中東から世界を見る視点 第6回

クルド独立の住民投票が意味するもの

川上泰徳

トランプ政権がクルド人に独立への希望をもたらす?

 クルド地域政府の独立を問う住民投票について書かれた分析記事の中で、ハーバード大学ケネディ行政大学院の国際安全保障問題研究員モルガン・カプラン氏が、米国の「フォーリン・アフェアーズ」誌で2017年4月に書いている「トランプ大統領がイラクのクルド人に独立への希望をもたらす」が参考になる。

 この中でカプラン氏は「最近、イラクのクルド地区を訪れて、多くの政治家、役人、ビジネスマンと話をしたが、彼らは『トランプ政権はクルドの独立について新たな好機をつくりだしている』と信じていた。クルドの民衆はトランプに対して、概ね、より楽観的である。イラクのクルド人がトランプ政権に大きな期待をかけているのは、米国の外交問題の専門家たちが同政権について懸念としていることの裏返しなのである」と書いている。

 トランプ政権では米国の伝統的な外交を担ってきた専門家は外された。トランプ大統領自身、外交には不慣れであり、政権は従来の外交方針に縛られない立場をとっている。「米国務省は国家の領土統一を支持し、国家ではない存在を相手にしないとする外交政策を深く染みつかせているため、クルド外交についてはいつも埒が明かなかった」とカプラン氏は書く。

 これまで米国にとってクルド人は政治的プレーヤーではなく、外交の相手ではなかったということである。それに対して、「トランプ大統領はすでに確立された米国の政策や関係に縛られないことが知られている」とし、その例として、就任前に台湾と連絡をとり、米国の「一つの中国」政策に縛られないと示唆する発言をしたことをあげている。

 トランプ氏が、伝統的な米国外交とは無関係のティラーソン氏を国務長官に指名したことにも、イラクのクルド勢力は「米国が伝統的な外交政策から離れて、クルド人国家の承認に向けて動き始めたという期待を持った」としている。ティラーソン氏は2011年にクルド地域政府が石油メジャー大手エクソンモービルとの間で新たな石油鉱区に関する調印を行なった時の同社CEOであり、クルド地域を友好的にみるという期待である。

 カプラン氏は「トランプ政権の、柔軟性のある新たな外交政策はクルド勢力にとっては思わぬ好機だが、トランプ大統領の政策は変わりやすく、状況の変化によって、反対方向に動く可能性もある。とりあえず、クルド人にとっての希望の窓は、いまは開いている」と締めくくっている。

 カプラン氏がイラクのクルド地域を訪れたのは2017年春であろうが、この記事以外にも、トランプ大統領がイラクのクルド地域で人気が高いという記事がある。生まれた子供に「トランプ」と名付けたというものさえある。

クルドと米国の、軍事的・経済的蜜月関係

 2016年10月にイラクのモスル奪還作戦が始まり、イラク軍とクルド人部隊が共同作戦をとっている。米軍は両者を支援して、空爆を行っている。イラク政府はシーア派主導で、シーア派のイランの影響力を強く受けている。それに対してクルド勢力、特にイラク地域政府の大統領職を押さえるKDPと米軍の関係は強い。シリアのIS拠点ラッカの制圧作戦でも、シリアのクルド勢力を中心とするシリア民主軍(SDF)が米軍の空爆の援護を受けて地上戦を戦っている。シリアのIS掃討作戦でも、攻撃拠点となるイラクのクルド地域は重要である。

 シリアとイラクの周辺国で米国が軍事行動などで頼ることができる相手は、ヨルダンと、イラクのクルド地域政府しかない。イランとシリアは敵で、イラクはイランの影響下にあり、トルコは親米国家とはいえ、イスラム系のエルドアン政権は米国の思うようにはならない。

 バルザニ議長は、モスル奪還が最終段階になった6月初めに「9月に住民投票を行う」と発表した。ISとの戦いで自分たちが重要な役割を担っていることを国際社会に訴える絶好のタイミングを計ったということだ。軍事・安全保障上の実績を、国際社会での政治的な認知に転換させようとするタイミングである。そこには、先に紹介した「フォーリン・アフェアーズ」の分析のように、クルド人側に、トランプ大統領と同政権への大きな期待があるということになるだろう。

 米国とイラクのクルド勢力との直接の協力関係は、1991年湾岸戦争後に、イラクのフセイン政権の攻撃から守るために米英が「飛行禁止空域」を設定したことに始まる。それによって、イラク中央政府の支配をはずれたクルド自治区ができた。2003年のイラク戦争でも、クルド自治区はクウェートとともに米軍の攻撃拠点となり、戦後のイラク復興でも、クルド系企業が米軍のもとで復興を担った。

 イラク戦争後、電話回線が破壊されたバグダッドで、通信衛星から直接パラボラアンテナでインターネット回線につなげるインターネット・カフェがあちこちにオープンした。そのような事業をイラク全土で進めていたのは、クルド地域から来たクルド系企業だった。イラクは湾岸戦争後の90年代は国連の経済制裁下に置かれて、経済活動の低迷が続いた。一方のクルド地域は、90年代に米英の庇護下で独自のインフラ整備をしてきた蓄積がある。特に、90年代にでてきた携帯電話やインターネットのような新しい通信インフラは、サダム・フセイン政権下では一切なく、イラク戦争で同政権が倒れて、初めてイラクにもたらされた。それを担ったのが、クルド系企業であったのは当然だった。

 イラク戦争後、イラク本土ではスンニ派とシーア派の宗派抗争の激化などで治安の混乱が続く。いまだに電源インフラの整備が遅れており、一日のうちで停電している時間の方が長いという状況である。それに比べて、クルド地域は90年代の経済制裁もイラク戦争の破壊も、その後の宗派抗争もなく、イラクの本土とくらべて別世界となっている。

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中東情勢は、中東の国々と中東に関わる国々の相互作用で生まれる。米国が加わり、ロシアが加わり、日本もまた中東情勢をつくる構成要素の一つである。中東には世界を映す舞台がある。中東情勢を読み解きながら、日本を含めた世界の動きを追っていく。

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プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。元朝日新聞記者・中東特派員。中東報道で2002年ボーン・上田記念国際記者賞。退社後、フリーランスとして中東と日本半々の生活。著書に『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)、『イラク零年』(朝日新聞社)、『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)など。共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)。

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