中東から世界を見る視点 第7回

ラッカ陥落後の中東の不安

川上泰徳

背後にうごめく「イランの影」

 一方、ISの都モスルの制圧が先に進んだイラクでは、米国の「対テロ戦争」をイラクのクルド地域政府が支えた。その地域政府は、2017年9月25日にイラク、イラン、トルコの反対を押し切って独立を問う住民投票を行い、9割以上の支持を得た。この住民投票自体が、クルド人勢力が米国、特にトランプ大統領の後ろ盾を頼んでの政治的な冒険だった。そのことについて私は、前回のコラム「クルド独立の住民投票が意味するもの」で、「イラクのクルド地域政府の住民投票から見えるのは、トルコ、イラク、イランに対して、米国という虎の威を借るクルドの狐、という図である。しかし、クルド人が『テロとの戦い』を前面に掲げて強硬措置をとるトランプ政権を後ろ盾にすることで、トランプ氏の危うさを一緒に背負ってしまうリスクもある」と書いた。

 その後、1カ月もしないうちに、米国頼りのクルド人の戦略は早くもほころびが出ている。10月16日、クルド人部隊が支配していた油田地帯キルクークにイラク軍とシーア派民兵組織「民衆動員部隊」が入り、クルド人部隊は退去した。さらに、キルクークだけではなく、クルド人が多く住み、クルド人部隊が抑えていたシンジャルも民衆動員部隊に制圧され、クルド人部隊は撤退することになった。

 このイラク政府の動きに対して、トランプ大統領はホワイトハウスの会見で「我々はどちらの側にも立たない。彼らが衝突しているという事実を我々はよいと思わない」と、まるで傍観者のようなコメントを発表した。

 クルド系メディアのラダウの報道を見ると、キルクークへの軍事行動は、イラク政府の意思だけではないことが見えてくる。10月13日午後、イランの最高指導者ハメネイ師は、イラクのアバディ首相に「クルド地域政府の住民投票に対してとっている厳しい姿勢を支持する」とのメッセージを送ったという。イラン革命防衛隊のクドス部隊のスレイマニ司令官もメッセージを送ったという。その夕、アバディ首相と民衆動員部隊は、キルクークを守護しているクルド人組織の「クルド愛国同盟(PUK)」戦闘員に、キルクークからの撤退を求めた。

 10月16日にイラク軍と民衆動員部隊がキルクークに入った時、PUKの戦闘員は抗戦しないで撤退した。これについて、イラク地域政府の中で「裏切り」として非難する声が上がった。PUKはクルド地域政府のバルザニ大統領が率いるクルド民主党(KDP)とともにイラクの主要クルド勢力だが、歴史的にPUKはイランとの関係が強い。今回の住民投票はバルザニ大統領が主導したもので、PUKがイランの圧力と説得で撤退に応じたとしても不思議ではない。

 イラク中央政府によるキルクーク奪回の背景を見ると、イラク軍よりも、むしろイラクのシーア派組織の民衆動員部隊が動いている。私が以前、イラクの治安関係者に聞いたところでは、民衆動員部隊はイラク政府の指揮下にはなく、イラン革命防衛隊の指揮で動き、スレイマニ司令官が仕切っている。キルクークを奪回する前に、スレイマニ司令官がイラクを訪れ、民衆動員部隊やPUK関係者と会っていたという情報も様々に出ている。もちろんスレイマニ司令官は個人の意思で動いているのではなく、革命防衛隊の指令で動き、それは最高指導者ハメネイ師の意思で動いているということである。

 ハメネイ師がアバディ首相の強硬姿勢への支持を表明したという10月13日は、トランプ大統領が、イランに対する新たな戦略について演説した日である。トランプ氏は、欧米とイランが2015年に結んだ核合意について「イランが違反している」との認識を示し、連邦議会や同盟国に合意の強化を求め、それに同意しない場合は、米国は合意から離脱するとの考えを示した。

 時差の関係で、ハメネイ師がアバディ首相にメッセージを送ったのは、トランプ大統領の演説の前だが、トランプ氏がイランとの核合意を認めず、強硬な対イラン戦略を打ち出すことは数日前から観測が流れていた。普段は穏健な対応で知られるアバディ首相が、対クルドで急に強硬姿勢をとったのは、イランからの働きかけがあったと考えるしかない。

トランプの無知・無策が露呈した

 イラクの軍事行動に対して「どちらの側にも立たない」としたトランプ氏の当事者意識が感じられない発言には、驚くしかない。対イラン強硬策の発表から3日後に起こったクルド地域での軍事的な緊張が、強硬策に対するイランからの反発だということが理解できないということだろうか。これほどやすやすと、イランによって米国の拠点であるクルド地域が脅かされるということは、トランプ大統領は、イランの脅威を全く理解せずにイラン脅威論を語っているということである。
 トランプ大統領が就任演説で、外交・安全保障の最重要課題として掲げたのが「テロとの戦い」であり、その現場であるイラクとシリアで、米国・米軍を支えているのがクルド人勢力である。イラクのクルド地域は米国・米軍の戦略拠点である。クルド地域政府のバルザニ大統領がこの機を逃すまいとして、米国頼りで独立を問う住民投票に出た気持ちは分かるが、トランプ政権は口先で延期を求めただけだった。イラク政府とクルド地域政府の対話を「米国が仲介する」と言ったのもまた口先だけで、実際には、危機を制御するための米国の真剣な働きかけは、クルド側に対しても、イラク政府に対してもなかった。
 サウジアラビアの英字紙アラブニュースに掲載された、バリア・アムルッディン氏の「いま分かった、トランプ氏の強硬演説に対するイランの反応」というコラムは、アラブ世界の反応の一端を伝えている。アムルッディン氏は、イラクのアバディ首相がキルクークを取り返すために部隊を送るという断固たる行動をとったのは「イランからの命令だ」と書く。その上で「トランプのイランに対する強硬な姿勢が、悪いジョークだということが明らかになった。イラク政府がキルクークを奪回したことは、トランプがイランに対抗する何ら具体的な戦略もないことを示している。これは、『イランは核合意を順守していない』と決めつけた空虚な演説に対するイランの露骨な反発である。(トランプは)全く裸の王様だ」と書いている。
 アムルッディン氏は、アラブ世界の有力アラビア語日刊紙「アルハヤト」の国際ニュース編集者、コラムニストだが、トランプ政権の対応にあきれている様子がよくわかる。
 この間の対応を見れば、トランプ大統領は、イラクやシリアでのイランの影響力について一切理解せずに、対イラン強硬策を唱えているということである。モスル制圧においても、イラク軍とクルド人部隊の他に、イランの革命防衛隊が支配する民衆動員部隊がいたことの意味を理解していないのだろう。ハメネイ師が指示すれば、キルクークだけでなく、米国の拠点であるクルド地域政府の安全さえも脅かされかねない。さらに、シリアのアサド政権軍を地上で支えているのは、レバノンのシーア派組織ヒズボラとイラクの民衆動員部隊であり、共にイラン革命防衛隊のスレイマニ司令官の指揮下にある。
 独立を問う住民投票を主導したイラク地域政府のバルザニ大統領は、キルクークからクルド戦士があっさりと撤退したことで、面目は丸つぶれである。そのうえ、頼みのトランプ大統領には「我々はどちらの側にも立たない」と言われては、こちらも裸の王様である。しかし、クルド人勢力がバルザニ氏の面目を代償にして、トランプ氏の発言にはそれを支える政策も戦略もないという危うさを理解すれば、米国に頼らないで、トルコ、ペルシャ(イラン)、アラブという中東の3つの主要勢力の間で生き延びてきた知恵に戻るきっかけになるかもしれない。

 

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中東情勢は、中東の国々と中東に関わる国々の相互作用で生まれる。米国が加わり、ロシアが加わり、日本もまた中東情勢をつくる構成要素の一つである。中東には世界を映す舞台がある。中東情勢を読み解きながら、日本を含めた世界の動きを追っていく。

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「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。元朝日新聞記者・中東特派員。中東報道で2002年ボーン・上田記念国際記者賞。退社後、フリーランスとして中東と日本半々の生活。著書に『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)、『イラク零年』(朝日新聞社)、『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)など。共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)。

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