられるのに対して、鉛筆はメモをとるのに向いていることを考えるとわかりやすいかもしれません。
 また粘土板を使う場合には蘆の茎を削って押し付けることで文字を書いていました(楔形文字)。古代ローマでは蝋板に文字を書くために使われた尖筆(スタイラス)というものがありました。これは現在、ペンタブレットやタッチパネルのような文字を「書く」際に使うペン状の道具の名前として復活しています。
 そもそもペンという単語は、鳥の羽根を意味する言葉からきていますが、抜き取った鳥の羽根の先を削って作られた羽根ペンや、蘆の茎を削って作るペンもありました。これらはインク壺にペンの先を浸して文字を書きました。このほか、現代でも絵画や書道に使われる筆、ポールペンが普及するより前は一般的だった万年筆などがあります、
 インクとペンの歴史に触れた以上、ここで取り扱っておきたいのは、印刷技術の歴史です。グーテンベルクによって改善された活版印刷技術のほか、初期の新聞を刷る際や初期の紙幣を印刷する際に使われた木版技術など、ひとくちに印刷と言ってもその範囲は広く、世界中で行われていたために歴史は複雑です。ひとまずは、一枚の木の板に文字や絵などを彫って作る木版(凸版)がまず7世紀頃に中国で登場します。木版技術は日本にも伝来し、8世紀には百万塔陀羅尼経が刷られるなどしましたが、その後しばらく印刷は衰退し、11世紀頃にまた経典を印刷していた形跡が認められます。
 人類最初の紙幣が木版で印刷された中国では、11世紀頃に一文字ずつの活版を陶を使って作る活版印刷が発明されています。しかし文字の種類が膨大な漢字圏では活版印刷は普及しませんでした。
 15世紀のヨーロッパで活版印刷技術を改良したのがヨハネス・グーテンベルクです。グーテンベルクは合金で活版を作り、同時に印刷に適したインク、複数の活版をセットにして印刷する機械も発明しました。
 グーテンベルクによる活版印刷技術の改良は、文字の種類の限られたアルファベット圏に適していたため大量の印刷物が生産されるようになります。それまでは財宝として扱われていた書物でしたが、グーテンベルクの印刷術を受け継いでヴェネチアでさかんに出版活動を行ったアルダス・マヌティウス以後、携帯に適した大きさの判型が普及し、今日一般的に読まれている「書籍」の形態が徐々に出来上がっていくことになります。さらに紙の改良、蒸気機関による印刷機械の高速化が、書籍の民主化に拍車をかけていくのです。

※次回は12月22日配信予定です。

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プロフィール

永田 希(ながた・のぞみ)

1979年、アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。書評家・著述家。書評サイト『Book News』主宰。「時間銀行書店」店主。「週刊金曜日」書評委員。「ダ・ヴィンチ」でブックウォッチャーの1人として毎月選書と書評を担当。「HONZ」「週刊読書人」「図書新聞」などでも書評家として活躍。著書に『積読こそが完全な読書術である』『サイコパスの読書術 暗闇で本を読む方法』など

 
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