フランス現代思想を代表する哲学者のひとりであるデリダとその弟子のスティグレールは、特異な技術観を持っていました。デリダとスティグレールがその思想の足場としたフッサールとハイデガーの考え方を振り返りながら、スティグレールの思想を引き継ぎ独自の哲学史を構想している香港出身の哲学者ユク・ホイの「宇宙技芸」概念まで概説します。これまでわたしが問題にしてきたブラックボックスと不可視化とは、彼らが考察の対象としてきたさまざまな対象にも見出されるものだからです。
前科持ちの哲学者スティグレール
ヒュームの認識論、カントの観念論、フッサールの現象学、ソシュールの言語学やそれ以降の記号論を発展的に継承したのがドイツの哲学者マルティン・ハイデガーと、フランスの哲学者ジャック・デリダでした。そのデリダの薫陶を受けて活躍していたベルナール・スティグレールという人物がいます(2020年8月に死去)。
1952年生まれのスティグレールは、高校を中退して始めたジャズ喫茶の資金繰りに困った挙句に武装して銀行強盗を働き逮捕され、1970年代から1980年代にかけて数年を刑務所で過ごしたという経歴を持つ異色の哲学者でした。獄中で哲学を学び始め、出所後にデリダの指導で論文を書き上げて哲学者としてのキャリアをスタートさせています。
スティグレールはさまざまな独自概念を用いて自説を展開しました。その独自概念のひとつが「第三次過去把持」です。漢字7文字のこの熟語は直感的にわかりづらいかもしれません。まず「過去把持」とはフッサールの主要概念のひとつRetentionからとられています。「再び」という意味の接頭辞re-と、「しっかり持つ、つかむ」という意味のラテン語teneōに由来する言葉がRetentionです。
フッサールは音楽のメロディを把握する現象を例に出してこのRetentionを説明します。通常、音とその音程は、ひとつひとつ独立して聞く場合には単なる音や音程として聞き取られます。これに対して、メロディとは連続した音の連なり、音程の変化です。つまりいくつかの音を聞いてメロディを認識するためには、人はある音を聞いた時に直前の過去の音と結びつけなければなりません。フッサールはこの直前の音を覚えていることを指してRetentionと呼びました。ヒュームの認識論と比較した場合、知覚を構成する印象と観念のうちの前者、つまり印象がこれに当たるでしょう。
フッサールはさらに、いままさにメロディを聞いている時の知覚のなかに保存されているものを第一次過去把持、そしてメロディを聞いていない時にも保存されているものを第二次過去把持と呼び区別しました。
「第三次過去把持」というブラックボックス
スティグレールのいう第三次過去把持とはこれらの先にある、音楽を録音して繰り返し聞くことを可能にするレコードのような、いわゆる外部記憶の機能のことです。フッサールが人間の内的な知覚について用いたRetentionという概念を、スティグレールは人間の身体の外にある装置にまで拡張したということになります。この第三次過去把持によって人類は世代を超えて記憶を継承することが可能になった、とスティグレールは考えています。
メロディについてのフッサールの思考に対しては、音楽を録音するレコードを例に出しましたが、スティグレールによれば、口頭での発言も録音できるし、文字を記録する文書もまた人間の身体の外にある装置という意味で第三次過去把持の機能を持っています。そもそも人間は言葉によるコミュニケーションによって情報を互いに伝達しあってきたのですから、ある人にとってコミュニケーションの相手は自分の身体の外にある記憶媒体であると考えることもできるでしょう。そう考えるとき、言葉を介してコミュニケーションをする相手の存在もまた第三次過去把持の機能を持つと言えます。
本論の文脈にひきつけて考えるならば、第三次過去把持は情報の内実を不可視化するブラックボックスの機能を指すものとして理解できます。書物と貨幣にまつわる技術の発展の歴史は、すなわち第三次過去把持の機能が複雑化していく過程だったと言えるでしょう。
フッサールの幾何学と真理
晩年近くに書いた『幾何学の起源』という文章でフッサールは、現在「幾何学」と呼ばれている学問の体系を論じています。
たとえば三平方の定理としても知られる、ピタゴラスの定理。この定理に名前を残している古代ギリシャの哲学者ピタゴラスが仮に、この定理を残していなかったとしたら現在の幾何学はどうなっていたでしょうか。他の誰かがこの定理を発見していた可能性もあります。実際、この定理をピタゴラスが発見したことは立証されていません。
ピタゴラスの定理とは「直角三角形の斜辺の長さを二乗した値が他の二辺それぞれの長さを二乗して足し合わせた値と等しくなる」というものです。二乗とは同じ長さの辺の正方形の面積を求めることなので、ピタゴラスの定理は「三平方の定理」とも呼ばれます。このとき直角三角形の各辺のような関係になる数のセット(たとえば3,4,5)をピタゴラス数といいますが、このようなセットがあること自体はピタゴラス以前の古代バビロニアや古代エジプトでも知られていました。
ピタゴラスは各地の天文学や数学の知を収集していた人物です。もし仮にピタゴラスが人類史に登場していなかったとしても、古代バビロニアや古代エジプトの知見から三平方の定理を「発見」して歴史に名を残す人は他にいただろうと考えられるのです。
ピタゴラスの定理やそれに類する知見は古代バビロニアでも古代エジプトでも古代ギリシアにもあった、つまり場所や時代に束縛されず、特定の天才が思いつくものではない、いつか誰かが「発見」するような普遍的な「真理」です。フッサールは、ある人がある現象にどのように向き合うかを深く考察する「現象学」という学問を創始した哲学者です。彼は個人的な現象との向き合い方を理解する際にも普遍的な「真理」が欠かせないことをよく理解していました。そこでフッサールは、幾何学のような学問を普遍的な真理の体系の例として論じました。いつの時代、どこで誰が「発見」したかよりも、いつでも通用する真理であるということが重要な体系ということです。
二重写しにされた「起源」
しかし少し考えればすぐに気付くように、実際にはピタゴラスなり誰かがどこかで発見するということが、この体系が真理とされるためには不可欠です。ピタゴラスでなくとも、ある地域の誰かが発見したからこそ、幾何学は幾何学として、古代から連綿と継続されることになったのです。誰にとっても真理であるようなことを、他でもないある誰かひとりが発見するということ、この瞬間こそがフッサールが想像した「幾何学の起源」でした。
この「起源」の瞬間においては、真理を発見したという「印象」と、発見された真理の「観念」とは一致しています。ヒュームも書いていた通り、ある印象は常に観念と二重写しにされるからです。そしてその発見が第三次過去把持、つまり言語(数式)によって保存されることによって、たとえば数千年前に生み出されたピタゴラスの定理が真理であることを、数千年後に生きるわたしたちの誰でもが追体験できるのです。パッと見ただけでは何を示しているのかわからない言語(数式)がブラックボックスとして不可視化しているのは、このようにして把持されてきた真理だと言うことができます。
フッサールの『幾何学の起源』はドイツ語で書かれた文章でした。これをフランス語に翻訳したのがジャック・デリダという哲学者です。既に紹介したように、スティグレールが銀行強盗の罪で投獄されたあと、出所してから博士論文の指導教官に仰いだのがデリダでした。たびたびの挫折を経験しながら、デリダはこの翻訳に付した序文で思想家としてデビューします。フッサールの本文のおよそ3倍の分量におよぶこの序文で、フッサールが論じた「起源」は、誰かが文字で記すということ、それが体系化して幾何学という学問を形成したことを、デリダは執拗なまでに指摘しています。
幾何学の言語(数式)を読み解くとき、読み解いた瞬間に、まさにその「起源」の瞬間をわたしたちは追体験できます。現在から見ればその瞬間の追体験のためには、数千年にわたって幾何学が蓄積してきた膨大な言語の連なりが必要となる、デリダはそのことにあらためて読者の注意を向けようとしたのでした。
ハイデガーにとっての技術
フッサールは、自分自身が現象と向き合って哲学的に思考するという、それまでの哲学的伝統をリセットするような企てを目論んでいました。その壮大な企ての有力な伴走者かつ助手であり、フッサールが自らの後継者として見做していたのがマルティン・ハイデガーという人物です。教授として所属していたフライブルク大学を定年退職したあと、フッサールは後任としてハイデガーを推薦しています。
この頃は第二次世界大戦前夜の時代であり、ドイツではユダヤ人排斥を掲げるナチス(NSDAP、国民社会主義ドイツ労働者党)が人気を集め、政権を掌握しようとしていました。ナチス政権の時代に入ると、ユダヤ人だったフッサールは既に退官していたにもかかわらず教授資格を剥奪され、国外移動を制限されるなど屈辱的な境遇へと追い込まれ、不遇な晩年を過ごすことになります。『幾何学の起源』はこの時期の論考です。
他方で、ナチス政権が発足するよりも前から反ユダヤ主義的な思想を持っていたハイデガーは、ヒトラーが首相に就任した1933年にフライブルク大学の総長に選出されています(翌1934年に辞任)。またハイデガーは総長に就任したのと同じ1933年にナチスに入党しました。いったんはナチズムに深く傾斜したハイデガーですが、第二次大戦末期には、当時の総長から教官として不要と評価されるなど冷遇されます。
ドイツ敗戦後、ハイデガーはナチス党員であったことからたびたび責任を追及されることになります。日本では福島第一原発事故にしばしば参照された『技術への問い』という著作は、敗戦後にハイデガーが行った講演をもとにしています。この講演でハイデガーは、ドイツ語で技術を意味する「Technik」という言葉がギリシャ語のテクネーtechnēに由来していると語ります。テクネーは、職人の技のみならず造形芸術にも使われていた言葉でした。またハイデガーはアリストテレスの『ニコマコス倫理学』を引きながら、テクネーが「真理を暴く」ことのひとつであるとも解説しています。ここでいう「真理」とは、ハイデガーにとっては「隠れていないこと」を意味します。
『技術への問い』は講演をもとにした文章なのでとても短いのですが、ハイデガー独特の言葉遣いもあって初読者にはなかなか意味が掴みづらいところがあります。なかでも最も読者を困惑させるであろう部分は、講演の後半でハイデガーが、「徴用物資」や「ゲシュテル(器具)」という言葉を使い始めるあたりです。ハイデガーにとって技術は真理を顕現させる反面、さまざまなものを掻き集めて(徴用)、真理が覆い隠された状態であるゲシュテルを生み出すものでもあります。ゲシュテルgestellは、書架を意味するドイツ語ビューヒャーゲシュテルBuchergestell(ビューヒャーは「書物の」という意味)などに使われる枠構造の器具を指すほか、人の骸骨という意味もあります。ゲシュテルは、集めて(Ge-)+立てる(stell)、という言葉の成り立ちを持っており、ハイデガーは、現代の技術によって自然界も人間も、真理を覆い隠すゲシュテル(掻き集め)へと駆り立てられているというのです。本論でわたしが「ブラックボックス」と呼んできたものを、この「ゲシュテル」と言い換えてもいいでしょう。
ハイパーインダストリアル時代のゲシュテル
さて、出獄したスティグレールがデリダを師と仰いで執筆に臨んだ論文のテーマは、こうしたハイデガーの問題意識を受け継いだ「技術の哲学」でした。この論文はのちにスティグレールの主著とされる『技術と時間』シリーズへと展開されることになります。この『技術と時間』というタイトル自体が、あきらかにハイデガーの主著『存在と時間』を下敷きにしたものです(『技術と時間』は全五巻が構想されていましたが2020年にスティグレールが死去したため、3巻まで刊行されたところで途絶え、未完となっています)。
スティグレールは、ハイデガーが真理を覆い隠すものとして提唱したゲシュテルの問題に対して、既に解説した第三次過去把持の概念をもって挑もうとしました。20世紀前半の重工業が発展する時代をおもに生きたハイデガーは、工業化社会というゲシュテルを問題にしました。これに対して、スティグレールはいわゆるポスト工業化社会あるいは情報化社会、スティグレール自身の表現を使えば「ハイパーインダストリアル時代epoque hyperindustrielle」を問題にしていました。
ただしスティグレールも、スティグレールが参照するデリダ、ハイデガー、フッサールも、哲学的な概念であると同時にまた特定の地理的場所でもある「ヨーロッパ」と、ヨーロッパを中心にした「世界」や「歴史」というイメージに強く拘束されています。ハイデガーやフッサールの言う真理およびそれを保存してきた学問体系がヨーロッパで展開されてきたことを考えれば、これは無理もないことです。
現代の技術哲学──ユク・ホイの「宇宙技芸」
そうしたヨーロッパ中心の世界観、歴史観を相対化しようと奮闘しているのが1985年香港生まれの哲学者ユク・ホイ(許煜)です。ユク・ホイはスティグレールのもとで学びながら、ハイデガーやスティグレールとは違ったかたちでの世界観や歴史観を提示しようと試みており、その試みを「宇宙技芸」と名付けています。
この名称は、いささか壮大すぎるように感じられるかもしれません。ユク・ホイは技芸という語を、ハイデガーにとっての技術Technikというドイツ語や、その由来であるギリシャ語テクネーtechnēを相対化させるために使用していると思われます。「technēからTechnik」というハイデガー的なヨーロッパ的歴史観とは別の、「technēから技芸」という非ヨーロッパ的歴史観、あるいはヨーロッパ的な歴史観以降(ポストヨーロッパ的な歴史観)とともに可能な哲学を模索しているのです。
地球といういち天体の上の特定の地域に過ぎないヨーロッパではなく、そしておそらく自らの出身地である中国という地域にも限定されない「技芸」の哲学を考えるとなれば、地球という惑星規模、さらには他の星をも包括する「宇宙」という語がその哲学に冠される理由も理解できるのではないでしょうか。
ユク・ホイは既刊の『中国における技術の問い』とその2年後に書かれた補足的位置付けの『再帰性と偶然性』の2冊の著作(共に未邦訳)ののち、日本の思想系出版社ゲンロンの求めに応じて論文「芸術と宇宙技芸」を執筆連載しています。
この「芸術と宇宙技芸」のなかで、ユク・ホイはハイデガーの『技術への問い』を参照しつつ、ある新しい人間像を描写しています。ハイデガーが『技術への問い』で提示していたのは、自然からさまざまなものを徴用し掻き集める「技術Technik」へと駆り立てられる人間の姿でした。この近現代的な人間像は、その駆り立てによって自分自身を構成し、ハイデガーがゲシュテル(骸骨)と呼んだ状態に陥りかけています。
これに対してユク・ホイが提示するのは、「技術Technik」を象徴する各種の計器を操作するような人間像です。現代の技術の最先端に位置づけられる原子力発電所のような場所で、日々その計器を操作して調整する人間の姿を思い浮かべても良いでしょう。
学問としての科学と産業社会から物資や資本を掻き集めて建造される原子力発電所は、そこに掻き集められた知識と金銭、そしてその「掻き集め」(ゲシュテル)によって生産する巨大な電力によって、多くの人たちが現代的な生活を暮らすことを可能にします。人々は原子力発電が生み出した電力が可能にする生活のなかで、さらに効率的に、さらに「生産的」な「掻き集め」へと駆り立てられていく、これがハイデガーの提示した世界観でした。掻き集めによって骸骨化したハイデガーの近代人のイメージと、ユク・ホイの計器を操作する技術者のイメージとがどのように異なるのかは、今後のユク・ホイの著作で明らかにされていくと思われます。
新たな「哲学史」を構想する
スティグレールはハイデガーの提示したゲシュテル的世界観が、第三次過去把持的な技術の加速によってどのような問題を展開するのかを論じました。それに対してユク・ホイは、原子力発電所をつくる人でもなく、また原子力発電所によって生活を加速させられる人でもなく、そのなかで働く人に注目しようとします。そこでキーワードになるのは「操作」という概念です。これは現代的な技術を作る人でもなく、またその技術を無批判に利用する人でもなく、まさにその技術を暴走しないように制御し、その制御に失敗すれば真っ先にその脅威にさらされる存在を指しています。
既に述べたように、ハイデガーの論じた「ゲシュテル」やスティグレールの論じた「第三次過去把持」は、本論で主題としてきた「ブラックボックス」と同じものです。今後、ユク・ホイが論じようとしている宇宙技芸も、おそらくブラックボックスに関する議論になることが予想されます。
2020年1月に刊行が開始されたちくま新書のシリーズ「世界哲学史」は、古代ギリシャに端を発し欧米中心に展開されてきた「哲学」を人類史的に振り返り直す画期的な試みでした(全8巻+別巻で同年12月に完結)。しかし宇宙技芸というスケールで欧米の「哲学」を相対化しようとしたユク・ホイの試みと比較するとまだ欧米中心的であると言わざるを得ません。ひとりの哲学者が一貫した問題意識で議論するものではないため、もともと体系化されている欧米の哲学史にどうしても引き寄せられてしまうのかもしれません。
「世界哲学史」の刊行開始にあたり執筆者を代表して納富信留は次のように書いています。
「人類が言語を語り、思考するようになって以来、なんらかの哲学の営みは始まっていたはずである。生きるとは、死ぬとはどういうことか。人生の意味はどこにあるのか。私自身とは、世界とは、愛とは何か。生きる上で向き合う問いと、それに答えようとする思索や議論は、人間が人間である限り、どの時代にも共通に行われていた」
ここに挙げられている「生きるとはどういうことか」「死ぬとはどういうことか」「人生の意味はどこにあるのか」「私自身とは何か」「世界とは何か」「愛とは何か」という問いはすべてブラックボックスをめぐる問いだと言えます。ユク・ホイの宇宙技芸についての議論は、欧米で展開されたこれらの問いの歴史に対して、中国でどのような議論の歴史があったのかを論じ、欧米と中国とを相互に参照するものになるでしょう。
電子的な技術、紙とインクによる印刷技術、それらを大量に生産する産業化の過程、産業を可能にする会社や金融のシステム――これらは近代から現代にいたるまでのわたしたちの環境を作り出してきただけでなく、今後の環境をも発展させていくでしょう。そしてこれらすべては紙という書字媒体、ペンやインクなどの書字用具の発展とも無関係ではありませんでした。
知識を保管しやすく、また検索しやすくするために粘土板は巻物になり、やがて冊子本が生まれ、それらは図書館や書棚に保管されました。かつて情報の運搬は、玄奘やマルコ・ポーロ、イブン・バトゥータのような旅人によって担われていましたが、いまやコンピューターの開発とその発展の結果、人間が直接に「読む」ことのできないデータがサーバーに保管され、世界を覆う通信網によって高速に伝達されています。
もっと遡れば、文字や数字が生み出されるよりも前には、物語を歌のように唱えるだけの語り部の時代がありました。語り部たちは、現代のサーバーの遥かな先祖だと言えるでしょう。
語り部たちの時代には文字が存在していないにもかかわらず、おそらくその時代の人々もまた、ヒュームが論じたような「知覚の束」だったと思われます。文字がなくとも言語がある限りは、ある言葉と、その言葉が指し示す対象との間に「対象関係」があるからです。そしてこの対象関係は、ヒュームが知覚について見出した印象と観念の二重写しの関係と同じだったと考えられます。
本論の前半で辿った、新しい技術によって古いブラックボックスが不可視化され、入れ子構造が複雑化していく過程は、ブラックボックスが原初の姿から複雑化によって肥大化していく、その歴史だったと言っていいでしょう。言葉とその言葉が指し示す対象物、そして知覚における印象と観念の二重写しの対象関係に、こうした一連のブラックボックスの原初の姿を見出すことができます。
さて、この節で最後に付け加えておきたいのは次のことです。ブラックボックスは当然ながらブラックボックスであり、その中身は不可視化されています。言葉が、その言葉が指し示す対象物の多様性を不可視化するブラックボックスであること、そして知覚においても印象と観念が二重写しでありながらそこに「勢い」の強弱という差異を含んでいること。これによって、情報技術が発達するほどに、ブラックボックスの外観と内実のズレが激しくなっていくことになります。
最近話題になることの増えたポストトゥルースやフェイクニュースは、このブラックボックスの外観と内実のズレの機能によるものです。何より、文学をはじめとするあらゆるフィクションは、このブラックボックスが生み出すズレを活用しているのです。
※次回は2月2日配信予定です。