中東から世界を見る視点 第7回

ラッカ陥落後の中東の不安

川上泰徳

米国のクルド人支援と、トルコとの対立

 先に紹介したシリアの反体制派サイト「ラッカは静かに殺される」は、ラッカ陥落の後、10月25日付で「シリア民主軍(SDF)よるISへの報復と民間住居の略奪」と題して、「SDFがラッカに侵攻して以来、運び出して売ることができるすべての物に対する組織的な略奪が続いている。これは、クルドの町コバニがISに侵略された時に、クルド人が『テロ行為』と呼んだものと同じ行動である」と書いている。コバニはシリア北東部のクルド人の町で、2014年秋にISによって制圧されたが、2015年1月に米軍・有志連合の空爆の援護を受けて奪還された。

 そもそもSDFは、2015年10月に結成された新しい組織だ。米国は同年5月から、ISと戦うための「穏健な反体制派」を組織するため、3年間で1万5000人規模の反政権軍をシリアに創設するプログラムを始めた。しかし、9月下旬には人員が集まらず、プログラムを停止した。その後、コバニ奪回戦で協力関係ができたクルド人勢力に武器と資金を提供して、IS掃討を行う戦略に転換した。なお、「SDFにはアラブ系部族も参加している」という宣伝がなされたが、それは限定的である。

 さらに米軍の支援で勢いを得たクルド人勢力YPGは、2016年3月、シリア北部で一方的に「連邦制」を宣言し、クルド地域国家を創設する意思表示をした。その後、SDFは米軍の支援を受けて、4月ごろから、ユーフラテス川の西側にあるIS支配下の都市マンビジへの攻略作戦を始めた。米国は当初、トルコの協力を求めたが、トルコは協力の条件として「YPGがユーフラテス川以西には入らない」ことを求めた。トルコ政府は、「テロ組織」と認定しているトルコの反体制クルド人過激派組織「クルド労働者党(PKK)」と、YPGが一体だと見ているのだ。

 トルコはマンビジ掃討作戦について「SDFに参加していないアラブ人勢力で行うべきだ」と条件をつけたが、米軍はトルコの協力を得ないまま、SDFによるマンビジ制圧作戦を進め、2016年8月15日にマンビジを攻略した。さらに、SDFは北に向けて進軍し、一方では、南方にあるラッカをうかがう態勢をとった。これに対して、トルコ軍は8月下旬から、シリア内戦が始まってから初めてシリアへの越境作戦を行い、国境地帯を、トルコが支援するアラブ系反体制組織の支配下に置いた。

 米国とトルコの関係は悪化し、2016年12月、シリア北部アレッポの反体制派支配地域がアサド政権軍の掃討作戦で陥落した際、トルコはロシアと協力して、反体制地域の住民の退避を実現した。その後、2017年1月、カザフスタンの首都アスタナで、ロシア主導でイランも参加する和平協議が始まり、そこにトルコも参加した。

 私は2017年1月に米国トランプ政権が発足した時、ラッカ攻略をクルド人主体で進めれば、トルコとの関係もアラブ人との関係もこじれると考えた。結局、トルコとの関係は修復されないまま、クルド人主体のラッカ攻略に進んでしまった。

 ラッカ陥落の後に、今後の不穏を予告するようなニュースが流れた。ラッカの中心部にPKKの指導者オジャラン氏の大きな肖像画が出現し、それに対してトルコ政府が強く反発したのだ。米国防総省の記者会見でトルコのアナドール通信がこの画像について質問し、軍スポークスマンは「我々はPKK指導者の肖像が掲示されたことを非難する。SDFは掲示を認めていない」と答えた。しかし、トルコのエルドアン大統領は「米国は我々を(テロとの戦いで)支援しているとは思えない。もし支持していたら、このようなことは起こりえない。米国は誠実ではない」と非難した。

「ラッカは静かに殺される」のフェイスブックページは、SDFによる制圧の後、「ラッカの新たな占領」という文字とともに、右にISの写真、左にクルド人組織の写真を組んで、ISの占領が終わり、クルド人の占領が始まったことを表現した。SDFの写真にはオジャラン氏の肖像画も出ている。

「ラッカは静かに殺される」のフェイスブックページ

 米軍とSDFのラッカ攻略が終結するのと時を合わせるように、トルコ軍がシリアに越境し、北西部のイドリブ県に入って軍事行動を行った。トルコは、アスタナの和平協議で、5月に合意した「安全地帯」設定のための停戦監視ポストの設置を行ったとしている。安全地帯の設定が実現する可能性については悲観的な見方が強いが、トルコとしては、米軍とクルド人勢力によるラッカ攻略の前に、反体制派の拠点であるイドリブで軍事的な足場を確認し、さらにシリア内戦での自身の影響力を誇示しようとしたと思われる。

米国の威を借りたクルド人支配への反発

 ISが排除されたと思ったら、IS地域のかなりの部分を、米軍の支援を受けたシリアのクルド人勢力が支配する形になっている。ISの問題は終わったわけではないが、その上に、クルド人勢力によるアラブ・スンニ派地域の支配という新たな危機要因が加わった。ラッカとその周辺は、シリア国内でもアラブ人のスンニ派部族が強い場所で、当然、クルド人勢力の支配に対する反発は強い。米軍の空爆の援護でラッカ攻略は実現できても、支配と治安を維持しようとすれば、現地のアラブ部族の協力を得ないわけにはいかない。

 ISがラッカを支配し、シリアで支配地域を広げることができた背景には、アサド独裁政権下で、多数派のスンニ派が抑えられたことがある。さらに、「アラブの春」でシリアでもデモが広がった時には、アサド政権の軍・治安部隊によるデモ隊への銃撃やデモ参加者への拘束・拷問で、スンニ派部族が犠牲になった。こういったスンニ派の受難状況のなかで、ISがラッカに隣接するデルゾールの原油を押さえ、アメとムチによる巧みな部族対応をしたことが知られている。

 IS支配は過酷だったが、スンニ派部族にとっては、アサド政権による露骨な暴力からの救済という面があった。だが、クルド人支配には、いまのところ、米国という虎の威をかりた力の誇示しか表れていない。「ラッカは静かに殺される」の記事に出ているような、ラッカ制圧作戦でのSDFによる略奪や破壊が広がれば、不信感と反発はさらに広がることになろう。

 ISにとって代わったクルド人勢力は、クルドへの不信を煽り、アラブ反体制勢力を支援するトルコのゆさぶりにも対応しなければならない。クルド人勢力が米国・米軍頼りで、トルコにもシリアにも対抗できると考えるならば、自らの危機を招くことになりかねない。米軍はイラク戦争後のイラク占領に失敗し、4400人以上の米兵の犠牲を出して全面撤退した経緯がある。米軍がイラクで唯一成功した地元対策は、スンニ派部族に直接武器と資金を与えて、イラクのISに対抗させた政策だけである。現在のラッカのように、クルド人による力の支配を米軍が支える戦略の下では、アラブ勢力の反発を抑えることは困難である。

 米国・米軍がISとの戦いで、トルコの協力を得ないでクルド頼りになったことは、米国のシリア内戦対応における決定的なボタンの掛け違えになりかねない。今後、旧IS支配地域でのアラブ系部族による反発が強まれば、クルド頼りの米国も、米国頼りのクルドも、共倒れになりかねない危うさをはらんでいる。

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中東情勢は、中東の国々と中東に関わる国々の相互作用で生まれる。米国が加わり、ロシアが加わり、日本もまた中東情勢をつくる構成要素の一つである。中東には世界を映す舞台がある。中東情勢を読み解きながら、日本を含めた世界の動きを追っていく。

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プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。元朝日新聞記者・中東特派員。中東報道で2002年ボーン・上田記念国際記者賞。退社後、フリーランスとして中東と日本半々の生活。著書に『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)、『イラク零年』(朝日新聞社)、『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)など。共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)。

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