中東から世界を見る視点 第6回

クルド独立の住民投票が意味するもの

川上泰徳

クルド政界の複雑な内情

 そのような経済的発展とともに、イラク戦争後に、クルド地域はKDPとクルド愛国同盟(PUK)という旧反体制組織が協力して統一選挙名簿をつくり、イラクの議会選挙ではシーア派につぐ会派となった。イラク政府ではシーア派が首相、クルド勢力が大統領、スンニ派が議会議長を務めるという権力分有ができた。人口ではスンニ派よりも少ないクルド人勢力が大統領職を押さえたのは、クルド人内の協力によるものである。さらに、イラクを連邦国家とする新憲法の下で「地域国家」を宣言し、PUKのジャラル・タラバニ議長が中央政府の大統領職、KDPのバルザニ議長が地域政府の大統領職を務めるというクルド内の権力分有も生まれた。

 KDPとPUKは、90年代の半ばに、武力衝突を重ねて内戦状態になったこともあるライバル組織であるが、クルドの利益で協力した。一方、2009年にPUKの若手世代を中心に、クルド地域政府を支配するKDPとPUKの縁故政治と腐敗への批判を訴える政治組織「ゴラン(変化)」が生まれ、その年のクルド地域議会(111議席)選挙で25議席をとり、KDPに次ぐ第2勢力になった。ゴランの進出によって、KDPとPUKは地域政府と議会で協力関係をとっている。その後、タラバニ議長は2012年末に脳卒中で倒れ、バルザニ議長の存在感が大きくなった。

 2017年9月15日にクルド地域議会が招集され、独立を問う住民投票の実施が承認された。しかし、ゴランは議会に参加せず、住民投票のボイコットを決めた。ゴランは「クルド人の自決権は生来の権利であるが、現在のような不確定な状況で実施するのは危険な動きである」としている。地域議会はバルザニ議長とゴランとの間の政治的対立によって、2015年以来開かれておらず、ゴランが住民投票をボイコットする背景には、バルザニ氏の非民主的な政権運営への反発がある。

 さらに、クルド地域政府の政治改革を求めるゴランが住民投票の実施に反対するのは、バルザニ議長が「民族独立」というクルド人の悲願を掲げることで、クルド地域政府でゴランのような内からの批判を抑え込み、自らの権力を強化しようとする意図に対する懸念と反発があるだろう。

住民投票に対する、米国の薄っぺらな反応

 バルザニ議長は住民投票前の記者会見で「我々は100年間、独立を待ってきた」と語った。100年間というのは、第1次世界大戦後の1920年に連合国とオスマン帝国の間で結ばれたセーブル条約でクルド民族国家の樹立が盛り込まれたが、実行されなかったことを言っている。

 セーブル条約64条には、「国際連盟がこれらの民族が独立することが可能と認め、それを彼らに与えるべきだと勧告すれば、トルコはその勧告を実施することに合意し、それらの地域に対するすべての権利と権限を放棄する」と明記された。しかし、その後、トルコ共和国が拒否したことで、1923年のローザンヌ条約でクルド人の独立は削除された。

 その後、第2次世界大戦後の1946年、旧ソ連占領下のイラン北西部マハバードでクルド人民族主義者がクルディスタン人民共和国の独立を宣言した。同共和国はソ連の撤退によって1年で崩壊したが、その防衛大臣と軍司令官を務めたムスタファ・バルザニ氏は、イラクで武装闘争を始め、KDPを創設した。現在のマスード・バルザニ議長は、その息子である。

 100年の間に、虐殺があり、毒ガス使用があり、大量難民流出が繰り返された。クルドの独立には、クルド人の怨念が積もっている。それだけに、取り扱い注意である。しかし、トランプ政権の対応は、恐ろしく薄っぺらなものだ。米大統領府は住民投票10日前の9月25日に、報道機関向けに次のような短い声明を出した。

「米国はクルド地域政府が今月下旬に住民投票を実施する意図を支持しない。住民投票は『イスラム国』(IS)を打倒し、解放された地域を安定化させる努力を分散させるものである。もめている地域で住民投票を実施することは、特に挑発的であり、(地域を)不安定にするものである。我々はクルド地域政府に住民投票の中止を呼びかけ、イラク政府との間で真剣で継続的な対話に入るよう求める。米国政府はそのような対話を取り持つ準備があることは繰り返し示している」

 これが声明の全文である。声明は、トランプ政権が住民投票の中止を求めたとして世界で報じられた。しかし、米国はクルド地域政府が独立を目指す住民投票に反対するとは書かれていない。さらに声明には、クルド人地域の独立に脅かされるイラクの国家としての一体性への言及もない。住民投票を実施することを支持しない理由は、「IS打倒の努力を分散させる」ためとして、「テロとの戦い」への影響に懸念を表明しているだけである。このことは、IS打倒にはクルド人勢力の協力が不可欠だ、と表明しているに等しい。この声明だけ読めば、米国はイラクのクルド地域が独立を問う住民投票を行うこと自体には反対していない、とさえ受け取ることができる内容である。

 一方、住民投票について、トルコ、イラン、イラクはそれぞれ「反対」を表明している。イラクとイランはそれぞれクルド系住民を国内に抱え、分離独立の動きもある。イラクのクルド人が独立の動きに出れば、トルコやイランにも波及しかねないのだから、警戒するのが当然である。しかし、クルド地域には米軍がいるために、トルコもイランも、クルド地域との国境に軍を動員するような軍事的脅威を与えることは簡単にはできない。

トランプ政権の負の部分に影響されるリスク

 今回の住民投票を受けて、イラクのクルド地域政府が独立に向かうとは思えない。むしろ、独立の意思を背景にして、イラク政府との間で石油収入の分配や予算配分を求めて交渉を強めることになるだろう。また、クルド自治政府と欧州の主要国との間では、代表部を置き、航空直行便を就航させる動きが出ているが、さらに加速させることになるだろう。

 現在のイラクのクルド勢力は、米国の後ろ盾を得ているということであり、その状況下で、今回の住民投票が可能になった。その結果を受けて、クルド勢力がさらに、国際社会において政治・外交的な攻勢に出るということである。

 クルド人は、トルコ、アラブ、ペルシャという中東で覇を争ってきた主要民族の間で、虐げられたり、欧州列強に翻弄されたりしながらも、したたかに生き延びてきた。今回の独立を問う住民投票は、トルコ、イラク、イランの反発を押し切って実施したものである。その自信の背景として、伝統的な思考に縛られないトランプ大統領の登場を追い風にしようとする意識があった。

 一方で、トランプ政権の負の部分に影響されるリスクも負うことになる。

 米国はイラクとシリアでクルド勢力を使ってIS制圧を行い、特に、シリアでのISの都ラッカの掃討作戦では、シリアのクルド人組織に依存している。だが、シリアのクルド人組織はトルコ国内でテロを行うクルド系武装組織と連携しているとして、トルコは警戒し、米国がクルド人勢力を使ってラッカ掃討を進めていることに反発している。また、2017年3月に、シリアのクルド人組織がシリア北部での自治区樹立を一方的に宣言したことも、トルコの警戒感を刺激する理由になっている。

 トランプ大統領は就任前から、イランに対して露骨に強硬姿勢を強調し、欧米がイランとの間で結んだ核開発をめぐる合意の破棄や凍結を掲げ、新たな封じ込めを主張している。今後、米国とイランの対立が深まれば、クルド地域は、イランに接する中東での米軍の拠点という危うさが浮き彫りになるだろう。

 今回の、イラクのクルド地域政府の住民投票から見えるのは、トルコ、イラク、イランに対して、米国という虎の威を借るクルドの狐、という図である。しかし、クルド人が、「テロとの戦い」を前面に掲げて強硬措置をとるトランプ政権を後ろ盾にすることで、トランプ氏の危うさを一緒に背負ってしまうリスクもあるのだ。

 

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中東情勢は、中東の国々と中東に関わる国々の相互作用で生まれる。米国が加わり、ロシアが加わり、日本もまた中東情勢をつくる構成要素の一つである。中東には世界を映す舞台がある。中東情勢を読み解きながら、日本を含めた世界の動きを追っていく。

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「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。元朝日新聞記者・中東特派員。中東報道で2002年ボーン・上田記念国際記者賞。退社後、フリーランスとして中東と日本半々の生活。著書に『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)、『イラク零年』(朝日新聞社)、『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)など。共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)。

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