中東から世界を見る視点 第8回

トランプに首都認定されたエルサレムの「現実」

川上泰徳
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 米国のトランプ大統領が「エルサレムはイスラエルの首都だ」と認定し、テルアビブにある米国大使館をエルサレムに移転すると発表した。これに対して、パレスチナやアラブ世界では反発が広がっている。
 国連総会は2017年12月21日に緊急会合を開き、トランプ大統領の決定を「無効」とする決議を賛成123、反対9、棄権35の賛成多数で採択した。それに先立つ18日の安全保障理事会では、米国以外の14理事国が同様の決議案に賛成し、米国が拒否権を行使して廃案にした。国連総会、安保理ともに、英国、フランス、日本が賛成にまわり、米国の国際的な孤立は明らかとなった。今回のトランプの決定は何を意味するのか考えてみよう。

エルサレムにて。トランプ大統領のポスターを燃やす人々(ゲッティ=共同)

「統一エルサレム」とは何か

 エルサレムは、城壁に囲まれた1キロ四方の広さの旧市街に、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、イエス・キリストが葬られたとされる場所にたつ「聖墳墓教会」、イスラムの聖地「アルアクサ―モスク」という3つの宗教の聖地が隣接する。アルアクサ―モスクは、イスラム教徒が「ハラム・シャリフ(高貴なる聖域)」と呼び、ユダヤ人が「神殿の丘」と呼ぶ高台の上に立つ。そこには古代ユダヤ王国の神殿があったとされ、その神殿の「西壁」が「嘆きの壁」と伝えられている。まさに聖地は隣り合って存在するのだ。

 エルサレムはもともと1947年の国連パレスチナ分割決議では国連管理となっていたが、48年の第1次中東戦争で、エルサレム旧市街を含む東エルサレムはヨルダンが、西エルサレムはイスラエルが支配して東西に分断された。その後、67年の第3次中東戦争で、イスラエルが旧市街を含む東エルサレムを、ヨルダン川西岸やガザと共に占領した。

 イスラエルは1980年に制定した基本法で、パレスチナ人が住む東エルサレムを含む「統一エルサレム」を首都と宣言した。今回のトランプ大統領の決定は、この時のイスラエルの「統一エルサレム」の首都宣言を認定するもので、演説の中で、「イスラエルが自国の首都を決定することを含む権利を持つ主権国家であり、この事実を認めることは和平の実現にとって必要な条件である」とし、今回の決定について「現実を認めることでしかない」とした。

 トランプ大統領はイスラエルが「統一エルサレム」を首都としていることを「現実」と言っているわけだが、エルサレムの「現実」とは何かを考える必要がある。

「首都宣言」の後に起こったインティファーダ(民衆蜂起)

 イスラエルがエルサレムを首都とする基本法を採択した時、当時の国連安全保障理事会は決議478号を賛成14、棄権1(米国)で採択し、「イスラエルの基本法を認定せず、基本法に基づくイスラエルの行動はエルサレムの性格と地位を変更しようとするものとして認定しないことを決定する」とした。また、決議では「武力による領土の獲得は容認できないということを再確認する」とした。「占領者であるイスラエルが基本法によって聖地エルサレムの性格と地位を変更することに法的効果はなく、無効であり、直ちに撤廃されなければならない」としていたのである。

 首都宣言から7年後の1987年に、パレスチナ人の第1次インティファーダ(民衆蜂起)が始まった。少年たちがイスラエルの戦車に投石する画像によって「石の闘争」とも呼ばれたが、民衆蜂起の主体はチュニジアにいたパレスチナ解放機構(PLO)ではなく、エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザの地元コミュニティーで、占領に対する「不服従運動」が中心だった。エルサレムのファイサル・フセイニ氏、ガザのハイデル・アブデルシャフィ氏ら地元の有力者が中心になった。

 当時、東エルサレム民衆委員会のメンバーだったジャーナリストのアタ・ケイマリ氏によると、東エルサレムのすべての商店が一斉に店を閉めるストライキや、同じ色の旗を一斉に掲げたり、一斉に車のクラクションを鳴らしたりするような集団行動でパレスチナ人の統一の意思をイスラエル側に示したという。

 1993年9月、PLOとイスラエルの間でオスロ合意が結ばれ、翌94年にパレスチナ自治が実施された。自治区の中ではパレスチナ警察が治安維持をするようになって、第1次インティファーダは収束に向かう。しかし、96年9月に、オスロ合意を調印した労働党のラビン首相が暗殺された後を受けて、和平に批判的な第1次ネタニヤフ政権が登場した。ネタニヤフ首相は対パレスチナ強硬姿勢として、エルサレムのイスラム聖地地下に掘っていた観光トンネルの出口をイスラム地区に開いた。それがきっかけとなって東エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザで抗議デモが始まり、この時、西岸でパレスチナ警察とイスラエル軍の間でオスロ合意後初めての銃撃戦があった。

 第2次インティファーダは、その4年後の2000年9月、エルサレムの聖地を巡る争いから始まった。イスラエルの右派政党リクードの党首だったシャロン氏が、イスラムの聖地であるアルアクサ―モスクがある「ハラム・シャリフ」に立ち入ったことでパレスチナ人の抗議のデモが広がり、それに対するイスラエル軍・治安部隊の武力制圧によって、紛争が広がった。

 私は2001年4月から02年9月まで朝日新聞のエルサレム特派員だった。第2次インティファーダが最も激しかった時期である。

 第2次インティファーダは悲惨な紛争だった。圧倒的な軍事力を持つイスラエル軍は、戦車やB16戦闘機でパレスチナ自治区を攻撃した。それに対して、パレスチナのイスラム組織ハマスと、当時アラファト議長が率いていたファタハのそれぞれの武装部門は、イスラエル国内のレストランやホテル、ショッピングセンター、バス停、バスの中など様々な場所で、自爆テロや銃の乱射をした。

 当時、朝日新聞エルサレム支局は西エルサレムの繁華街であるベンエフダ通りから数百メートルの距離にあった。私が駐在していた1年半の間に、その通りや通りの周辺で、私が覚えている限りで5回の自爆テロがあった。それも、支局から鈍い爆発音が聞こえる距離で起こった。私もよく行っていたイタリア料理レストランが爆破されて、誕生会を開いていた子供たち20人以上が死んだこともあった。ベンエフダ通りは、昼間でも人影のないゴーストタウンのようになった。

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中東から世界を見る視点

中東情勢は、中東の国々と中東に関わる国々の相互作用で生まれる。米国が加わり、ロシアが加わり、日本もまた中東情勢をつくる構成要素の一つである。中東には世界を映す舞台がある。中東情勢を読み解きながら、日本を含めた世界の動きを追っていく。

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「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。元朝日新聞記者・中東特派員。中東報道で2002年ボーン・上田記念国際記者賞。退社後、フリーランスとして中東と日本半々の生活。著書に『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)、『イラク零年』(朝日新聞社)、『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)など。共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)。

 
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