中東から世界を見る視点 第8回

トランプに首都認定されたエルサレムの「現実」

川上泰徳

中東における米国の影響力が決定的に低下した「現実」が前提にある

 イスラエルとパレスチナという2つの国が共存することで紛争を解決することを「2国家解決案」と呼び、歴代の米大統領は、その実施のために和平を実現しようとしてきた。イスラエルに多額の軍事援助をしている同盟国でありながら、歴代の米国大統領が中東和平を最重要の外交課題として取り組んできたのは、パレスチナ問題が中東危機の核心であり、和平の実現は、米国自身の安全保障と国益に関わるという問題意識があったためである。トランプ大統領の今回の行動は、米国の国益を損ない、米国民を危うくすることにもなりかねない。さらにイスラエルの和平派の人々にとっての裏切りともなる。

 トランプ大統領が、なぜこのような「認定」を行ったのか考えてみたい。そこには、ブッシュ、オバマ政権を経て、中東における米国の影響力が決定的に低下した「現実」が前提としてある。ブッシュ大統領とオバマ大統領は、それぞれ方法は異なるが、中東和平で合意を実現しようとはした。しかし、どちらもイスラエル政府の強硬姿勢を動かすことはできずに、和平仲介は無残な失敗に終わった。外交経験のないトランプ氏が大統領になった時、イスラエルとパレスチナの間での和平協議は3年前から止まって再開の期待はなく、かといって暴力の噴出もなく、大統領として緊急に対応すべき課題は何もなかった。

 トランプ大統領は選挙キャンペーンの間から、米国の親イスラエルのユダヤ人組織の集会で、「エルサレムへの米国大使館の移転」を公約していた。今回の決定について、米国内のユダヤ人の支持をつなぎとめるためとか、米国のキリスト教右派の支持を得るためという見方が出ている。トランプ大統領にとっては、イスラエル・パレスチナ問題への関与という意識はなく、米国内の親イスラエル派の人々の支持を取り付けるために「エルサレム認定」を行ったのだろう。

 このように国際感覚のない米大統領が、イスラエル・パレスチナ問題で無責任な決定をすることは、中東や国際社会にとって災難というしかない。トランプ大統領の問題意識のなさは、就任間もない2017年5月にイスラエル、パレスチナを訪問し、双方の首脳と会談した時から露呈していた。「究極の合意」などと実体のない言葉だけで、和平交渉再開の具体的な提案は何らなく、驚くほど中身のない訪問だった。パレスチナ自治政府のアッバス議長との会談では、イスラエルとパレスチナが2つの国家として平和に共存するという中東和平の基本を確認することさえなかった。

 2001年に就任したブッシュ元大統領が、イスラエル・パレスチナを訪問したのは2期目の最後の年となる08年5月である。09年に就任したオバマ前大統領が初めて訪問したのは2期目の13年春だった。米大統領にとって、イスラエル・パレスチナは「聖地観光」のようなノリで気安く訪れることができる場所ではないことを示す。だがトランプ大統領には、そもそも、そのような自覚がなく、さらに自覚をもたなければならないような環境もなかった、と考えるしかない。

米国という「重し」がはずれた中東の今後は?

 今回のトランプ大統領の決定は、イスラエルの右派政権に事実上のフリーハンドを与えたと考えるべきだろう。ティラーソン国務長官もマティス国防長官も、治安上の懸念から米国大使館のエルサレム移転に反対したと報じられているが、説得できなかった。このことは、トランプ大統領とネタニヤフ首相の間を、娘婿でユダヤ教徒のクシュネル大統領上級顧問が取り持って、親イスラエル・ユダヤロビーの意向がそのまま通る「現実」を意味する。ネタニヤフ政権がどのような強行策をとろうとも、トランプ大統領は受け入れるだろう。

 今後、米国はパレスチナ和平の仲介者から離脱するだけでなく、中東全般での米国の存在感がますます低下するだろう。安保理や国連総会で示された米国の孤立は、この先、ボディーブローとして効いてくるはずだ。ブッシュ、オバマ両政権での影響力低下を受け継いだことではあるが、それが加速度的に進むということである。その結果、米国という重しがはずれて、イスラエルだけでなく、イラン、イラク、トルコ、サウジアラビア、エジプトなど中東の国々が自国の利益を追求して勝手な軍事行動に出る事態になり、中東でさらに混乱が広がる契機になるだろう。

 

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中東から世界を見る視点

中東情勢は、中東の国々と中東に関わる国々の相互作用で生まれる。米国が加わり、ロシアが加わり、日本もまた中東情勢をつくる構成要素の一つである。中東には世界を映す舞台がある。中東情勢を読み解きながら、日本を含めた世界の動きを追っていく。

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「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。元朝日新聞記者・中東特派員。中東報道で2002年ボーン・上田記念国際記者賞。退社後、フリーランスとして中東と日本半々の生活。著書に『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)、『イラク零年』(朝日新聞社)、『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)など。共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)。

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